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いやいや、最近忙しくてなかなか更新できないなぁ。プロ野球の方、ストライキやったんだろうか。
でも例えストライキになってもしょうがないわなぁ、結局、話し合ったって基本的なことは、な〜んも解決してないんだから・・・。
選手の立場からすれば、当然、球団が減れば雇用先が減る訳だから、そりゃぁ必死にもなるよ。
前置きはここまでとして、前回、最後の方でなんて書いたんだっけ、えーっと、あぁ、そうそう、昨今のプロ野球事情から限界がきている話からですね。
限界だと思われる事柄を、いくつか挙げたいと思います。
まず、“実業団”的な経営スタイルでしょう。
いくら球団がスポンサー企業とは別会社とはいえ、実質子会社な訳です。
当然親会社の経営状態が悪くなれば子会社だってアオリを食らうわけで、親会社が子会社へ助力できなければ、子会社は倒産、廃業、他部門への吸収合併するようなことになるわけです。
一般的な会社の業務の場合、親会社から切り離され別会社となった部門の業務内容は元々、親会社で運営できたことを考慮に入れると、必然的に親会社にその業務を戻しても差し障りが無いようには出来ると思われます。
例えば、在庫などする管理部門なんかを、倉庫会社として子会社化しても、やろうと思えば、親会社の各部門に在庫管理の業務を分散化することで、実質その子会社を無くすことはできるであろうと思われます。
ところが、野球のような業務は一般の業務とは一線を画していますので、そういうわけには行かないわけです。
それに、野球ような特別な技能職の場合、他部門に業務を分散化することも出来ないでしょう。
ゆえに結局、独立した部署を造らなければならず、部署の名前は“野球部”となって結局、実業団と変わらなくなってしまいます。
それにそれを生業にして生計を立てることができるからこそ”プロフェッショナル“であって、企業の一部署では、もはや”プロ“とは呼べません。
と、なると私が生まれてこのかた観てきた日本のプロ野球は、プロの顔をした実業団野球だったんですな。
次にスポーツ(特に西洋スポーツ)についての日本での考え方。
多分、スポーツ的なことで、職業として認知されているのは“相撲”でしょう。
スポーツの場合、競技を行う人のことを“プレイヤー”とか“選手”とか言うわけですが、相撲を取る人のことは“力士”と、言います。
意味合いとして“力士”は“プレイヤー”、“選手”なのですが、“プレイヤー”、“選手”は“力士”とは呼ばれません。
“力士”とは相撲を取る人だけを指すわけです。
つまり、“力士”は、日本ではそれだけ特別な存在ということです。
― それに、力士は精神的シンボルとしての存在も大切な仕事のひとつです。
横綱ともなれば、強いという以上に品格なんかも要求されるので、外国人横綱が、日本人から見ると、品格の無い行動をすると、強く批判されたりします。
しかし外国人から見れば、“相撲”もスポーツのひとつ、っていうか“ジャパニーズ レスリング”、勝ち続けることと品格とは別問題なんですよね。
ちなみにプロとして認知されているスポーツ(?)として、プロレスがありますが、これはエンターテーメント・ショウという見方もできますので、余り話題として触れないようにします。 −
と、まぁ話題がそれてしまったんでここらで本題に戻します。
“相撲”は職業として認知されているのに他スポーツは認知されないのは何故でしょうか。
やっぱ、どーしても“遊び”の延長線上でしかないように、考えがちなのではないでしょうか。
つまり余興に金を払うほど、余裕が無いということを一番初めに言われそうですよね。
あと、企業の宣伝媒体という考え方。
企業として、伝説を作る男の所属していたチームの名前にスポンサー企業の名前がついていればそれが記憶に残る訳で、その言葉を人々が口にする機会が増えるわけです。
大体、プロ野球のチーム名って、前に企業名が入っている場合がほとんどです。
そして、人々は、そのチーム略して呼ぶときにチーム名の頭の方だけを言うので、必然的に企業名を連呼したりすることにもなりかねないわけです。
― ちなみに、“ジャアンツ”は“東京読売ジャイアンツ”なんですが“読売”とは言われず、“ジャイアンツ”、または“巨人”って言われるんですよねぇ、不思議だなぁ。 −
しかし、経営難となった場合、チームが“宣伝媒体”である以上、宣伝の効果無かったためだと判断し、無駄なものとして、切り捨てられそうです。
と、そんな2点、“遊びの延長線上”と“宣伝媒体”であるとした場合に、親会社が経営難となったならば、必然的に球団は切り捨てられることになることは想像に難くないわけです。
と、まぁ、色々書いてきましたが、なんとなく結論が出そうなんで、ここらでまとめます。
えーっと、日本のプロ野球とアメリカのメジャーリーグにおいて、球団、リーグの運営と経営方法なんかが違いますよ、って話を前回書きました。
まぁ、こんなこと書くと“すぐ海外の話なんか出して・・・”と、批判されそうですが、実際、経営がうまく行っている企業なりの運営方法を真似すること自体は、悪いことではないと私は思います。
しかし、この方法は、かなり調査研究が必要です。
付け焼刃に真似をすると、かえって悪い結果をもたらす可能性の方が大きいからです。
“生兵法は怪我の元”って訳ですね。
最後に、サッカーJリーグの話をしたい思います。
まず、“100年構想”ってのがあります。
これは、100年掛けてサッカーを文化として日本に浸透させようという長大な計画です。
あと、“ホームタウン構想”ってのがあって、地元地域に根ざしたチーム造りを目指そうというものです。
実際、サッカーの場合はユースチームってのを必ず持っており、さすがにリーグは無いんでしょうが、地元の試合があれば参加しています。
プロ野球球団で少年の部を持っているチームが存在するのでしょうか?私は聞いたことが無いんで分かりませんが。
あと、来季からJ1は2チーム増えて18チーム、1ステージ制で試合が行われることになります。
Jリーグだって、別に黒字経営ではないんです。
TOTOの売上は減っているし、観客動員数だって芳しくありません。
しかし、リーグのチームを増やせるってことどう言うことでしょうか?
ちなみにサッカーの場合は、その開催年で1ステージや2ステージになったりします。
これは国際試合(といってもクラブチームと代表チーム両方ある)のスケジュールなんかを検討しながら決めていることなんです。
また、90分で引き分けだった場合の勝敗の付け方も色々に変わって来ました。
リーグ開始時はVゴール方式で決着がつかない場合はPK、しばらくして改正され、PKはやらずに引き分けとし、現在は90分の時点で引き分けとしています。
これは、選手の怪我なんかを考慮に入れた措置なんですよね。ひたすら決着がつくまで何時間でも試合をやる、どっかのスポーツとは大違い。
このようにプロ野球もルールやシステムを改正して行けば良いのではないかと思います。
あまりにも過去の栄光に固執して、システムを簡単に変更できないような体制では、急変する世情についてゆけず、日本プロ野球自体が消滅ってことにもなりかねないと思います。
まぁ、最後は“巨人”だけ残って、紅白戦しか出来なくなるとか、突然外国に渡って、“道場破り”的に、向こうのチームと試合するとか、なんかそーゆー“プロレス”的な感じでチームを運営していったりして。
えっ、何故“巨人”が最後まで残るかって思うかって?
そりゃ「巨人(ナベツネ)軍は永遠に不滅」だからですよ(笑)。
<おわり>
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と、まぁ、そういう訳で(どんな訳だか・・・)前回結論から書いたプロ野球の話なんですが、では何故そう思うのかを書こうと思います。
まず、私個人の感覚で言うと日本のプロ野球は、はっきり言ってつまらないと思っています。
これっていきなり反感を買うような書き方なんで、速攻反駁したい方もおられるかと思いますが、この文章を読んでいただき、それから今一度お考えいただき、それから反駁していただければ幸いです。
まず、観る人あってのプロスポーツであると言うところからお話します。
これは何かというと、今、不景気でヒマな時間も多そうなんですが、結局日々いそいそと働いている日本人のライフスタイルから考えて、スポーツ観戦の手段ってのが、多分TV中心になってしまうんじゃないかと思うんです。
サッカーJリーグの場合、TV中継は野球中継よりはるかに少ないと思います。
まぁ、試合数の違いもあるのですが、実際、その日に試合があったとしても場合によっては民放なんかで生中継が全く無い、良くて夜中に録画で放映するくらいです。
まぁ、NHKのBS1ではそれなりに生中継なんかで放映していますが、今、日本の全世帯にBSがどのくらい普及しているかは想像つきませんが、少なくともBSを観られないTVだって存在するはずです。
と、考えるとJリーグよりもはるかにメディアへの露出度が高いプロ野球なんですが、私の場合、圧倒的にJリーグの試合を観る場合が多いのは、やはり試合内容でしょう。
まず、Jリーグの場合でNHKの放送の場合、リーグの試合を平均的に放映していると思います。
で、民放の場合であれば、そのテレビ局がチームのスポンサーの場合、やはりそのチームの試合を中心に放映します。
TBSならマリノス、日本テレビならヴェルディというように。
しかし、その民放でも場合によってはスポンサーと関係無いような試合だって時たま放映しますんで一概にいつもスポンサーチームの試合を放映する訳では無いんです。
たとえるなら、日本テレビのプロ野球中継で、巨人以外の試合を放映するようなものです。
しかし、プロ野球ではどうでしょう。
各テレビ局はスポンサーチームの試合を中心に放映します。
まぁ、TBSならベイスターズ、フジテレビならスワローズって感じです。
しかし、このときの対戦相手は、いつも“巨人”なんですね。
当然、日本テレビでは“巨人”対“どっかのチーム”しか放映しません。
まぁ、私の地元の話をすると、一番近い球団は“ドラゴンズ”なんで、ドラゴンズの試合が観たくてもなかなか観ることができません。
ちなみに私はピッチャーの川上憲伸選手が好き(私は日本の“プロ野球”がつまらないと思っており、選手個人までつまらないプレーをするとかは思っていません)なんですが、たまにドラゴンズの試合をTVで放映しても、川上選手が登板していない場合は、例え福留選手がその試合で満塁ホームランを打とうが、落合監督の“オレ流”采配が的中しようが、現在ドラゴンズがセ・リーグの首位であろうが私には全く興味が無いところなんで、ピッチャーが誰かが分かった瞬間、チャンネルを変えてしまいます。
と、こんな野球観戦をする人間も世の中にいるわけで、いつも巨人戦放映しているプロ野球ならば、巨人ファンの人は良いでしょうが巨人ファンじゃない人は“つまらない”の一言で終わってしまうわけです。
次に、日本のプロ野球における金銭的なシステムについて考えてみましょう。
プロスポーツというのはチケット販売など実際の試合での売上、TV放映権などのロイヤリティにおける間接的な利益で成立していると思います。
これはTVで観た話なんで、間違っていたらすいませんが、日本のプロ野球の場合、前記の利益は、すべて球団のものとなるのだそうです。
しかし、アメリカのメジャーリーグ(大リーグ)では、チケット販売の売上利益は球団のものなんだそうですが、間接的な売上は一旦コミッショナー(まぁ、リーグ全体の運営を統括する機構、協会のようなもの)に集めて、これらを所属チームへ均等分配するのだそうです。
一見、この方法はチーム単体から見ると不公平のように感じます。
と、いうのも間接利益は該当するチームの企業努力によってもたらされたもので、他所属チームが努力した結果が、該当するチームの売上に結び付かないように感じるからだと思います。
これは多分、プロスポーツに対する考え方の違いでは無いのでしょうか。
メジャーリーグの場合、メジャーリーグというシステムを存続させるため、協会費というか共益金というかを定め、儲けているチームからも、儲かっていないチームからもある程度の金額を取り、これを均等に分配することによって儲かっていないチームも運営が可能となりリーグの存続が可能となるという目的なのだと思います。
日本のプロ野球の場合、いくらかコミッショナーへある程度の金額を払っているんでしょうが(リーグに参加する場合、参加費用60億円をコミッショナーへ払わなければならないって話も聞いたことがあります)、基本的に間接利益はチームのものなんで(全体の利益から、直接利益より間接利益の比率がはるかに多い場合は)儲かるチームとそうでないチームが出てくることは明白です。
今までのプロ野球では、これが表面立って不具合が表れていなかったんでうまくやっていたようですが、昨今のプロ野球事情から、この方法は限界がきていると言わざるを得ない状況であると思います。
<つづく>
(まだまだ続くこのお話、一体どんな結論となるのか、書いている本人もわかりませんが、なんだか変な結論となる予感が・・・)
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去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。で、今まで12回に渡ってその模様を紹介してきた訳ですが、今回はその総括というか、私の気持ちというか、を語りたいと思います。
前回、コンサート終了まで紹介した訳ですが、ここでその後の話を少し書きます。
長渕さんがステージを降り、会場アナウンスが規制退場の案内を放送しました。
しかし、友人と私は、その放送前にすでに退場を開始していました。
事実上、主催者の指示を無視した形にはなるのですが、その自主退場なる行動形態を取るということの事前通知が無かったということで、不可抗力なんじゃないかと思います。
売店などがある場所に着くと、友人はアルバム用の写真撮影の受付へ行きました。
これは、後日発売予定という、このコンサートのフォトブック(写真集)に、応募すると今写した写真がもれなく掲載されるというのがありまして、その撮影用の受け付けです。
チケットの申し込みをした人以外にも映って良いということなんで、友人と一緒に写真を撮りました。
次に、ゴミを捨てるべく、ゴミ捨て場に向かいました。
ゴミ捨て場は結構大きかったんですが、ここもまた人だかりができていました。
スタッフが分別収集に協力するように呼びかけていましたが、なかなかやってくれないらしく、スタッフの兄ぃちゃん、軽くキレ気味でした。
そしていよいよ会場から退場することにる訳ですが、またまた人だらけ。
会場の出口が狭いんで、出口でどうしても大渋滞を引き起こすうようで、満員電車の中みたいな状況で、ここでも結構待たされました。
しかも、その混雑の中、車が何台か通っていきましたからねぇ、非常に危険なんじゃないかと思います。
やっとのことで渋滞が解消されました。
私たちは次に、道すがらにあるオフィシャルのグッズ売り場へ向かいました。
行ってみると、商品はほとんど売り切れでした。
しかし、あまりモノに執着しないタイプの私は、コンサートロゴを貼り付けることができるシール“転写シール”なるものを購入しました。
そして、いよいよフェリー乗り場へ着ました。
上陸してから約14時間、桜島を離れるときが来ました。
離岸するフェリー、航路を進むにつれて桜島の全容が見えてきました。
すっかり日が昇り、桜島のその雄大な姿が私の視界に横たわっていました。
対岸のフェリー乗り場へ到着、バスで鹿児島中央駅、新幹線とリレーつばめで福岡駅へ。
福岡駅で長浜ラーメンを食べました。16時間振りくらいのまともな食事でした。
そして新幹線へ地元へ。
しかし7万人という数の多さを改めて実感するのは、鹿児島から何百kmと離れている地元の駅で電車から降りるとき、一緒に降りた何人かの乗客はコンサート帰りの客だったと思われたからです(なぜなら、グッズを入れる袋を持っていましたから)。
と、コンサートの模様はここまでにして、今回のコンサートの所感を書きたいと思います。
―コンサートの内容について―
全体を通して、やった内容ってのが普段やる90年代から今までのコンサートの内容って印象です。
それをまとめて3回分やったって印象です。
しかし、開催時間が長かった分、一曲の演奏時間が長かったと思います。
そぉだなぁ、1曲10分位ぐらいかなぁ。
前奏と間奏と曲の終わりで、ひたすらアオリまくってたって曲もあったからなぁ。
選曲もどっちかっていうとコブシ突き上げ系の、ノリの良い曲が多かったような気がします。
言っちゃ悪いんですが、途中飽きて来た曲もあったりして・・・。
でも、私にとって、このコンサートは第3部の“何の矛盾も無い”に全てが集約されているといっても過言ではないです。
長渕さんの歌じゃないけど“久しぶりに俺は泣いたんだ”って感じです。
全体のぼんやりとした印象でしか無いんですが、凄くという訳では無いんですが、良いコンサートだったと私は思います。
―開催の段取り―
これはどう言う意味かって言うと、会場までのアクセスとか会場の環境とかがどうかという意味です。
会場までのアクセスについて、鹿児島市内についてはまぁ、普通です。
あの人数をさばくために、鹿児島中央駅からフェリー乗り場までバスをピストン運送で運行させていたわけですが、十分さばけていました。
桜島フェリーの方も車両甲板にも人を乗せるとか、人数制限のために交通整理をするスタッフの数など、警察の協力を得て十分機能していたと思います。
で、桜島側の話ですが、会場入り口前までは人も流れていたんで、それなりに良かったと思います。
問題は会場入り口から会場までの間の話。
これはもう最悪です。
まず、会場の設計が悪い。
7万人もいるのにゲートがひとつしか無いってのはもうちょっと考えてもらいたい。
おかげで大渋滞を引き起こし、まるで満員電車のようでした。
まぁ、電車のように揺れるわけでは無いんですが、電車のように寄りかかれる場所がある訳では無いんです。
多分、あの状態で誰かがコケたら将棋倒しになって大惨事になっていたことでしょう。
次に入場時の持ち物チェックですが、私が入場したときにはノーチェックに近い状態でした(っていうかノーチェックでした)。
人が多すぎて人がさばききれなかったんでしょうが、テロだの何だの言われている昨今、チェックはすべきなんじゃないんでしょうか。
あと会場設営の話、今までのお話の中で「席の代わりとなる枠内に入れず、通路で見ることになった」という話を書いたんですが、これは枠内にいた人が広く場所を取っていたということに他ならないわけです。
では何故、広く取ることができたかと言うと、人一人当たりに割り当てるべき面積の制限をしていなかったということだったと思います。
枠内についての制限は、別に人事に割り当てられている訳では無く、広い(20m×20m)枠で仕切っていただけです。
この中を6人単位くらいでさらに細かく仕切れば、それなりに整理もついたんでしょうが、そうしてしまうとかなりの密度になるような気がします。
これは一人あたりの面積を少なく見積もっていたと言われても言い訳できないと思います。
もう少し工夫が必要なんじゃないかと思いました。
―マナーの話―
今回のコンサートは、“ゴミに埋もれたコンサート”といっても過言ではありません。
フェリー乗り場ぐらいからゴミが目立ち始め、桜島からコンサート会場までの道すがらには、ひたすらゴミ、ゴミ、ゴミ。
コンサート会場終了時、会場内のそこかしこにレジャーシートとか、ペットボトルとかが散乱してました。
私の横にいたグループは、第3部の中ごろにどっかへ行って(多分帰ったか、ブロックを無視して他の場所へ行ったか・・・)しまったんですが、座布団まで置いていきました。
明らかに最初から捨てる目的なのは明白です。
と、まぁ、個人個人のマナーの問題もあるんですが、ゴミ捨て場も少なかったような気がします。
7万人も集まるコンサート、一人あたり500gのゴミを出したとしても35tのゴミが生まれだされるわけです。
当然ゴミがあちこちに散乱するような状況は予測できるわけなんで主催者も、もう少し配慮が必要だったのではないのでしょうか。
あと、観客についてもマナーの悪さが目立ちました。
会場内での飲食、喫煙、設営されたヤグラに登ったり、携帯でコンサート風景の撮影etc・・・、多分やってはいけないということを全てやっていたんでは無いでしょうか。
まぁ、長渕さんのファンなんで(私も含めて)、仕方が無いかという所もあろうという人もいるかとは思いますが、こればっかりは、そんな話で終わるような話ではありません。
マナーは強制力が無いんで守らなくても社会的制裁を受ける可能性は低いんですが不快に思っている人もいるわけですから慎んだ方が良いでしょう。
でもまぁ、あの人の多さから考えると、会場内を移動するのもままならず、飲食喫煙なんかは仕方無しにせざるを得ない状況だし、もしかすると排泄なんかもその場でやってしまったのもいるかもしれない・・・、なんせ7万人ですからね。
―総括―
今回のコンサート、私にとって“最高で最低”という複雑な心境のコンサートとなりました。
では、次回、同じようなコンサートがあった場合、行くかどうかと言われれば、今の気持ちでは、多分行かないと思います。
行かない理由として、
・
このコンサート以上に感動するコンサートはもう無いだろうと予測される
・
徹夜という長丁場で非常に疲れる
・
マナーの悪さは非常にウンザリ
・
主催者側の段取りの悪さ
と、いうことが挙げられます。
もうひとつ、私の積年の夢だった話もありまして、それが達成されたということも行かない理由ではあるんですがね。
この“積年の夢”ってのは私が子供の頃、埼玉の西武球場でやった“スーバーライヴ”に行きたかったけど行けなくて非常に悔しい思いをしたことから始まります。
これに代わるコンサートなり、ライヴなりにいつか行きたいと思っていた私にチャンスが訪れたのは1992年の東京ドームライヴでした。
このライヴには行くことができ、積年の夢は叶ったかと思いました。
しかし、この“桜島コンサート”の話を聞いて、“(スーパーライヴに代わるものは)これしかないっ!!”と、思い、今回、桜島へ行ったわけです。
で、今度こそ叶ったと思います(って言うか思いたい)。
だからと言って、もうこれで終わりという訳では無く、これからも長渕さんの歌は聴くし、通常のコンサートやライヴに行けるチャンスがあれば行こうかとは思います。
だって長渕さんなんだもん。理屈なんかありません。感動に理由が無いのと同じ。
あ、でも、今度やるんだったら静岡県のヤマハリゾート“つま恋”とかでやってくれると非常に助かるんだけどなぁ(ポプコン本選会場だったんで長渕さんにとっては思い出の地だろうし・・・、あ、でも準優勝だったから長渕さん的にはイヤかも・・・)。
<おわり>
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去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
えーっ、今回はコンサート第3部の模様をお送りします。コンサートも最後となったわけですが、ますますヒートアップする会場っ!一体どうなってしまうのかっ!?。
と、言うわけで前回の続きを・・・。
いよいよ第3部となりました。
またまた30分ほど遅れて開演、しょっぱなは“女よGOMEN”でした。
この曲のサビの部分は客の手振りが決まっていて、私より前方にいる人たちは皆その手振りをしていたんで、ステージから見たらスゴいことになってんだろうなぁ、と、思いました。
で、次の次の曲が“STAY DERAM”。
第1部で“勇次”、2部で“順恋歌”、3部で“STAY DREAM”と、これで大体、最近のコンサートでやる代表的な曲はやったわけですが、長渕さん、それなりに考えて曲を選んでくれていたようです。
で、次の曲が“Good by 青春”。
何ぃ〜!?また何で“Good by 青春”?
と、次の曲が“東京青春朝焼物語”。
長渕さん、この曲って絶対気に入ってると思います。少なくとも私の行ったコンサートで、この曲をやらなかったって事は無いような気がする。
で、次の曲が“明日に向かって”。
とまぁ、ここまではホントにアンコール的な内容で進んできたわけですが、ここからさらに盛り上がりを見せていきます。
まず、“LANIKAI”という曲。
でそのまま怒涛の“桜島”になだれ込んで行きます。
で、私はこの曲知らなかったんですが、まぁ、凄い盛り上がりを見せること。
ステージから花火は上がるわ、セットから炎は噴出すわ・・・。
実際、この炎ってのが物凄い火力で、結構セットの上の方にノズルがセッティングされていたと思うんですが、炎が噴出されたとき、結構熱を感じました。
と、大盛り上がりを見せた“桜島”が終わる頃、空はすっかり白み始めていました。
凄い、凄いの一言で、曲が終わり、その感動を友人と分かち会おうと友人の方を向くと、友人は感動の余り涙をながしていました。
そして、長渕さんが言いました。
“ありがとう〜っ!!おまえら最高だよっ!!おまえら見てみろよっ!!”
と、桜島を指差し、皆が振り向くと、太陽に背を向けた桜島のシルエット、山頂から噴煙を静かに噴出している穏やかな桜島がそこにはありました。
で、長渕さんは感慨深げに、
“このコンサートを支えてくれたみんなに感謝します”
で、スタッフ、錦江湾、鹿児島のみなさん、そして桜島に感謝と続きました・・・。
周りを見渡すと、前の方にいた女の子が目頭を押さえています。
感動のワンシーン、感極まってしまっても当然のシュチエーションですからね。これで感動しない訳が無い。
で、次の曲のイントロが流れ始めました。
えっ、これって、この曲って・・・。
長渕さんが静かに歌いはじめます。
なんと、“何の矛盾も無い”・・・。
不意に目頭が熱くなり、目じりに涙が溜まるのを感じました。
急いで首から掛けていたタオルで目頭を押さえました。
流れ続ける長渕さんの歌。溢れ続ける私の涙・・・。
涙があとからあとから溢れて、ついでに鼻水も溢れてくるもんですから、鼻をすすり上げてしまって、ちょっと恥ずかしかったです。
結局、2番の途中まで泣いていた私、やっとのことで涙も止まり、周りを見ることができました。
みんな直立不動で歌に聴き入っています。
だれも掛け声を掛けたり、手拍子をしたり、旗を振ったりしていません。
7万人が、ただ、長渕さんの歌を静かに聴いているのです。
オーロラヴィジョンに映った長渕さんの顔、汗まみれ水まみれだったんですが、それが目じりから涙を流しているように見えました。
曲が終わり、場内は大喝采に包まれました。
私は大好きなこの曲をやってくれたことと、大感動の中、もうこれだけでこのコンサートへ来た甲斐があった、と、私の中ではコンサートが終わっていました・・・。しかし、
“おまえら行くぞぉ〜っ!!!”
長渕さんが叫びました。
ええっ!!まだやるのぉ〜!?
せっかく感動していたのに、このあとにやる曲ってあんのかなぁ?と思っていると、曲が流れ始めました。
げげっ!これって“Captain Of The Ship”だぁ・・・。今からこれかぁ、きついなぁ。
と、言うのも、数年前、長渕さんのライヴでこの曲の途中で長渕さん、倒れてしまったことがあると聞いたことがあります。
多分リベンジだったんでしょうね、長渕さん人生最大のステージであのときのリベンジを果たしたかったんでしょう。
アルバムに収録されている曲でも結構長いこの曲。
長くなるのは必至です。
うーんっ、“何の矛盾も無い”と“Captain Of The Ship”曲順逆にしてくれればよかったのにぃ〜。
実際、曲の後半ではひたすら絶叫に次ぐ絶叫。
私たちは拳を突き上げ続けます。ちょっとしたトレーニングですね。
で、結局、30分くらいやっていたんじゃないですかね、この曲を。
と、やっとのことで曲が終わり、長渕さん“ありがと〜”を連呼してました。
バンドメンバーを紹介し、
“また今日から頑張ろうっ、気をつけて帰れよぉ〜っ!!”
と、長渕さんはステージから消えていきました。
このとき“終わってしまった”というのと“やっと終わった”という思いが交錯し、複雑な心境の私なのでした(第3部、全10曲)。
(次回、このコンサートの所感なんかを書こうかと思っています。もう少しお付き合いくださいね)
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去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
えーっ、今回はコンサート第2部の模様をお送りします。すいませんねぇ〜、あんまり細かく書けくて。これも私の記憶力のせいなんで、ここはひとつ穏便に許してやってください。
と、言うわけで前回の続きを・・・。
第2部の開演時間も30分を過ぎたころ、演奏が始まりました。
最初の曲は“Japan”。
しょっぱな“Japan”かぁ、まぁ、盛り上がるからなぁ、とか思っているうちに曲が終わり、長渕さんがこんなことを言い出しました。
“この曲はテレビやラジオで一回も放送された事が無い・・・”云々。
え〜っ?そんな曲あったかなぁ、これでも(私、長渕さんの情報は)高くアンテナ張ってるつもりだけど、そんな話聞いた事がないなぁ、と、思っていると曲が始まりました。
え・・・、これって・・・。
その曲は“静かなるアフガン”でした。
あのぉ〜、盛り上げたところ申し訳ないんですが、それって“ミュージックフェア”か“FAN”で観たことがあるんですけどぉ〜・・・。
んんーっ、残念っ!!
まぁ、いっかぁ、そういうトコが長渕さんのお茶目なところだから。
で、曲が終わって次の長渕さんのお話が、“俺はインドへ・・・”。
あぁ、“ガンジス”ね、とか思っていたらやっぱり“ガンジス”でした。
とまぁ、アジア三連発って感じで曲が終わり、始まった次の曲、私はその曲を知らないんで飛ばします。
で、次の曲が始まり、私は膝が“カックン”ときました。
なんと“春待気流”っ!!
え〜っ、なんでぇ〜、普通やるぅ〜?(インスタント・ジョンソン風に)思いました。
この曲って、70年代から80年代の曲なんですが、“順子”が売れた後、そういう路線で長渕さんが売っていた頃の曲なんですね。
“春待気流”がリリースされた当時、その前からの長渕ファンには、この曲って大不評だったんらしいんです。
これって、スンゴく“歌謡曲”なんですよね、前からの曲と比べると。
“とんぼ”ぐらいの頃しか知らない人が、この曲聞いたらビックリ仰天でしょうなぁ。
まぁ、私は、それなりにファン暦が長いんで、そういうことは無いんですが、前のアジア三連発からいきなり“春待気流”だったんで、いささか拍子抜けした訳です。
で、次の曲、私はこの曲を知らないんで、飛ばします。
そして次が、あの“順子”でした。
ご存知、長渕さんの出世作。でも長渕さん、歌詞を覚えてないみたい・・・(汗)。
で、まぁ、気を取り直して・・・、次の“Keep On Fighting”は長渕さん、嬉しそうに歌ってましたよ(フォローになってねぇ〜)。
そしてここからまた、90年代の曲が始まります。
まず、“いつかの少年”でした。
これは、先の“LICENCE”と同じく、故郷のことを歌った歌なんですが、これもまたどんな心境だったんでしょうなぁ。
で、“気ばいやんせ”、“Myself”と続きます。
で、多分ですが、“気ばいやんせ”くらいから長渕さん、会場内を車で周り始めます。
とは言っても、花道を走るんで、私の位置からは移動の様子は全く見えません。
で、長渕さんの行き着いた先は、Fブロック中央の“円形ステージ”でした。
故郷の歌の次は、みなさん待望の“順恋歌”。おなじみのライヴヴァージョンでした。
しかしこの“円形ステージ”、私の位置からは全く見えません。
なぜならば、会場はセンターステージから見ると、緩やかな起伏を描いており、Fブロックより前の人は多分ステージ自身が見えていないと思われます。
事実私も、全く見えなかったんで、前方の、つまり今、長渕さんがやっている方向とは反対のオーロラヴィジョンを見ていましたが、私の前の何人かは、私と同じように前方を見ていました。
で、次に2、3曲くらいやったんですが、このとき、長渕さんは再度車に乗り、センターステージの方へ戻ってきました。
戻ってくる花道は、先ほどとは反対の花道でした。
この花道なら、私の方からでも見える可能性があるんで、一所懸命見えそうな場所を見ていたところ・・・。
おぉ、見えたぞ、小指の先から第2関節ぐらいの大きさに見えるっ!!
と、言う間に長渕さんはセンターステージへ戻ったのでした。
センターステージへ戻り、“乾杯”をやり始めました。
おじさんでも“乾杯”といえば“小林幸子”か“長渕剛”ってくらい有名な曲なんで、ご存知の方も多いでしょう。
で、コンサートなんかの場合、この曲は全て客が歌ってしまうことがあるくらい、長渕さんは歌わないんですが、今回は結構歌ってたなぁ。
と、まぁ、考えてみれば結構有名な曲も多く、それなりの構成でここまで進行してきたわけですが、次の曲に私はド肝を抜かれました。
それはなんと・・・、“マリア”だったんです。
長渕さんの名曲中の名曲、往年のファンで、好きな曲の上位に入るこの曲。
最近の長渕さんのライヴやコンサートなら絶対やらないであろうこの曲をやるとはっ!!
ある意味感動しました、まさかこの曲が生で聴けるとは・・・、もう言葉もありません。
で、この曲を最後に第2部が終了したのでした(第2部演奏、計16曲)。
(次回、怒涛のクライマックス!感動に次ぐ感動のフィナーレ!!拝めるか来光!?吼えるか桜島!?・・・コンサート第3部に乞うご期待っ!!)
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去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
まず、全く関係無い話で恐縮なんですが、サッカーワールドカップ一次予選、日本vsインド、4−0で勝ちましたねぇ〜。でもさぁ、もうちょっと点取れたような気がするんですけど・・・。
と、言うわけで前回の続きを・・・。
“Take it easy”が流れる中、オーロラヴィジョンに映し出される映像が、少し変わりました。
バイクは正面から撮影されており、それにまたがる長渕さんの映像でした。
周りにはスタッフらしき姿と、観客らしき姿が・・・。
おおっ!!とうとう出てきたぞ、長渕さんっ!!
何処だっ、どの辺りにいるっ!!
見回すも、周りは人だらけで、全く分かりません。
しかし、ひときわ高い歓声が、左方から聞こえてきます。
そして、スポットライトが私の頭上を越え、右から左へと照らしているのが分かりました。
多分、長渕さんは2ブロック向こうの比較的広い道を通っているものと推測されました。
ってことは、100mくらい向こうってこと?
それは遠い、あまりにも遠い。
スポットライトの動きを見ると、徐々にステージの方へ向かって行くのが分かりました。
どうも長渕さん、左のステージ袖から上がってくるようです。
と、ステージの左方からバイクに乗ったまま長渕さんが、ステージへ上がってきました。
そしてバイクをステージの中央へ止め、ゆっくりと降りました。
−ここでお詫びです−
すいません、この辺からあんまり良く覚えてないんです。結構興奮状態だったのかも・・・。もし、コンサートへ行かれた方で、この先の文章を読まれて、私の書いていることが間違っていると思われても、それは多分私の記憶違いなんだと思いますのでご容赦ください。
とまぁ、お詫びはここまでにして。
多分ですが、長渕さんバイクから降りてしばらくは観客席を見回したり、客をあおっていたりしていたと思いますが、あんまり覚えていません。
で、最初の曲が始まりました。友人とは大きいコンサートの場合、最初の曲は“順恋歌”の場合が多いので、順恋歌からなぁ、とか言っていたんですが、今思うと、この登場の仕方だと順恋歌は無いですね(笑)。
その曲は私の知らない曲でした(それが “勇気の花”っていう曲だと言うことは後になって知りました)。
で、その後は“泣いてチンピラ”を演奏しました。
多分、1曲目か2曲目(ホントに覚えてないなぁ)を終え、長渕さんが“おまえら、よぅ来たなぁ〜!!」と、叫ぶと、大歓声が響きました。
その後、言っていたことを忘れてしまったんで、申し訳ないのですが、“俺とおまえらの真剣勝負だ”みたいなことを言っていたと思います、多分。
で、次の曲にびっくり。
“孤独なハート”だったんです。
まさか、まさかのこの曲、イントロの歌詞はスキャットにしてましたが、まさかねぇ〜。
で、その後、90年代の曲を2,3曲やって、曲が終わると“弾き語りをやる”といって、ギターを持つと、ステージの左端へ移動しました。
そこで弾き語りを2曲(くらいだと思う)やったんですが、初めの曲が“逆流”だったんです。
いや〜、しょっぱなから大サービスですな。
で、次にステージの右端へ移動。
まず最初が“夏祭り”、いやいや大サービスですなぁ。
少し前ライブ(多分、横浜の赤レンガ倉庫のライブだと思う)をTVで放映してるのをたまたま見たとき、“夏祭り”やってたと思うんですけど、あれはカポなしでやってたんでキーが低かったんですが、今回はカポ4フレットへ付けてやってたんで、結構まじめにやってくれてるなぁ、って印象を受けました(普段が不真面目って言うことじゃないですよ)。
エンディングのギターをまた違うバージョンでやってたんで、コンサートのDVD買って分析せねばっ!!
で、その次は・・・“ひざまくら”っ!!
しまったぁ!、この曲の存在を忘れていたぁっ!!
ホンッとに久々に聞くこの曲、70年代の長渕さんの代表曲のひとつ、何で忘れていたんだろ・・・。
そして長渕さんはセンターに戻り(だって“♪センターに立つのは決まって誰だい?”、“♪それは私です”、ですから(byわがまま、友情、Dream & Moneyより))、いつものメンバーを集めました。
“俺は言いたいことがある”とか“世の中に言いたいことがある”とか言い出すんで、何やるかと思っていたんですが、このフォーメーションの場合、“お家へ帰ろう”なんで、まぁそうかなぁ、とか思ってはいたんですけどね。
で、まぁ、“お家へ帰ろう”をやり始めたんですが、言いたいことを言うために歌詞の内容を替えて(替え歌?)歌ってました。
まぁ、この歌はメッセージソングなんで、時代が変化したならばしたなりに歌詞替えて歌ってもなんの問題も無いんですけどね。
そしてその後、90年代の曲を2,3曲やって、次に来たのが“勇次”っ!!
―――――ご存知無い方のために、ここで補足トリビアです――――――
この曲の2番で“♪檄鉄が起こされ”、“♪俺たちは駆け抜けた”って歌詞があるんですが、この“檄鉄が〜”の後にピストルの発射音(破裂音か?)が入るんですね。で、コンサートとかライブでは、この時に客がクラッカーを鳴らすってのが定番なんです
―――――――――――――――――――――――――――――――
何回かコンサートとかライヴとか行っていたんですが、毎回クラッカー持って来てなかったんで、毎回、“しまったぁっ!!”とか思っていたんです。
でも、今回は友人が持ってきてくれてたんで、最近マジで言ってなかった“わーいっ!!”とか言ってしまいました。
で、待ってましたっ!!、とばかり、友人に“クラッカー、クラッカーっ!!”と、急き立ててしまいました(私が持ってきたわけじゃないんですがね)。
曲が始まり、いよいよその時がきました。
“♪檄鉄が起こされ”・・・クラッカーを頭上に掲げて効果音に合わせて紐を引くと、“パァーン”、と、クラッカーが弾けました。
おぉっ、長渕さんのライヴだぜぃっ!!とか思ってしまいました(コンサートだって・・・)。
で、次の曲が“LICENCE”でした。
これは、このお話の冒頭でもお話した(その部分が収録されているお話はこちら)長渕さんの幼い頃のことを歌った曲で、この鹿児島の地でこの曲をやる長渕さんの心境はどうだったんだろう?って思いました。
で、次が“しあわせになろうよ”だったんですが、こちらは’04ヴァージョン(All
Cast feat.ZEEBRA)でした。
言わば“長渕ファミリー”的な、つまり“しあわせになろうよ”をカヴァーしているアーティストたちが総動員で“しあわせになろうよ”を歌ったのでした(ZEEBRAもいたってことね)。
で、これで第一部が終了。休み時間に入ったのでした。
ちなみに、このコンサートは結局3部構成で行われた訳ですが、内容を見ても、第一部では一回分のコンサートの内容くらいやってくれた訳ですね(ここまでで16曲)。
あと、言いたいことが・・・、弾き語りのとき、長渕さんってば曲の終わりごとにハーモニカを客席に投げるという大盤振る舞いでした。そのたびに私は、“あぁっ”とか“いいなぁ”とか言っていたのでした。
(次回は、コンサート第2部のお話です。なんとっ!!、この曲やるかぁ!?って曲が出てきます。乞うご期待っ!!)
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去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
えーっと、今回コンサートのお話以外に書いておきたいことがあるんでここに書きます。昨今のプロ野球の話です。
それでは前回の続きから・・・。
そんな訳で、何とか席(っていうか場所)を確保した私たちでした。
人だらけの中、この場所から立ち去ったが最後、他の人にその場所を取られてしまいそうな雰囲気だったんで、私は“究極奥義 清浄房無双転生”を繰り出すことにしました。
“究極奥義 清浄房無双転生”とは、私が極限状態から編み出した究極奥義で、自らの意思で食欲と排泄欲を長時間に渡って抑制する、まさに生き上人のような道を極めた人間にのみ習得できる奥義です。
ってのは嘘で、要は仕事柄クリーンルーム(チリ、ホコリを一般の環境より少なくした部屋のこと。半導体の製造などは、こういう部屋で行う)に入る機会が多く、このクリーンルームに一旦入室するとなかなか外へ出られない場合が多いんですね。
このとき、場合によっては大小便を我慢しなければならない場面に遭遇することがあったんで、それなら最初から食べ物や水分を自ら制限してなるべく外へ出ないようにしているうちにそう言う事ができるようになった訳です。
慣れれば16時間ぐらいなら便意をもよおさないようにすることもできます。
ってのもクリーンルームって言う所に入るには“クリーン服”なる全身タイツというか忍者みたいな格好をしなければならないんですね。
そして現場へ到着するまで、または、現場から外へ出るとき、一番長いときは1kmはあろうかという道のりを歩かなければなりません。
この場合、現場で便意をもよおしてトイレへ到着するまで途中で着替えなどする手間も含めて有に30分はかかり、下手したら途中で漏らしてしまうかも知れません。
で、さらに現場に戻るまでに30分はかかるんで、仕事上非常に効率が悪いわけです。
と、まぁ、クリーンルームって所は入ったら入りっぱなしの方が何かと好都合な訳です。
そんな訳で私はこの場をフェリー乗り場で買ったお茶500mlとお菓子で凌ぐことにしたんですが、結局、友人が休み時間のたびに飲み物や食べ物を買ってきてくれたんで(会場内での飲食は禁止されていましたが)それなりに空腹も満たしたし、渇きも潤すことができたんですがね。
でも、私はコンサートが終わった朝6時半まで、その場を一歩も動きませんでした。実際トイレには一回も行きませんでした。これはもう忍の一字ですな。
と、忍耐話はこれまでとして、いよいよ午後9時となり開演時間となりました。
しかしながら予定時刻となってもコンサートが始まる感じはありません。
まぁ、大抵の場合、長渕さんのコンサートなんかは開演時間ちょうどに始まることなんて無いので、いつものことだと思いながら開演するのを待っていました。
途中、前説のネーちゃんがコンサートの注意事項やら枠の中に入れやら指示を放送していましたが、この状況でどうやって入れっちゅーんじゃいっ!!
終いには、枠の中に入らないと長渕さんが出てこないとか言う始末。
それは主催者に言ってくれ、この枠の中に入れるようにしてくれ。
で、前説のネーちゃんも諦めたのか、放送が終了することしばし、上空から爆発音が聞こえてきました。
空を見上げると、そこには花火が花を咲かせていました。
この時は“そろそろ始まりなんで花火でもあげて景気づけてるんかなぁ”ぐらいにしか思っていませんでした。
しかし、単発であげられていた花火もスターマインのように上げられたり、また単発であげられたりして場内から歓声が挙がっていました。
私もしばらく、その花火を見て、おぉっ、とか思っていましたが、ふと、“違うって”と、思いました。
“花火大会見に来た訳じゃねーぞっ、早く(長渕さんが)出て来んかぁーいっ!!”
とか、思っていると、次第に花火の直径が大きくなっていることに気がつきました。
えっ、この花火デカイぞ、れれっ、もっと大きくなって、うわぁこれはデカいっ!!
最後のほうの花火は何尺玉なのかわからないくらいの大きい見事な枝垂れ柳でした。
普通、花火って視界の中に入る大きさだと思うんですが、このときの花火は視界いっぱいに広がっていました。
さすが長渕さん、ヤルことがでかいっ、とか思いましたが、その反面、何でも良いから早く出で来ないかなぁ、とか思いました。
花火も終了し、しばらく何事もなかったんで場内からは“剛ぃ〜〜〜っ!!”と叫ぶ人とか、剛コールがちらほらと起こっていました。
そしてっ・・・、場内の照明が一斉に落ち、歓声が挙がりました。にわかに起る剛コール。
しばらくすると、暗闇の中、爆音が轟きました。
どこからともなく聞こえてくる爆音にきょろきょろしていると、セットの後方からいくつかの光がこちらに向かってくるのに気が付きました。
バリバリと爆音をたてて近づいてくる幾筋かの光、闇の中、シルエットが浮かび、それがヘリコプターであると気がつきました。
しかもかなり低空で飛んできます。実際距離感はつかめませんでしたがヘリの大きさからすると、かなり低空なことが分かりました。
近づいてくるヘリの細部が見え始めた頃、私はそのヘリに見覚えがあることに気が付きました。
着陸脚に付いている球状のカメラ・・・、これってフェリー乗り場で見たヘリだっ!!
そうか、報道ヘリだとばっかり思っていたヘリ、あれってコンサートの空撮用のヘリだったんだ
チャーターするだけでウン百万するぞっ!!金かけてんなぁ。
で、もしかして・・・、これだけもったいぶってるんだから、きっとド派手な登場、つまり、あのヘリから降りてくるとか・・・、とか思っているうちに超低空で会場を旋回したヘリは錦江湾方面へ去っていきました(あれっ?)。
またまた闇の中となった会場ですが、突然、大音響と共にオーロラビジョンに映像が映し出されました。
オーロラビジョンに写されたその姿、バイクにまたがったその姿は紛れも無く長渕さん、その人でした。
いよいよか、いよいよなんだな?と、半信半疑でその映像を眺めていると前方のスピーカよりバイクの排気音が押し出されました。
何故“押し出された”かと書くかというと、その大音量、音圧といったほうが良いぐらいの、空気の塊が私の体を痺れさせたのです。
アクセルを吹かすたびに、その音は私の胸に響きました。
映像はまっすぐな道を爆走するバイク“ハーレー・ダビッドソン”(場合によっては”ディビットソン“とも表記する)を操る長渕さん。
しばらくすると“Take it easy”が流れ始めました。
(次回は、いよいよ長渕さん登場っ!・・・間違いないっ!!)。
はっきり言って球団経営できない状態で球団を存続しても球団の質が落ちるだけです。
金ばかりじゃないけど、金がなければ成立しないのならおとなしく売却されるか、合併してしまいなさい。
あと、1リーグ制にしなさい、巨人がその姿勢を崩さないなら。
そうすれば、どの球団も対巨人戦でTV放映してくれるから、少しは公平にメディアへの露出するんじゃないかなぁ。
とまぁ、結論から書き始めたわけですが、何故こんな話を書くのかは、次回書きます。
<つづく>
(次回の掲載は「桜島燃ゆ−長渕剛 オールナイトコンサート−」の連載終了後となります。でも気が向けばちょくちょく書くかも・・・)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
それでは前回の続きから・・・。
リストバンドをゲットした私たちは、足早にゲートへ向かいました、。
時刻は8時半頃、開演まであと30分。
Bブロック、Aブロック・・・と、テントを過ぎ、いよいよゲートらしきものが見えてきました。
また、前方は序々に明るさを増しており、その近さを物語っていました。
しばらく歩くと、なにやら売店のようなものとかが見えてきました。
スタッフがこちらです、と、誘導していました。
私たちは足早に、そちらへ向かいました。
しばらくすると、またテントが見えてきました(多分これがメインゲートなんでしょう。私はこの辺の記憶が曖昧で、“門”らしきものを見た記憶がありません)。
そのテントでは、スタッフが待ち構えており、その向こうはかなり明るい場所があることがわかりました。
ここが会場への最後の入り口なんだと思いました。
テントをくぐろうとしたとき、持ち物検査があるのは?と、思ったんですが、スタッフの人はリストバンドをちらっと見ただけで、そのまま通してくれました。
いよいよ、いよいよ来たんだ、この地に・・・。
しかし、その場所は地形的に目の前が少し小高くなっていて、会場の全貌は見えません。
しかし、その丘の向こう、格子状の建造物が見えました。
で、デカいっ!!、かなりデカいっ!!多分。
と、いうのも周りに大きさを比較する物が無く、その物がどのくらいの距離にあるのか分からないんで、それが実際どのくらい大きいか分からないんですね。
でも、距離がわからないということは、少なくとも200mは離れていると推測され、それから推測するとその建造物は、かなり大きいものだと推測できました。
更に歩を進めて行くと、まばゆいばかりの光の渦の中、いよいよ会場が姿をあらわしました。
・・・(絶句)、デカい、やっぱデカい・・・。
ゲートの入り口は客席(席というよりエリアかな)の最後方となるんですが、そこから見て視界に全容が入りきらないといことはかなり広いということを意味していました。
そして、ステージまでの距離は、かなり遠くになっているであろうと思われました。
なぜなら、私のいる位置から見える“Aブロック”にいるであろう人は、すでに模様でしかなく、しかしステージのセット(っていうか建造物)ははっきりその構造が認識できるのですから。
これは推測で申し訳ないんですが、多分その広さは200×200mはあると思われました。
と、まぁ、圧倒されてしまった私なんですが、とりあえず指定されている“C−5”ブロックを探すべく友人に事前に持ってきた会場の地図を出してもらうよう頼みました。
友人はカバンから地図を出そうとしますが、なかなか出てきません。
今、思うのですがリストバンドを貰ったときに貰った袋の中に地図が入っていたんですよねぇ。
ちゃんと内容を確認すれば良かったなぁ、と、今は思いますが、そのときはかなり舞い上がっていたんだと思います、会場の雰囲気とかの非日常的な雰囲気に。
なんとか地図を引っ張り出し、とりあえず地図を確認すると私たちの指定されたエリアははるか前方、テントのようなものが建っている場所だということがわかりました。
よぉ〜しっ!!とりあえず行くぞぉ、と、勇んで会場へ入ったのは良いのですが、あれっ?一体私は何処にいるんだ?
会場にはいたるところに看板が立っていて、そこには道案内かブロックの名前が書いてありました。
しかし、そのブロックが目的地と相対的にどのような関係を持っているのが、時より分からなくなってしまっていました。
それでも一応、指定ブロックの看板を見つけ、なんとか辿りつきました。今思うと、結構遠回りをしたんだなぁ、って思います。
で、その場を見て・・・、一応書いときます。
まず、メインステージから、と、遠いっ!!ステージ上にスタッフらしき人影が見えたのですが小指の先、第一関節くらいにしか見えません。
次に先ほどテントらしき建物と書きましたが、これはミキサー用のブースだったんですね。
実は、ここ来る前、友人はこの場所はセンターステージでは無いか?と、言っていて、もしそれだったら物凄いラッキーだったんですけどね。そこは人の表情が分かるくらいの距離でしたから。
で、客席(相撲でいう “マス席”が凄く大きくなった感じ)を見ると、ゲッ・・・、人ばっかり。
しかもその中に入りきらないんで通路に場所取っている人もいる。
でも客席を良く見ると、結構みんな広く場所を取っており、詰めればもう少し入れそう・・・。
しかし、残念ながらそこには“譲り合い精神”という高尚なものを持ち合わせている人は居そうもありませんでした。さすが長渕ファン。
と、仕方なく(こんなこと書いて良いかなぁ)通路の空いていそうな場所へレジャーシートを広げ、そこを私たちの席(っていうか場所)にすることにしました。
これでも、客席の仕切りから2列目(意味分かるかなぁ?)なんですよ。実際コンサートが始まってしばらくすると、3列、4列と増えて、通路なんか人が一人通れるかどうかの広さになっていたんですから。
この時点で8時45分くらい。何とか開演時間までに到着することができた私たちでした。
(次回は、いよいよコンサート開演からの模様を掲載っ!・・・多分)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
それでは前回の続きから・・・。
と、言うわけでコンサート会場への順路へ出ることが出来た友人と私なんですが、いよいよ入場ゲートらしきテントが見えて来たのでした。
しかし、それは入場ゲートでは無く、チケットをリストバンドと交換する場所とのこと(このリストバンドで管理しようと言うわけでしょうなぁ。なんか耳に札をつけられた牛みたい・・・)。
実際のゲートははるか前方にあり、全く見えるような場所では無さそうでした。
と、クローク(荷物預かり所)付近で、またまた人の流れが止まっていましました。
周りはやっぱり人、人、人・・・。
しかも、待てど暮らせど一向に動く気配が無い。
そんな中、一人の男が声を張り上げていることに気が付きました。
どうやらかなりハイなご様子。
5人ぐらいの団体で来ていたようなんですが、かなり回りを巻き込んで騒いでいました。
彼がしゃべる度に失笑が漏れており、関わりが無い人の中でも、その様子を楽しんでいるようでした。
やっとのことで動いては止まりという風ではありながらも流れ始めたんですが、足元が全く見えず、私は縁石でつまづきそうになり、ここでやっと、ここが道路と歩道の境であることに気がつきました。
つまり、それぐらい人が多かったんです。
通勤ラッシュの電車のような込み具合の中、足元が見えない状態で人が移動することは、非常に危険なことなのだと思いました。
と、まぁ、そんなこんなで普通に歩く速度で歩けるようになったんで、人の群れに紛れて歩くことしばし・・・。
“Jブロック”と書かれたテントが見えてきました。
これは先ほども書いたチケットとリストバンドを交換する場所です。
先ほど渋滞していたところのテントは“Hブロック”・・・。
ええっ、まだ“J”ブロックぅ〜?
一体入場ゲートまで、あとどれくらいあるんだ?
多分5分位でテントの間を歩いてきたものと思われるんで、“Aブロック”のテントまで単純計算でも35分はかかる・・・。しかも“Aブロック”から入場ゲート“までの距離がわからなかったんですが、テント間と同じ距離だとしても計40分はかかると思われます。
しかも多分、これは最短時間だと思われ、実際はどっかで渋滞したりする可能性もあるんで、実際の所要時間は1時間位と思われます。
そして現在の時刻は8時前、開演時間は9時・・・。おおっ、間に合うのか?開演時間にっ!!
と、頭の中で考えていると少し焦りはじめ、急ぎ足で“Cブロック”目指した友人と私なのでした。
8時過ぎ、私たちは“Cブロック”テントの前で行列に並んでいました。
一応これでチケットとリストバンドを交換することができる位置につけた訳です。
待つことしばし、いよいよ私たちの番となり、リストバンドをスタッフの方から貰いました。こうして私たちはコンサートへ参加する権利を得たのです。
そして、これがそのリストバンド。私が、その会場にいた証の品のひとつです。
ちなみに、これは使用済みなんで、このような格好をしていますが、実際は平べったくて、穴へホックみたいなのでとめることにより腕にはめるようになっています。
私は元に戻そうとしましたが、ホック部分が外れないようになっていたんで、断念して腕から無理やり外しました
で、リストバンドを貰ったとき、一緒に貰った袋があるのですが、そのものの中身を紹介しましょう。
まず、袋です。
そして、新聞一面の大きさのあるチラシ(?)
これは結構記念になりそう、大きいし、額に入れて飾る予定です。
ちなみに中央の文字を拡大したのがこれです。
“Stay Dream”の歌詞(1番)が書いてあるんですね。
そして、これ。
長渕さんの所をアップにしてみました。ちょっとコワい・・・。
ちなみに裏面は、こんな感じです。
次に、これを紹介しましよう。
名刺サイズくらいの大きさのこのシロモノ。こりゃ何だ?と、思ったんですが、中に紙がたたんであったんで広げてみると・・・、
会場の地図だったんですね。たしかにあの広い会場では、どこになにがあるか分からない・・・、目的の場所を探すのって軽いオリエンテーリングみたいなもんですからね。
ちなみに裏面は、こんな感じ。
コンサートの注意事項が書いてあります。これちゃんと読んで行動すれば良かったのにぃ、みんなぁ・・・。
次に、こんなモノも入っていました。
これはですね、クッションなんですな。横に見える長くて白いものはストローです。
ストローをこのように差し込んで・・・、
息を使って膨らませると、こんな感じになります。
私みたいに袋の中身をろくすっぽ見ていない人は、これの存在さえ知らないかもしれません。
で、一応座ってみたんですが、座り心地はまぁまぁです。
ちなみにこれは、先ほどのストロー差込口から空気を抜くこともできるんで携帯用には便利かも。
でも私はもったいないんで現在使用しておりません。
で、次からは広告の類なんですが、まず定番のものから。
オフィシャルから出しているグッズのカタログですね。
内容はパンフ、Tシャツなどの定番ものが中心ですが、この中から“桜島ならでは”ってのを抜き出して見ました。
“メモリアル溶岩”なるこのアイテム・・・。疑うわけじゃないんですけど、これって会場から採取したって分からないんじゃ・・・。あっ、いやいや、失礼しました。
次に、これっ!!
あんだよぉ〜、これよぉ〜。別にコンサートで売らんでもいいじゃん、こんなの。
しかし、このスコープを覗くと何が見えるんだろう。う〜ん、結構気になる。
と、まぁ気を取り直しまして、次に長渕さん関係の広告を紹介しましょう。
これは、コンサートの模様を載せる予定のフォトアルバムの広告です。
これの特徴は応募した人もれなく、このアルバムにその人の顔写真が掲載されるということです。
ちょっこすブレてて申し訳ないですが、これがさっきのチラシの裏面です。
コンサート終了後、指定された場所へ行って手続きをすると、写真を撮ってくれました。
これは記念になるし、そこにいた動かぬ物的証拠ですね。
次に、長渕さんの音楽活動以外でのものを紹介しましょう。
うーん、これもブレてんなぁ。と、まぁ、少々見にくくて申し訳ありませんが、これって長渕さんの詩画集のチラシです。
私も一度、長渕さんの個展を見に行ったことがありますが、結構人が入っていました。
長渕ファンでない人も見に来られていたんで、結構長渕さんのこと、この絵でアピールできたんではないでしょうか。
次に長渕さんの携帯用オフィシャルサイトのチラシです。
インターネットの方では長渕さんのオフィシャルホームページって見たことあるんですが、今度は携帯のほうでも始めるようですね。
このアオリ文句がなんとも言えません。しかも「お友達にもぜひ紹介して下さい」って・・・。
次に、便乗っぽい奴を紹介しましょう。
マスターカードさん、頑張ってんなぁ、とか思いました。なんでわざわざカードにするかなぁ。
これは裏面です。内容を読んでみると、長渕グッズがもらえる以外はただのクレジットカードです。
ちなみに長渕さんのファンクラブ、“長渕剛クラブ”会員限定の“長渕剛クラブカード”ってのが下の方に書いてあります。これは長渕剛カードに加え、“長渕剛クラブ”の会費を指定の銀行口座から自動引き落としという機能が付加されているそうです。私はファンクラブに入っていないので分かりませんが、会費って自動銀行引き落としとかじゃねーの?
と、まぁ、こんなものを貰って、いよいよ、いよいよですよ、ゲートに向かって歩み始めた私たちでした。
(次回は、いよいよコンサート会場入場からの模様を掲載ですっ!・・・多分)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
えー、4日ぶりに書くわけですが、だんだん記憶があやふやになって行っているんで、なんか自信無くしてきたなぁ・・・。
では、前回の続きから・・・。
えーっと、何処まで行きましたっけ?・・・。あぁ、そうそう、“溶岩グランド”の話からですね。
“溶岩グランド”なる運動場と思しき広場に誘導された友人と私ですが、いったん人を溜める場所だと信じて疑わなかった私は出口を探し、グランドの反対方向に人だかりを発見し、その人だかりに迷うことなく参加したのでした。
そこは小高くなっており林のように木が生えていました。しかし、秩序だって木が生えていたんで人工的なものだろうと思いました。
人だかりは最初、ゆっくりながらも流れがあったんですが、徐々に止まる頻度が多くなり、そしていよいよ動かなくなってしまいました。
隙間はあるけれども人ごみなんで、それなりのストレスは溜まるでしょう。
しかも、道は無く足場は相当悪い上に先の状況が見えない。
人々は口々に「これって違うんじゃない?」とか「引き返したほうが良いんじゃない?」、とか言い始めました。
これらの不穏な空気に私も少々不安になってきました。
群集心理が働いて、なんかトンデもない事故にでもなったら大変なことだと。
「きゃーっ!!」
と、女の人の悲鳴が聞こえました。
ドキっとして、悲鳴の方向を振り返りました。
すると、私の近くで女の人は足を取られたらしく、こけそうになっていて連れらしき男の人に手をとられていました。
よかったぁ、大したこと無くて、ちょっとしたことでもそれが引き金になって将棋倒しとかの惨事になる事例を聞いた事があるので正直ホッとしました。
しばらくすると、止まっては進み、止まっては進みを繰り返し、スタッフらしき人の声が聞こえてきました。
「こちら足場が大変悪くなっておりますので・・・。」
どうやらこの先は階段になっていて足場が悪いということらしかったんですが、自分が階段を降りる番になってようやく理解できました。
そこにはコンクリートの結構急な階段がありました。あまたの人が降りていったであろうその階段は、人々の靴の裏についた土が表面について、非常に滑りやすくなっていました。
こんなんじゃぁとても人は捌けんわなぁ、と、思った瞬間、このルートは正規ではない、と、直感的に思ってしまいました。
となると、今度が溶岩グランドへ誘導されたときに私が考えていたことは、超勘違いであることに気が付きました。
だって今私が通ってきた所は、とても道といえるシロモノでは無かったからです。そうなると出口らしきところが無いということになり、唯一の出口は私たちの入ってきた入り口しか無い訳です。多分“溶岩グランド”は本当に集合場所で、グループなんかで来た人は、一旦ここで合流して会場に向かうという意味だったんだと思います。
そしてあの人だかりは、正規のルートではないんだけど会場へ行く道の近道なんで、人が通っているうちに徐々に人が集まった結果、そのようなことになったんだと思います。
と、まぁ、そんな訳で無事階段を降り、コンサート会場への道を歩いて行くことができるようになったんですが、これはまだ序章に過ぎなかったことをまだ知らない私たちでした。
(次回掲載はたぶん9月6日頃になると思います。いよいよコンサート会場入場が掲載できるか!?・・・無理だなぁ)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
最近なにかと忙しいんで更新が遅れ気味です。すいませんが気長に見てやってください。今日は飲み屋のバーベキューに参加し、非常に疲れた・・・。ので、少し短めにします。
では昨日の続きから。
すごい人だかりの中、フェリーの順番を待っていたわけですが、40分くらいして、いよいよ乗船するときがやってきました。
フェリー乗り場の係員に導かれたのは最下層の車両甲板っ!!
そうなんです。フェリー会社は、あんまりにも人が多いんで客室だけでは量をさばききれず、車両甲板にも人を乗せていた訳なんですな。
で、フェリーに乗り込み、どこに座ろうかなぁ、と、思っていると友人が上の甲板に登っており、手招きをしています。
どうやら上の甲板の方が良いようなので登ってみると、やっぱり車両甲板・・・。
でも、舳先に座ることができ、桜島を眼前にいざ出航となりました。
出航時にかかっていた歌が長渕さんの“気ばいやんせ”。
なんかこの歌って軍歌みたいなんで、この船、TVで見た終戦後の引揚船みたいだなぁ、とか思いました。
フェリーに乗っている間、眼前には夕暮れせまる群青の闇に桜島のシルエットが浮かび上がって、なかなか良い感じ。
15分もするとフェリーは桜島港に接岸し、いよいよ上陸となりました。
で、フェリー乗り場から外へでてみると・・・、これまた会場への道なりに人、人、人の行列。
このくらいになると、人の多さにも慣れたらしく、“でもまぁ、人の流れはあるし、とりあえずそんな大変なこともなかろう”とか思い、人の流れる方向へ歩いて行きました。
途中、友人が“カメラを買いたい”と、言うので道すがらにあったスーパーへ立ち寄りました。
中を除覗いてみると・・・、これまた店の中にも人だらけ。
「レジ待ち20分待ちでーす」、と、店員さんが拡声器でひっきりなしに言ってました。
店員さん、かなりテンパっている様子。
そうだよなぁ、普段こんなに人いないだろうなぁ、売上スンゴいだろうなぁ。とか思いました。
実際後で読んだ新聞に、“半日で1ヶ月分の売上があった”とか載っていたんで、そりゃもう凄まじいの一言ですな。
しばらくすると、友人が戻ってきました。カメラは無かったとのこと。
でもよく考えてみたらカメラとか会場の入り口で没収されるんじゃないか?とか思ましたがね。
さらに歩くこと20分位、人の量もさらに増えて、かなり混んできました。
そして、とうとう人の流れが止まってしまったのです。
この先の道で、どうやらバスを先に通している様子。
まぁ、仕方ないよなぁ、バスツアーとかでくる人もいるわけだし、とか、思っていると少しずつ流れ始めました。
止まっては動きを繰り返し、運動場のような所の近くまでくると、警察官が、「溶岩グランドが待ち合わせ場所となっておりまーす。こちらに回ってくださーい。」とか言っていました。
“待ち合わせ場所”って何だ?とか思ったんですが、まぁ、警察官がこちらに回れというのなら、回れば良いのだろう、と、軽い気持ちでそちらに向かいました。
“溶岩グランド”なる場所へ入ってみると、そこかしこに、間を3m位空けて人の集団が点在していました。まるで災害時の“避難場所”。
大体なんで、ここに集めさすんかなぁ?と、思ったんですが、次の瞬間、合点が行きました。
“そっかぁ、一旦広い場所へ人を誘導して行列の密度を低くしようとしているんだなぁ”、と。
それならきっと入り口と反対側に出口があるんだろうと思いグランドの端を眺め回すと、ちょうど入り口とは反対側に人だかりができていました。
“やっぱりね”、と、思いそちらに向かうと、どうやらその向こうは林のようにはなってはいたんですが人が歩いていっている様子。
私は、なんの迷いもなく、その人だかりに参加したのですが、ところがこれが大きな間違いだったのでした。
(次回掲載はたぶん9月になると思います。内容は・・・、ふっふっふっ、次回のお楽しみです)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
えっと、この話を書き始めて今日で4日目なんですが、やっと鹿児島に着いたところです。ホントにコンサートの話が書けるか不安です(−_−;)。
昨日の続きから。
鹿児島に着いた友人と私なんですが、とりあえず事前の情報では、バスか路面電車でフェリー乗り場へ移動できることは分かっていました。
ホームに降りて、周りを見ていると、どうやら人の大半が流れて行く方向があるんで、それに付いて行くことにしました。
なぜならば、どうも同じ車両に乗っていたのは、コンサート客がほとんどだったようだったからです(確認した訳ではないですが)。
人の流れに付いて行くと、案の定、バス乗り場の近くに出ました。駅の階段を降りて行くと階段の降り口付近でチラシを配っている人が・・・。
チラシを受け取ると、コンサートへ行くにはバスが便利です、の旨が書かれたチラシでした。
つまりバスで行け、と、言わんばかりなんですな。
まぁ、右も左もわかんないんで、とりあえず、人の流れに付いてゆくことに。
と、“南国交通”なるバスが止まっており、フェリー乗り場直通の旨が書いてありまして、これに乗って行けば良いんだなぁ、ということで、バスで移動することにしました。
ここで、ひとつ言いたいことが・・・、これはどうでも良いことなんですが、今回の移動、乗り物で降りるまで席に座れなかったってことが無かったんです。
あの人出で・・・、結構ラッキーだったなぁ。
と、ホントにどうでも良い話は置いといて、バスに揺られながら鹿児島の街並みを眺めつつ、あっ、ここが天文館なんだぁ、などと、またまた観光気分。
と、バスがいよいよフェリー乗り場へと近づくと、徐々に人が多くなり始めました。
どの人が本当にってのは、わからなかったんですが、折りたたみ椅子を持っている人、レジャーシートを持っている人が異常に多かったんで、この人たちはみんなコンサートへ行くんだなぁ、って思いました。
で、フェリー乗り場の建物が見えて、眼前に桜島が拡がりました。
いやーっ、来たなぁ、来たなぁ、桜島っ!!あの雲みたいの噴煙かなぁ、と、桜島、錦江湾、と目線が下がって行き、やがて公園らしきものが見えると・・・。
えっ、これってみんなフェリー乗る人っ!?
長ぁーい行列が見えました。結構長い行列が。で、それが皆フェリーに乗る客だとは・・・、愕然としました。
バスを降りると、ますます、愕然としました。
人、人、人・・・。
フェリー乗り場の近くにあるバスターミナル、フェリー乗り場入り口近くへ降ろされたんですが、乗り場の入り口は閉鎖されており、行列が乗り場とは違う方向へ伸びていました。
うわぁ、これってどのくらい待てばフェリーに乗れるんだろう。長丁場になるなぁ、と、思い友人と近くのコンビニへ、これからの食料と飲み物を買いに行きました。
で、コンビニへ到着すると、飲み物は結構あったけど常温に近く、おにぎりなんかの食べ物は全く無い状態で、人出の凄まじさを物語っていました。
このとき、かなり過酷な状況になるだろうという想像はつきました。
多分、この先もかなり買い物は困難だろうと。
とりあえずお茶の500mlペットボトルを2本と300gくらいあるしょっぱそうなお菓子を買い、店を出てフェリーにのる行列の最後尾へ付きました。
行列の中、周りをそれとなく見回すと、実に色んな人がいて結構楽しめました。
カップル、女3人連れ、男5人連れ、家族4人連れ、おばちゃん2人連れなどなど・・・。
片手にビールを持って飲みながら歩く人(そんなに飲むとおしっこ行きたくなっちゃうから止めなさい)、楽しそうにしゃべりながら歩く人(そぉだよねぇ、楽しみだよねぇ)、無言でうなだれている人(・・・疲れてんねぇ)。
道端には露店がちらほらと軒を並べ、お祭り気分が漂っていました。
で、更に行列を進んで行くと、さらに悲惨な状況が。
うわぁ、これみんな並んでるのかよっ!!
フェリー乗り場の前は公園のようになっていて、公園沿いに遊歩道のような道があるのですが、その道を全て人が埋め尽くしており、列は1kmはありそう・・・。
ちょうど、その行列の中で桜島の写真を撮ったんで、どのくらいの人出だったかがお分かりになればと思います。
桜島フェリーは まだずぅっと、この先 THE 桜島 垂水フェリー(だと思う・・・) (乗るフェリーは、これじゃなかったです)
ここらへん、全部人です(汗)
この光景を見て、“マジですかぁっ!?”(恋のダンスサイト風に)と、心で思う私なのでした。
(次回8月27日はフェリー乗船から、できればコンサートの模様などを収録する予定です、って、まだ先そうだなぁ、コンサートのこと書くの・・・)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
この話書き始めて三日経ちます。しかも一日空けてるんでコンサートから四日経つんですよねぇ。内容を覚えているうちに全て書ききれるんだろうか?
と、まぁ、そんなわけで(どんな訳だ?)昨日の続きから書きます。
コンサートへ行く道中、だんだん不安になってきたと前回書いた訳ですが、これが何故かというと、コンサートの場所、そして過ごす時間なんかを考えると、果たして自分の体力が持つのだろうか?と、いうことに不安を持ち始めたんですな。
まず、野外ということ。これは造成したとは言え、更地のような状態であると聞いていて、さらに石とかゴロゴロしているとか、そういう噂を耳にしたんですね。
そして時間。開演は夜の9時、終演は明けた翌日の朝の5時を予定しているとのこと。
コンサートをやっている間、8時間はその足場の悪いところで普段立って仕事でも無い人が、ずうっと立っているって相当しんどいことじゃぁないですかね。
とまぁ、そんなことを考えていたらば“体力大丈夫だろうか?”とか思うようになったわけです。
そんなこんなで、博多駅に到着しました。
ここからは“リレーつばめ”、新幹線“つばめ”へ、乗り換えるために在来線のホームへ。
ホームへ着くと・・・、うわぁ、すんげー人だかりっ!!
“リレーつばめ”って6両編成ぐらいなんですが、自由席が1.5両(2両のうち1両全てが自由席、もう1両が半分自由席で半分指定席、多分喫煙車両なんだろう)なんです。
その自由席へ乗る人で、かなりごったがえしていました。
で、電車が到着すると、あっという間に乗車率120%。
で、まだ乗ろうとしている人がいる。
ウンザリして、時刻表を見上げると、次の列車が15分待ちぐらいだったんで、取り合えず次の列車に乗ろうと、乗車待ちの列の後ろで並ぶことに。
電車が発車してみると、結構みんな待っていてまだ結構後ろの方でした。
まぁ仕方ない、待つかぁ、と、思っていると、近くを通った男の人が駅員さんに、喫煙できる自由席の車両はどこで待っていれば良いか、というような話をされていたんで聞き耳を立てていると、ここ(私の並んでいる列のところ)にはその車両は着かないので、次の車両のところで待ってくれ、と、いう旨のことを言っていました。
で、駅員さんが言うところを見ると、だぁれも並んでいません。
やったぁ、速攻並ぶしかないっ!!と、思った刹那、さっきの男の人と何人かが移動を開始。
ややっ、遅れを取ってはっ!!と、思い、そちらへ移動すると、なんとか前から5人目くらいの位置を確保することができました。
電車が到着し、車両に乗り込むと、うまいこと2人分の席を確保し座ることができました。
今思うと、リレーつばめには2時間は乗っていなければならず、ずうっと立っていくんじゃ、かなりしんどかったなぁ、と、思います。
新八代駅までの道中、車窓の外を眺めつつ電車に揺られていると、今度はだんだん鬱になってきました。
さっきの不安が今度は鬱な気分にさせたんでしょう。
友人に“なんか、だんだんイヤになってきたんだけど。”と、言うと、友人が“俺も。”とか言うんで思わず笑ってしまいました。
それからというのも、“なんで桜島でやるんだよ”とか“こっちの会場でも良いじゃん”とか、“歳のこと考えてくれよな”とか、散々友人とふざけながら愚痴をこぼしてると、なんだか気分が晴れてきました(どういうファンなんでしょう、私たちって)。
それに博多の市街地を抜けたところ結構のどかな風景が見えはじめ、鳥栖市に入ると、ここが佐賀県かぁ、“はなわ”の歌で有名な。とか、結構観光気分。
ちなみに佐賀県では“ヘル中”(ヘルメットを被って通学する中学生)とか、“妙にデカい蟻”とかは見かけませんでした(そりゃそうだよ、電車に乗っているだけだもん)。
と、まぁ、そんなこんなで新八代駅に到着し、九州新幹線に乗り換えるわけですが、ここでひとつ文句をいっておきます。
電車の社内アナウンスで、「この電車(リレーつばめ)は新八代駅でつばめと接続します。」って言うけど“接続”ってどう言う意味?
新幹線にこの列車が連結して鹿児島まで行くのか、それとも、乗り換えろって意味なのか、いまいち意味不明です。
まぁ、結局乗り換えるということだったんですが、私も初めて乗る九州新幹線。友人は 「(内装に)木が使ってあって綺麗だってよ。」と、言ってました。
実際乗ってみると、なるほど、あちこちに木目調の材料が使ってある。たしかに落ち着いた気分。
って、あぁっ!!、席全部埋まっちゃたぁ。しかも友人はちゃっかり座ってるし・・・。
しかたない、立って行くかぁ、鹿児島中央駅まで30分ぐらいだって言うし・・・(実際は40分ぐらいなんですけどね)。
と、友人にデッキへ行くと言い、そちらに向かいました。
デッキへ行くと、そこも結構人が多くて・・・、とりあえず友人の所へ戻りました。車内の通路に人は立ってなかったし、しゃべっていると気が紛れますからね。
で、次の駅へ到着すると、女の人の二人連れが降りるじゃありませんか。
超ラッキーと、思い友人を呼んで、その空いた席へ座りました。
落ち着いたところで、色んなところを見回してみると、確かに木目調の材料が多かったです。
しかも座席が2列2列の配列なんで東海道とかの新幹線よりも座席が広く感じられました。
で、これが一番良いなぁ、と、思ったのが、座席ごとに肘掛があるということ。
東海道とかの新幹線では、肘掛取り合戦が繰り広げられますからね。
あと洒落ているなぁ、と、思ったのが、窓のブラインドがスダレ(って言うか巻き簾?)だったんです。
これには、ちょっとびっくり。
と、そうこうしているうちに鹿児島中央駅へ到着。
キタ------------------ッ\(@◇@)/
いよいよ長渕さん生誕の地、鹿児島の大地(駅のホームのコンクリート)を踏みしめるときがやってきたぁっ!!、と、感慨ひとしおだったら良かったんですが、実際のところ、“こっからフェリー乗り場までどうやって行けば良いんだろう?”とかマジで考えている私なのでした。
(次回8月27日は鹿児島市内の移動の模様などを収録する予定です、って、いつになったらコンサートのこと書くんだ?)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
いやいや、一日開けてしまいました。昨日は飲みに行ってたもんですからっ!!残念っ!!(by波田陽区)。
と、言うわけで、次の話に参りましょうか。
今年の2月頃だったかと思います(うーん、あんま記憶ねーなぁ)。
友人からの連絡。
「おまえ、桜島行く?」
おぉっ!!忘れておったわい。そーいや、今年って桜島(ライヴ)の年じゃんっ。
いよいよチケット発売かぁ。今のうちに取っとかねーと、いい席なくなっちまうかもなぁ。
と、思い、ひとつ返事で、「行くっ!!」と、返事をしたのでした。
で、友人はファンクラブに入っており、ファンクラブ枠でチケットが取れるとのこと。
ファンクラブ枠って、フツーのライヴならアリーナ席じゃん。これはラッキーかもっ!!
と、言うわけで友人にチケットを取ってもらうことにしたのでした。
そして6月頃(これも定かではない)、またまた友人から連絡。
「チケット取れたぜぃ〜、いやー、まずは第一関門クリアだなぁ。」
おぉっ、取れたかぁ、ホントいよいよ現実となってきたなぁ、と、思ったのでしたが、よくよく考えてみると、もう2ヶ月。もうすぐじゃんっ、って思っていると、次に友人が、
「おまえ鹿児島まで、どうやって行く?」
そぉーじゃんっ。鹿児島まで行くのってどうしたら良いんだろう?
普通の日なら、何とでもなるけど、こういう特別な場合はちょっとわかんないなぁ。
電車なら鹿児島の主要駅には行けるけど、そっからどうしたら桜島に渡れるんだ?
と、いろいと考えていると、
「JR(?)でコンサート用の切符出してるんだってよ。俺はそれにしようかと思うんだけど。」
と、早く言いなよ、そーゆーことはぁっ!
友人の話によると、博多から特急の“リレーつばめ”、新幹線の“つばめ”でから鹿児島中央駅まで行き、更に桜島へは桜島フェリーで行くことになるそうで、これらの往復券をセットで販売しているとのこと。
なぁんだ、博多から先の交通手段があるんだったらなんとでもなるじゃん。
例え上海に出張行ってても、その気で頑張れば福岡までなら飛行機行ってるもんね。
と、思い、そのチケットも一緒に友人に頼みました。
8月8日
この日は飲み屋の社員旅行(って言っても私は社員ではないんですが)で伊豆の伊東へ旅行していたときのこと。友人からの連絡で、
「チケット来たぜぃ〜、いやー、いよいよだなぁ。」
確かに、いよいよだなぁ、思い起こせば今年2月(だから記憶無いんだって)、まだまだだなぁ、とか、ホントにやるんかなぁ、などと思っていたときが懐かしい。
2週間後の今日、桜島にいるんだなぁ、と思っていたらふいにワクワクしちゃいました。
8月20日
コンサート前日、この日はいつもの飲み屋に行きまして、コンサートの話なんかしてました。話の中で“Tちゃん子供生まれたってぇ。明日見にいってくるでね。”と、いう話が出ました。
“Tちゃん”というのは、この飲み屋の元従業員で、妊娠したので店は辞めてしまったんですが、今でも店のママ以下従業員とは付き合いがある娘です。
そぉなんだ、T嬢の子供が生まれたんだぁ、なんか良いタイミングだなぁ、と、頭の中で長渕さんの“NEVER
CHANGE”のBGM付きで思いました。
8月21日
いよいよコンサート当日。この日は前日(って言うか当日の朝?まで)飲んでいたせいか、少し頭が痛く、あんまり良い気分ではありませんでした。
しかし、徐々に覚醒して行くうちに、“今日コンサートじゃん、いよいよじゃんっ”と、ベットから飛び起き身支度をしていると友人から“今から(家を)出ます”との連絡が。
よおし、俺もっ、と、思い家を飛び出しました。
電車のホームにて、あと5分で電車到着というところで友人へ電話。
友人は私よりも(桜島から見て)遠くに住んでいるので、前の駅でこの電車へ乗るよう、事前に打ち合わせといたんですが、電話から「電波の届かない所におられるか・・・」のメッセージが。
なんで?とか思ったんですが、朝の電話であの時間帯なら、この電車のどっかに乗っているはずだと思って電車へ乗ったのでした。
で、乗り換え駅のひとつ前の駅を通過したところでメールを受信。
なんだ?と、思って見ると「三号車に乗っている」という文章。
なんだぁ、乗っていたじゃん。しかしメールでよこすとは。メールセンターでメール止まっちゃったらどーするつもりなんだろ?でもそこまで深く考えて無いよなあ、しかも「三号車に乗っている」だけだもんなぁ。何時発の電車に乗ったとか、そういう連絡をくれよなぁ。
と、いろいろ考えていましたが、ふと、“俺も連絡しないとダメじゃんっ”と、我に返ってメールを返信したのでした(でもこれって私もダメじゃん)。
乗り換え駅にて、なんとか友人と落ち合うことができ、次の電車に乗りました。
ここで、いよいよ各種書類とご対面と相成りました。
まず、コンサートのチケット(この画像は、モギったあとのものですけどでね)。
“C−5ブロック”のでした。
そして、博多から鹿児島中央(フェリー付き)の切符。普通切符って駅で回収されてしまいますが、駅員さんにお願いして貰っておきました(見にくいですが、青いスタンプで“無効”とか、“乗車記念 使用済”とか入っています)。
↓“長渕剛ツアー”ってちゃんと書いてあります。けっこう記念になるかも。
ちなみに桜島フェリーの切符は、乗船時に回収されてしまうので映像としては残っておりません。なんか、スーパーの2色刷りチラシみたいな感じの印刷で、偽造できそうだなぁ、あぁ、いかんいかん、そんなことを考えては、とか思いました。
で、他にもコンサート会場の案内とか、友人は色々持ってました。
と、このようなものを見て、いよいよだなぁ、と、思っているとなんだか不安な気分になってきました。
(次回8月26日は鹿児島へ移動の模様を収録する予定です)。
去る平成16年8月21日から22日、鹿児島県の桜島にて長渕剛さんのオールナイトコンサートが行われました。
私は、この歴史的コンサートに行ってきました。以下の文はそのときの内容を記載しています。
しかし、このコンサートだけは、ただの紹介では語りたくないし語れないので、私の私情や考察を交えつつ何日かに渡って紹介してゆきます。
最初の話は、約2年前にさかのぼります。
専門学校の頃知り合ったW氏から、連絡がありました。
「なんかなぁ、2年ぐらいあとに桜島でデッカいライヴやるらしいんだわ。」
氏の話に、私は「何で?」って思いました。
知っている方もおいででしょうが、長渕さんは鹿児島県出身。
まぁ、普通なら「故郷に錦を飾る」って言う意味、つまり「凱旋」的なイベントだとお思いでしょう
しかし、長渕さんの歌の中に出てくる故郷“鹿児島”は、あまり良いようには歌われておりません。
長渕さんが故郷にいた頃を歌った歌で“LICENCE”と“いつかの少年”ってのがあります。
“LICENCE”の中の長渕少年に映る風景は複雑です。
歌詞の中で“バラック小屋に4人暮らしでとても幸せだった”、と、歌われているのですが、それから2小節あと位に“あの路地裏で、いつもお袋は泣いてた”というくだりが出てきます。
これは、結構小さい頃のことを歌ったものなんだと思います。長渕少年には幸せだったのかも知れないのですが、家庭としてはあまり良い状態ではなかったんではないでしょうか。
次に“いつかの少年”では、少し成長した長渕少年が出てきます。
これによると “鹿児島” (歌詞では“KAGOSHIMA”と表記)は長渕さんにとって“いつも泣いて”いて“ひ弱で邪険で不親切な街だった”そうです。
両親は“泥にまみれて銭をうらや”んでいて長渕少年は“そのど真ん中で俺は打ち震えて”おり、“ごうごうと不安が立ち上る棲家”では“凍える風が暮らしをすり抜けて行”くし、雨が降ったときの“雨どいを伝うしずくを見るのが、たまらなく嫌”で“逃げたしたくて思いをかきむし”ってた訳です。
このように、見るものなすものぜんぶイヤッ!!的なことは情緒が不安定な思春期あたりで感じることだと、私は思います。
と、まぁ、このように故郷が嫌いだった長渕さんなんで、私は「何で(嫌いな鹿児島でやるわけ)?」とか思ったわけです。
今思えば、2年前くらいから長渕さんの心境の変化ってのがあったのかも知れません。
歌で言うと“とんぼ”ぐらいから“RUN”ぐらいまでの約十年余り、長渕さんのスタイルは“悪者”なんだけど“正義”を貫くみたいな感じだったわけです。
しかし、大麻不法所持で検挙されたり、インドへ言ってカルチャーショックを受けたり、最愛の実母が亡くなられたりして、考えがいくらか変わったようです。
あんまりそういうことに、なんと言って良いか分かりませんが、過去にこだわりが無くなったとか、そういった事とかにこだわらなくなったようです。
長渕さんって物事に対して極端な行動に出るし、行動力も人並み外れているんで、たまにトンでもないことをしでかすわけですが、今回も多分、そういう感じで行動していったんでしょうね。
結果、故郷へのわだかまりも消えて、今度は逆に感謝の気持ちが出てきたようです(そのことは最近リリースした“桜島”という歌によく表れています)。
そして長渕さんなりの故郷への最大の感謝の表現が桜島で大規模なコンサートをやることだったんでしょう。
と、まぁ、長渕さんの(私が勝手に想像した)意気込みもさることながら、このコンサートが最後じゃないか、とか、“ツブ”れる(なにがツブれるかわからないんですが)までやるとか、本当か嘘か分からない噂もあったんで、最後のコンサートだったら、それ以降コンサートが見れなくなるし、“ツブ”れるのもなんだかスゴそうなんで、「これは絶対行かねばっ!!」、と、心に決めた2年前でした。
<つづく>
(次回8月24日はチケット獲得から鹿児島へ移動の模様などを収録する予定です)。
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
2週間ぶりに、月記を書く。
まぁ、いろいろあったけど、大イベントってのはあんまりなかったかなぁ。まぁ普通の生活。
そぉだなぁ、そーいや、今月の8,9日で飲み屋の社員旅行に同行したくらいか。
一日目は伊豆の伊東へ。
車で行ったんだけど、高速道路で事故があり、結局どこへもよらずに宿へ直行。
久々に温泉へ入ることができてまぁ良かったけど、昨今の温泉問題があるからなぁ、複雑な心境。
二日目は富士急ハイランドへ。
この日は月曜日だったんで、空いてるかなぁ、と、思ったが、結構な人出で結局目玉のアトラクションへ入ることができず、園内をブラブラしていただけだった。
あ、そうだ、お化け屋敷的なものがあったんでそこに入ったが、よっぽどじゃぁないと驚かないんで、まぁ、つまらんと言えばつまらんかったなぁ。
オリンピックの時期となり、早速サッカーの試合が男女ともあった。
女子は勝ったが男子は負けた。
男子はねぇ、仕方ないんだよねぇ、フル代表経験者も少ないし、オリンピックってんでビビってんじゃないかなぁ。
国際ユースの経験者もいるんだろうけどねぇ。
しかし、女子は以外や以外、スウェーデンに勝っちゃったんだよねぇ。
以外と期待できるかも。
あとの競技はいいや、どーでも。
最近、映像ファイルの圧縮について色々調べている。
だんだんなんだか意味がわかってきた。
同じファイル形式で同じ時間分くらい再生時間があり、画質もそんなに変わらないのにファイル容量が違うのって、ファイル圧縮してんだねぇ、それって。
確かに、インターネット経由―いわゆるダウンロード−で映像ファイルを再生する場合、たとえば、4GByteを一気に再生しようと思ったらその容量も必要だし、いくら通信速度が最近速くなったって言っても、その容量をすべて転送するには時間かかるよねぇ。
それだったら、圧縮を解凍しながら再生すれば、通信速度、容量とも節約できるし、レスポンスを良いわけだ。頭いいねぇ、これ考えた人って。
とまぁ、ファイル圧縮していると分かったところで、今度はその圧縮の方法を調べると・・・、いっぱいあるんだなぁ、世の中に、圧縮の方法って。
でも、主流となっているのは、2,3個らしいけど。
あと、映像と音声って別々に記録されてんだねぇ。
確かにテレビなんかでも、映像周波数と音声周波数は違うし、変調だって映像はAM、音声はFMだもんなぁ。
映像と音声は別々に圧縮できる、っていうか、そうじゃないと出来ないってのも分かった。
あと、音声って圧縮方法(CODEC)で実行後の容量にかなり差が出ることも分かった。
映像と音声を別々のファイルにすることができるのだが、これをやってみると、条件設定にもよるが、映像のファイルと音声のファイルが同じくらいの大きさになる場合がある。
素人的に考えても映像の方がデータが多いように思えるのだが・・・。
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
突然ではあるが、5月15日から壊れていたテレビが、なぜか知らないが一昨日から復活した。
なぜテレビの電源を入れようかと思ったかというと、7月25日は見たい番組が目白押しだったからである。
まず、テレビ朝日系列でサッカー五輪代表の壮行試合があった。これが19時からである。
そしてフジテレビ系列の“27時間テレビ”、やはり19時の時間帯で、あの具志堅用高氏とナインティナインの岡村氏によるボクシングの試合があった。
さらに20時からは、NHK大河ドラマ“新選組!”があった。
うーん、困った。27時間テレビとサッカーと大河ドラマを同時に見るにはテレビが3台必要だ。
しかし、今、私はパソコンにテレビチューナをつけてテレビを見ている。
この場合、録画を行うと他のテレビ局が映らない−つまり、裏番組の録画が出来ない−のである。
ところが、壊れて久しかったテレビには1つの画面を二分割して別々の放送を見ることができるという買ってから気が付いた便利な機能がついているのだ(ただし、音声はどちらか一方の画面のものとなるが・・・)。
これならば、サッカーとボクシングをテレビ見て、ドラマは録画することで成立するのだ。
と、言うわけで、あまり期待をしないまま2ヶ月近く抜いてあった電源プラグをコンセントに挿して、電源を入れてみた。
すると、何事も無く映るではないかっ!!どーゆーことだいっ、これはぁ!?
と、まぁ、なんにせよ映ればいーじゃんっ!!と、気を取り直して早速テレビへアンテナ線を繋ぎにかかる。
考えてみると、なんでこんなテレビアンテナの周辺部品が揃っているんだろう?と、思うほどテレビアンテナの部品、線材は揃っているので、すぐ繋ぐことができた。
しかし、衛星放送アンテナ用の同軸ケーブルを地上波用へ転用したので、今度は衛星放送が見られない。
さらにアンテナ線を探していると、なぜか1mくらいあるF型コネクタで両端加工してある同軸ケーブルがテレビの裏に転がっている。
衛星放送用ではないが、すかさず配線してみる。
アンテナを調整すると、映るようになる。
これで、5月15日以前の状態になった、いや、パソコンがあるだけグレードが上がったというわけだ。
と、言うわけで晴れて3番組すべて見ることができたのである。
あけて7月26日、兼ねてから懸案であったパソコンで録画したテレビ番組のデータを普通のテレビ画面へ表示する作業にかかる。
やはりパソコン用のモニタだと表示の応答速度が遅い、まぁ、元来、そんなに表示速度を求められていない訳だし、当然といえば当然である。
でも、モニタで見た直後くらいにテレビを見ると、非常になめらかに表示されているように見える。
と、まぁ、テレビも復活したわけだし、普通にビデオのように見られたほうが何かと便利なんで、早速作業を行ってみた。
機器構成としては、LAN対応のDVDプレーヤーを使う。
これをテレビにつなぎ、LANでパソコンで繋ぐわけだ。
考えてみれば、この方がビデオ出力カードとか使わなくても良し、DVDプレーヤーなら、最近は非常に値崩れしているので廉価で手に入る。
今回使用したバッファローのDVDプレーヤーは¥18,000である。
多分これならビデオカードを買うよりも安いのではなかろうか。
で、LAN配線であるが、これらは会社からカッパら・・・いや、借用してきたストレートのケーブルとハブを使って配線する。
初めは、クロスケーブルを買おうかと思ったが、考えてみればLANを増設した場合、クロスだと要らなくなってしまう可能性が高いし(まぁ、コネクタの接続を片方やりなおせば済む話だけど)、会社にはそういう機器がゴロゴロしているので、しばらく拝借することにした。
で、DVDプレーヤーをテレビに繋ぐ。
LAN用のアプリをパソコンへインストールし、手順どおりスイッチを入れる。
あれ?DVDプレーヤーがパソコン認識しないじゃん。取説には勝手に認識するって書いてあるのに・・・?。
あっ、そうか。パソコンのLANって今まで何にも繋いでなかったじゃん。
IPアドレスとかなんにも設定してなかったなぁ。
ではDVDプレーヤーのIPアドレスってどうなってんのかなぁ。
と、言うわけで、DVDプレーヤーのIPアドレスを見てみると、なんとなく設定してあるのでパソコンの方でIPアドレスをDVDプレーヤーのアドレスに合わせることにした。
でも、考えてみると、モデムでインターネットにパソコンで繋げるようにしてるけど、IPアドレスをサーバーから取得したときにアドレスがかち合うことって無いんだろうか?などど思ったりする。
まぁ、そん時はそのときだわ。と、思いつつIPアドレスを設定する。
おっ、なんとか認識したぞ。と、言うわけで今度はとりあえず音楽データを再生してみると・・・あれっ?音が出ない?
なんで?とか思ったが、もしかして、と、テレビとDVDプレーヤーの配線を確認してみる。
はっはっはっ、配線間違えてんじゃんっ。
メカオンチのおっさんか、俺は。
などと、突っ込みを入れつつ配線を直す。
やったぁ、なんとか音がでるようになったぞ。
と、まぁ、そんなこんなで、なんとか録画したデータを再生するところまでこぎつけることができた。
ところで、このDVDプレーヤー、単なる偶然なのか、それともスグレものなのか。
今、テレビチューナーはNEC製のSmartVisionを使用してるのだが、これの保存されているフォルダを見ると、拡張子が“m2p”というおかしな拡張子となっている(多分mpegの一種なんだろうけど)。
以前、MicroSoftのMediaPlayerでこのファイルを実行してみたところ、初めの1,2分は動画部分だけ再生し音声は出なかった。
しかも、それ以降はハングアップしてしまうという、なんとも困ったシロモノなのだ。
で、今回、このDVDプレーヤーを使って、同じように再生してみると、何事もなく再生してしまうのだ。
これが非常に便利で、録画しながら別のデータをDVDプレーヤー経由で再生しても、今のところ何ら問題が無い。
普通のビデオなら出来ない芸当である。
と、言うわけで今回、私の目標はひとまず達成できた。
これからは、とりあえず現状モデムでインターネットへ接続しているが、LANの設定もしたことなんで、ルーターに挑戦してみようかと思う。
それには、まず、金が必要だな。
■
宮○真緒
■
室○佑月の人生
えー、突然ですが、明石海峡大橋を淡路島のサービスエリアから写した写真です。
と、言っても遠景過ぎるし、橋を写そうってのに中心から被写体がずれてるってんで、なんだか分からないかと思いますが・・・。
これは出張の帰りに撮ったもので、珍しく昼間移動することができ、かつ天気が良かったので写して見ました。
ちなみに、携帯(Docomo D505iS)のカメラで撮ったんで、やっぱちゃんとしたカメラで撮らないとダメかなぁ(って言い訳だな)。
うーん、やっぱ才能ないよなぁ、とか思いながら掲示してみる私・・・(^_^;)。
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
最近パソコンを買ったおかげで固定電話の電話代が多くなってきた。
とはいえ、携帯電話を持ってからというもの、大体携帯でコトが足りるので固定電話はめっきり使わなくなっていたんだけどね。
ひどいときは通話料が0円なんてときもあって、固定電話って意味ねーじゃん、って思ったこともあった。
しかし、固定電話の電話番号が無いと、諸所の契約事ができない、なんて噂も聞いていたんで止むに止まれなかったんだよねぇ。
でもまぁ、パソコン買ったおかげでインターネット接続という目的ができ固定電話も数年ぶりに活躍できるときが来たわけだ。
ところでインターネット接続で一番廉価で通信速度が速い手段ってどれだろう?
今のところ、私は普通にモデムで電話回線へ接続するという旧来からある最もベーシックな方法で接続している。
と、いうのも私はインターネットへは、ほぼアクセスしないからである。
例えば、
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このホームページのデータをアップロードする(これが一番頻度が多い)。
・
新しいパソコンの機器を購入した場合で動作や操作が分からない場合などに調べる。
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出張とかで初めて行く場所の位置を地図で調べる。
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普段、あまり用の無い店舗の住所、電話番号を調べる。
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普段は番組表をADAMSを受信しているが、どうしてもという場合はテレビの番組表を調べる。
と、いったところである。
最近はグラフィックというか画像関係が充実してきたんで、ページが表示されるまで結構時間がかかる場合もあるが、まぁ、そんなには気にならない。
それに、会社の方がADSLで通信速度も速いんで大体昼休みとか、出張なら当然業務なので勤務時間中に閲覧することが可能なのだ。
また、ホームページのアップデート以外の場合は、今すぐ知りたい場合のみ、家のパソコンでインターネットへ接続するので接続する頻度は少ないわけだ。
しかし、インターネットって非常に便利なんで、色々使い道を検討すると接続する頻度が増えてきそうな感もある。
今考えているのは、競艇のライブ画像配信の受信である。
これは競艇場内でオッズやレース中継、レース結果などが場内備え付けのモニタへ表示、つまり場内放送されるのだが、これをインターネットへ垂れ流しにしているものである。
受信するにあたり有料の場もあるが無料の場もある。私が見たいのは無料の方である。
ちなみにこの場内放送を視聴するには、スカパーでレジャーチャンネルを契約するか、レジャーチャンネルがインターネット上で配信している番組(有料)を見るかである。
ここで思うのだが、スカパーを契約した場合と、インターネットで高速通信を契約した場合での格差を考えてみる。
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スカパーだと、初期費用が約2,940円、月額基本料410円、月額視聴料金1,029円。ただしアンテナとチューナが大体安くて20,000円、電話回線の切り替え機などの諸費用は入っていない。
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NTTのフレッツだと、フレッツADSLモア40の場合、初期費用が約2,310円、月額約4,678円(税込みNTT西日本エリア)だたし、モデム代は入っていないうようだ。
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YahooBBだと、YahooBB45Mの場合、初期費用が約4,000円、月額4,130円(税込みNTT西日本エリア)モデムレンタル料990円込み。
なのだそうだ。
ここで視聴する時間を考える。
まず、レースを見る日数であるが−その月でレースの開催数が違うのでなんとも言えないが−毎週開催しているとすれば4日は見ることになる。
そして見る時間であるが、私は朝弱く休日は昼まで寝ているケースが多いので、午後から見ることになる。
そうすると、最終レースが16時ごろとなるので多分、4時間位見ることになる。
ゆえに一月に見る時間は4時間×4日で16時間ということになる。
ここで現状の通信形態で16時間接続した場合、どうなるかを考える。
実際にはちゃんとした料金体系があるのだが、よくわからないので経験的に一時間240円と仮定する。
16時間接続すると、16時間×240円=3,840円となる。
ただし、通信速度が56kbpsなんで動画受信はほぼ不可能であろう。
そうすると前述したどれかになるのだが、競艇だけ見るとすると、なんと、初期費用と月額料金だけだとスカパーが一番安いこととなる。
しかし、ここでアンテナとチューナが20,000円というのは、ちょっとどうかと思う。
それに競艇見るだけにスカパーに加入するのはなぁ、とも思う。
そうすると、やっぱりインターネットということになるのだが、これもまた普段の通信費よりは割高となってしまう。
やっぱり、開催日に場へ行けってことかなぁ。
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
今日、PCIバスに接続するとPCカードが使えるようになる基板を買ってきた。
“玄人志向”さんの製品である。
初め、買うの躊躇した。
だって、“玄人志向”さんなんだもん。もし、動かないとかなったらどうしようかとか思ったが、こうゆうマニアックなのってなかなか無かったんで、思い切って買ってしまった。
別にもっと簡単なUSBなんかで接続できるメモリーリーダーとかでも良いかと思ったが、ふと、「“メモリーリーダー”って“メモリー”を読むだけじゃん。」と思い、これらを買うのを思いとどまった。
っていうのも、私はPCカード型のモデムを持っていたからである。
で、“メモリーカードリーダー”ってことは、メモリーカードにしか使えないような気がして、もし、これでモデムが使えなかった場合、「いやいやお客さん、“リーダー”って書いてあるでしょ?だからそういいう機器には使えんのですよ。はっはっはっ、屁のつっぱりはいらんですよ。」とか、言葉の意味はわからんがとにかく凄い自信だぁっ!!ってなことでも言われたらムカつくってのもあった。
もうひとつ、“メモリーリーダー”ってコンパクトフラッシュの本体のみ挿せるようになっている。
私の持っているモデムはアダプターの大きさである。
ゆえにUSBの方は買っても使えそうに無い。
よかったぁ、あせって買わなくて・・・。
てな訳で、少年の頃の憧れの店へ行くことにした。
この店は元来、電子パーツ屋で、アマチュア無線なんかも手がけ、マニアックなラジオとかも置いていた店である。
最近は組み立てパソコンなんかも売っていてくれて、非常に重宝な店である。
しかし最近は大型電器量販店がたくさんできて、一時期そのあおりで潰れるかと思っていたが、最近、大阪の日本橋にも出店したみたいでどうやら持ち直したようだ。
と、まぁ、この店へ行けばなにかあるだろうと思っていってみたわけであるが、案の定、そのPCIの基板が売っていたわけだ。
で、その基板のメーカが“玄人志向”さんだった。
“玄人志向”さんの場合、動作しなかったとして、調べるにも、どうにもならんような気がして(事実、パッケージにも“電話、FAXでのサポートを一切行いません”とか書いてある)ちょっとひるんだ。
しかし、私とて小学校5年の頃からコンピュータに興味を持ち始め、中学校では電波新聞社の“BASICマガジン”の記事に載っていたプログラムを打ち、そのうち自作プログラムを作り、高校卒業後、電気系の学校に行き、学校の授業でZ80というCPU(歳がバレるな)でコンピュータを製作、プログラムをアセンブラで作ってEPROMライターへ転送して実際に動作させ、就職してからも機械制御用のコンピュータのプログラムをイヤというほど作ってきた訳だからまったくの素人ではないだろうと思い、ここでまず、購入する決意をした。
で、その製品が何であるかを確認。
パッケージには“PCカードアダプタボード”と書いてある。
たまたま展示用の商品があって、そこに中身があったのでスロットの形状を確認。
どうやらコンパクトフラッシュの場合はアダプタで挿すようだ。
つまり、PCカードアダプタ・・・、そのまんまやんっ。ハイッ、ドンドンドーン、ノリ突っ込みっ、ドドーンがドーン、大成功っ!!
と、安田大サーカスの例のフレーズが頭をよぎった(ノリ突っ込みじゃぁないんだけどね)。
気を取り直して、次に、バスを確認すると“PCIバス”と書いてある。
うーん、今持ってるパソコンってPCIだよなぁ、いまどきISAって訳ぁねーよなぁ。
などど、今となっては杞憂のようなことを思いつつレジへ持っていった。
ちなみに電話回線の自動切換機も購入した。
これは、いちいちモジュラーを挿しなおすのがメンドいかったので、最悪、モジュラーでいちいち挿しなおす手間だけかかんないだけイイや、とか思って買った。
と、そんなこんなで帰宅して、カードを挿してパソコンが動かなくなったら後悔するだろうと思い、パソコンで録画してあった“鋼の錬金術師”と、その放送時間だったので“爆笑問題のバク天”を観てから作業に取り掛かることにした。
まず、パソコンを分解、っていってもカバーを取り外すだけなんで分解とは言えんな。
で、拡張カード用のカバーをぶち破って、カードを挿す。
ファンが少し邪魔だったが、なんとか挿すことができた。
ここで、取り付けネジが無いことに気が付く。
そっかぁ、組み立てパソコンってネジも買わなきゃいけないのね。と、思いつつ、わが電子部品のジャンクからM3ネジを取り出し、そいつで固定。
やっぱ、M3だよなぁ、パソコンとかだと大体そうだよなぁ、と、自分で納得しつつパソコンの電源を入れると無事起動した。
次に、ドライバをインストール。
まぁ、大体ルートに“Setup.exe”が入っているだろうから、と、思って付属CDの中身を見ると、案の定、あった。
おもむろにファイルを起動してみると、セットアップ画面が表示された。
全部英語だったが、大体“Yes”をクリックすればセットアップするだろうと思って、ひたすら“Yes”をクリック。
すると、あっという間にインストールが終わる。
え?大丈夫かなぁ、と、思ったが再起動を促すウインドウが出てきたので、再起動してみることに。
パソコンが再起動し始めた、BIOS、Windowsのセットアップ画面、おおっ、順調だ。
と、思っていたが、真っ青な画面になってマウスのポインタだけ表示されている。
ややっ、失敗か?と、思ったが、どうもCDドライバがひたすらアクセスしている。
こりゃ、CDを待ってんだろうと思って、CDの取り出すと起動した。
まぁ、ここまでは成功だなぁ、と、思いつつ早速コンパクトフラッシュを挿してみた。
おっ、認識したぞ。どうやら動作しているようだ。
で、認識し終わったところでアクセスできるか確認。
よっしゃ、中身見えてるな。
と、いったところで“ハードウエアの取り外し”でコンパクトフラッシュを抜く。
そしていよいよモデムカードを挿入する。
一応前回会社のノートパソコンでやってみたところ、カードを挿しただけでモデムとして認識していたんで、まぁ、大丈夫だろう、と、思って挿す。
すると、案の定するすると認識、デバイスドライバのインストールまでして、あっという間に終わる。
じゃぁ、モデムの設定しようかなぁ、と、思いコントロールパネルでモデムの設定を開くと、ややっ、勝手に設定してるっ!
なーんにもすることないじゃんっ。お利口さんだねぇ。
早速IEを起動する。
サーバーへアクセスし、通信が始まった。
おおっ、なぜか115.2kbpsで通信してるぞ?このカードって56kbpsじゃなかったけ?
まぁ、早い分には文句は無いわな、と、思い、重たそーなページを開いてみる。
うーん、前のモデム(33kbps)と比べれば少し早いかなぁ。ちょっと残念。
まぁ、会社のADSLと比べちゃぁイカンわあなぁ。
と、いうことで、これでモデムのほかにも会社のパソコンとのデータ交換も簡単にできるし、携帯のメモリにもアクセスできるようになったわけだ。
明日、会社から拝借してきたモデムを返そう。