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えーっと、突然ですが、ちょっと前にタダ(無料)の描画ソフト、「Hyper-Paint」なるものを入手しまして、しばらくほったらかしにしていたんですね。
しかし、何を思ったか突然使ってみようと思い立ち、色々書いているうちに面白くなって結局下記のようなものを書いてしまいました。
このソフト、思ったような線とかが描けるんで結構面白いんですが、機能が超多彩で私には使いきれません。
で、一応十二国記から、私のお気に入りのキャラを書いてみました。
ちなみに、どうしてもホワイトハートのカバー、アニメ版キャラデザイン原案の山田章博氏の影響を受けていないといえば嘘になりますが、そこはそれ、多めに見てやってください。
景王赤子
やっぱ中嶋陽子でしょう。なんといってもシリーズの大半を占める主人公。この娘を描かずして誰を描こうというものか、って感じです(なんかこの日本語、変だな)。
山田画伯の真似にならないようにならないように、って、がんばって描いてみたんですが結局髪型とか“っぽく”なってしまいました。
一応小説の文中に出てくる“翠(みどり)の瞳に緋(あか)い髪”ってのと、掲示板なんかで“漢(おとこ)”っぽいって言われているのを、そうならないようにさわやかなセクスィーさってのを意識して描いてみたんですが、なんか微妙ですね。
供王珠晶
珠晶はやっぱ“図南の翼”から好きなキャラですね。
アニメ版ではちょっとしか出てこないんで、横柄な単なるわがまま小娘の印象しか無かったんですが、後から読んだ“図南〜”で見せた心の強さが王様として期待持てそうで好きになってしまいまいた。
これは山田画伯の書く“珠晶”より、より幼く描いてみようと思い、私の印象の中にあるロリコンキャラ全開にして描いたつもりなんですが、でもまぁなんだが目元がいやらしいなぁ。
で、どんな髪型と服にしようかなぁ、と、悩んだ挙句、私の貧困な頭では良いものが思いつかず、結局アニメ版の服と髪型そのままにしてしまいました。
しかし、私が描くとババむさいなぁ、この服。
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えーっと、この本はホラーになるのかなぁ、それともファンタジー?と、まぁ、よくわからないのですが一応あらすじを書いて見ましょう。
ちなみに作者は小野不由美先生です。
教育実習のため、母校に戻った広瀬。
そこで孤立している“高里”という生徒を知ります。
彼をいじめたものは、必ず報復にも似た不慮の事故に遭うのです。
その“祟り”にも似た現象は高里が子供の頃に体験した“神隠し”が関係しているようではあるのですが・・・。
そんな訳で“高里は祟る”と生徒、先生の間で恐れられていた高里ですが、広瀬はそんな彼をかばいます。
しかし高里の周りで起こる次々と起こる怪現象、エスカレートして行く不慮の事故、彼は一体何者なのでしょうか?
と、まぁ、こんな感じです。
ここで気が付かれた方も居られるでしょう。
キーワードは“高里”という名前と“祟る”。
これより前にこのページで、十二国記シリーズというお話を紹介しておりましたが、その内の中で高里の名前が出てきます。
ネタバレとなってしまうかも知れませんが、これは“十二国記”のあるお話のサイドストーリー、いや、と、言うよりは二つの世界を違う観点から見た、ある話のもう一つの話といった方が良いかも知れません。
その昔、高千穂遥氏が書いた“ダーティペア”と“クラッシャージョウ”みたいに、同じ話をダーティペアとクラッシャーの観点から書いた感じですかね。
これらの本はどっちから読むべきか掲示板なんかでも論議となっていますが、私的には十二国記を読んでから魔性の子を読んだほうが面白いかなぁ、って思います。
なぜかって言うと、十二国記の世界観って言うのは、結構理解できるまで時間がかかるし(私の場合ですが)、その世界観を知っていたほうが魔性の子に出てくるキャラクタの重要性が良くわかるからです。
多分、魔性の子から先に読むとキャラクタ的に脇役なだけでも、十二国記を読んでからだと“凄い”脇役なだけという印象を受け、それだけでも話の感じ方が違ってきます。
でもまぁ、魔性の子から先に読んで、後から十二国記を読めば、あの時のキャラって実は超スゴい奴だったんだなぁ、だなんで新たに感じたりもできるから、それでも良いような気がします。
まぁ、掲示板なんかだと“魔性の子”、“十二国記”と発刊順に読むのが良いというのがもっぱらの意見のようです。
で、“魔性の子”は十二国記のどの話に当たるのかって?
うーん、それは秘密です。
しかし、インターネットの本紹介なんか見てると超ネタバレになっているんで、あまり隠しても意味無いかも・・・。
なんにせよ、この二冊はどっちから読んでも楽しめる話であることは間違いありません。
私的にはこの二冊を両方読むことがオススメです。
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
最初から読む場合は、こちらをクリックしてください。
ここで一つ無駄話を。
掲示板“2○ゃんねる”にある十二国記の板見ていたらですね、景王が“陽子”つながりで“田嶋陽子”先生だったら、ってのがありまして(まぁ“中”と“田”で一字違いってのもあるんでしょうが)、その中で田嶋先生のAAがあって吹き出しに“慶国の男をみんな追放せよ”って書いてあったんですよね。
これって予王の女追放令のパロディなんでしょうが、なんかワロタ(←2ち○んねる風)。
で、予王が田嶋先生なら、浩瀚が舛添要一さんだったりしたりすると・・、と、私の想像の中で、アニメ版十二国記“乗月”の予王の命を受けて、港へ女たちを集めたシーンでの麦州公“浩瀚”と、州師将軍“桓魋”との会話のパロディが思い浮かんだのですな。
浩瀚:「男をすべて国外に追放しようなどという命に従えるか、男たちは港に留め置け、金波宮には船が足りない為、男たちは船の順番を待っていると告げよ。」
・・・中略・・・
桓魋:「いつでも全軍を金波宮に向かわせる準備を・・・。」
浩瀚:「ならぬっ!!」
桓魋:「おぉ・・・、主上を・・・。」
浩瀚:「そんなことしたら十倍にして言い返されるじゃないか、・・・今は言うな。」
ちなみに赤字の所はそれぞれ「女」、「そうなってから考える」と、本編では言っているんですけどね。
と、まぁ、そんなパロディなんか想像しつつ、今回は“黄昏の岸 暁の天(そら)”ってお話を紹介しましょう。
北の国“戴(たい)”に新王が登極して間もなく、地方都市“轍囲(てつい)”で内乱が起こります。
この内乱の鎮圧のため、禁軍を率いて轍囲に向かった泰王“驍宗(ぎょうそう)”。
戴国の麒麟、泰麒は一人宮廷に残されます。
驍宗の身を案じる泰麒。
そんな折、泰麒は驍宗が戦地で討たれたとの知らせを受けます。
悲嘆に暮れる泰麒。
そしてそんな泰麒に襲い掛かる身の危険。
泰麒は鳴蝕(“めいしょく”と読む)を起こし、地上から消え去ります。
王と麒麟を一度に失った戴に、偽王が立ち、その行く末を案じた州師将軍“李斎”(りさい)は、慶国の王に助けを求める為に命をかけて旅に出かけますが・・・。
と、まぁ、こんな感じです。
このお話は慶国に新王が立ち、しばらくして起こった慶国和州の内乱が鎮圧されてからのお話であろうと思います。
このお話って結構登場人物が多くて、色々な人が泰麒をめぐって奔走したり、当の泰麒はと言うとと・・・、だったり(ちょっと書けません)、李斎は李斎の旅の様子が描かれていたり、とかまぁ大変なことになってます。
これって今までの話の中で最大規模のスケールなんじゃないかと思いますしそれなりに面白いんですが、その反面、こんだけ話を膨らましてしまったら、この後どうやって次の話に展開して行くんだろうか、と、少し心配になります。
実際、この本を最後に十二国記シリーズって新刊が出ていないんですね。
この“黄昏〜”って本は2001年に初版が出ているんですが、それからすでに4年が経っていて、作者の小野不由美先生も、実はこの話の存在を忘れているんじゃないか、とか、話を膨らましすぎたんで困っているんじゃないかとか、もっぱらの評判です(掲示板とかでですが)。
では最後の用語解説といきます。
鳴蝕ですが、麒麟は自らの意思で極小の蝕を起こせるという設定となっています。
ちなみに蝕というものがどういうものかは、以前に書いていますのでそれを参照ください。
おぉっ、今回は1個だけか、良かったなぁ、書くこと少なくて(でも他の用語については私が書くことを忘れているだけかも知れない・・・)。
と、まぁ、そんなわけで今まで十二国記シリーズのことを書いてきましたが、これ以降、本が出ていないので、今回が最終回ということになります。
思い起こせば6月から始めたこの話、もう10月ですから足掛け5ヶ月掛かってようやく終わることができました(って言うか、まじめにやってれば6月中に全部書けたんだよなぁ)。
そんな訳で新刊が出ましたらまた書こうかと思います。
(おわり)
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
最初から読む場合は、こちらをクリックしてください。
今、十二国記の話って、いつ頃から書いてないのかなぁ、だなんて思いまして見返してみたら・・・、なんと6月頃に書いたのが最後だったんですねっ!!(そーですねっ!!)
もしかして、そんなことは無いかと思いますが、このコーナーを待ってられた方もいらっしゃったかと思ったら大変申し訳ない思いです。(そーですねっ!!)
一旦CMでーす。
とまぁ、“笑っていいとも!!”調でお詫びって訳ですが、まぁ、自堕落なんで多めに見てやってください。
と、そんな訳で今回は“華胥の幽夢”(かしょのゆめ)って本について紹介しましょう。
この“華胥の幽夢”(かしょのゆめ)ってのは、端的に言うと短編集ですね。全部で5編です。
収録順に紹介して行きましょう。
まずは“冬栄(とうえい)”というお話から。
これは、北国の戴(たい)に新王が立ってしばらくの後、泰王が漣(れん)国へ使節を送るという話です。
使節には泰麒と泰王が信頼を置く官吏で構成され、泰麒たちは漣へと旅立ちます。
この世のことをあまり知らない、胎果である泰麒は旅すがらや南の国、漣国の様子、そして廉王、廉麟との出会いなど・・・。この旅で幼い泰麒が感じたこととは一体・・・?
次に“乗月(じょうげつ)”というお話。
これは、北国の“芳”(ほう)のお話。峯王仲達を討った恵州公“月渓”、彼が国政を代行してしばらく経ち、国情も何とかようやく安定してきた矢先、月渓は恵州へ帰ることを官吏たちに宣言します。
狼狽する官吏たち、そんなとき、東の国“慶”(けい)から使節が到着します。
使節の代表は禁軍左将軍を名乗る“青辛”(せいしん)という男。
景王から月渓へ、芳の国主への書簡を携えて来たと言います。
月渓は州公の身分、芳を取りまとめているのは冢宰(“ちょうさい”と読む)であると言って書簡を受け取りませんでした。
困った青辛は書簡を冢宰に渡すことにします。しかし、その書簡の中には慶の女史(“じょし”と読む)から月渓個人宛てのものもありました。
冢宰が不思議に思っていると、青辛はその書簡を出した人物の名を言います。
その名前が意外な人物だったので、冢宰は慌てて月渓を呼び止めに行くのでした。
次に“書簡(しょかん)”というお話。
これは慶の王“赤子(”せきし“と読む)が雁(”えん“と読む)国の大学生、楽俊との間で交わされた手紙のやり取りを軸に、彼らの生活の一部を描写したものです。
王様と一介の大学生が知り合いだなんておかしいかと思われるでしょうが、この経緯は“月の影 影の海”って語られておりますので、そちらを参照ください。
さて、話の内容は先ほど紹介した“月の影 影の海”ってお話の後日談みたいな内容で、次の“風の万里 黎明の空”ってお話のつなぎになるような感じです。
次が“花胥”ってお話。
これは、西の国“才”(さい)で起こった、現在の采王が立つ前の王朝のお話。
暗愚な前の王を討った、志高い同志を六官長に据えた新王“砥尚”(“ししょう”と読む人名)、彼らは彼らの掲げた理想を元に国を運営して行きます。
ところが運営はいきなりつまずき、結果的に悪政が続きます。
民の具現たる麒麟の“采麟”も重篤な病気になり、国はますます衰えて行くばかり・・・。
采麟は砥尚に賜った才国の宝重(“ほうちょう”と読む)、“華胥華朶”(“かしょかだ”と読む)が見せる夢と才の現状との差異を嘆くのでした。
そんなある日、砥尚の父、“太上“(”たいじょう“と読む)が殺害されるという事件が起きます。
色めき立つ宮廷内、六官の中で犯人推理が進む中、砥尚は以外な人物を犯人だと宣言するのですが、それにはある理由があったのです・・・。
最後に“帰山”(きざん)というお話
その国の国情が傾き始めるとき、なぜか巡り合う“風漢”(“ふうかん”と読む)と“利行”(“りこう”と読む)の二人。
北の国“柳”(りゅう)で会った二人は柳の国情について話し合います。
そして・・・。
とまぁ、こんな感じですかね、あらすじは。
特に“帰山”については、あらすじらしいあらすじが無いので、上記のような文章になってしまいました。
私が好きなのは“乗月”と“花胥”ですかね。
“乗月”は月渓が前の峯王との関係から、討ちたくなくても討たずにはいられなかった心情がなかなか秀逸だなぁ、なんて思います。
“花胥”については、砥尚とその仲間の中で起こった殺人事件の真犯人を突き止めてゆくと、意外な人物であるということが、お話の主な軸なんですが、私的にはその話自身はあまり興味が無く、どっちかって言うと、話の最後に出てくる砥尚の言葉と砥尚の母(代わり)の女性“慎思”(しんし)が良いのですなぁ。
ちなみに、この時代の話が、この時代より後の“風の万里 黎明の空”って話の中で、今の采王が、前々代の王から寵愛を受けた、飛仙“翠微君”(“すいびくん”と読む)の下女(“げじょ”と読む)を保護した(翠微君の下女に対する扱いがひどかったので、その下女が采王に保護を求め、これを采王が受け入れた)ことから、翠微君が下女の返還を求めて采王との話し合いの中で、会話として出てきます。
砥尚に討たれた前々代の王、前々代の王から寵愛を受けていた翠微君、砥尚と今の采王“黄姑”(“こうこ”と読む人名)との関係がわかったとき「おぉっ!!そーゆーことかぁっ!!」と、ある意味感動しました。わたしゃ。
と、まぁ、こんな感じで今回も用語解説と行きますか。
まず“女史”から。
これは、王のそばにいて執務の手助けをする最下級の文官だそうです。
次に、慶の王“赤子”って記述がありますが、これは前回までの話の中でネタバレしてしまっているので、言っちゃってもかまわないでしょう。多分。
“赤子”=“中嶋陽子”ですっ!!わーっ!言っちゃった、言っちゃったっ!!
この“赤子”ってのはいわゆる“字”(あざな)です。
“あだ名”じゃないですよ、“あざな”です、“あ”・“ざ”・“な”。
これは良く昔の中国の学者なんかがつける別名で、本名以外に自分のシンボリックな状態を表現するもんだと自分は思っています。
この場合でも、設定上、中嶋陽子は翠(みどり)の瞳に緋(あか)い髪って設定で、だから官吏が“赤子”って命名したと、陽子が言っていたと思いますんで多分そーゆーことでしょう。
次に、“宝重”とは宝のこと。
で、“華胥華朶”。
これは、所有者の望む夢を見せるという才国の宝重のこと。木の枝の格好をしているとか・・・。
そして“太上”、これは王の父のことです。
最後に“下女”ですが、これは使用人のことですね・・・。
あ、もう少し忘れてた・・・。
“冢宰”と“六官”ね・・・、これって・・・、あ゛ぁっ!!書くんぢゃなかったぁっ!!
しかぁしっ!!書いちまったもんは仕方が無ぇ、ここは一つ書かして貰おうじゃねーかいっ、えぇっ、旦那ぁ(って何者?)。
と、一応ですねぇ、わかる範囲で書きます。
えーっと、まず、王が居るでしょ。で、王様だけでは政治って成り立たないわけですよ、それなりに役割分担しないとね。
そういうわけで、国政上必要なものについて、それぞれ特化した役所を置くわけですよ。日本で言えば“省”みたいなモンですかね。六官って言うぐらいだから六つ国家機関があるわけで、確か下記みたいな感じです。
天官・宮中の諸事一切を司る(で良かったかな・・・)
地官・土地を司る(って土地の何を?)
春官・(忘れた・・・)
夏官・軍を司る(ほかにもあったような・・・)
秋官・司法を司る(裁判所みたいな?)
冬官・宮中の作り物を司る(だと思ったけど)
で、上記の長を取りまとめて王様に奏上するのが冢宰の役目だったと思います(いわば首相かな?)。
つまりこの世界って大統領制なのね(ちょっと違うか・・・)独裁国家?ナチスみたいな?でも無いし・・・。まぁ・・・、“見て下さぁ〜い、この腰の動きぃ〜、そんな感じFu〜!!”(とレイザーラモンHG風にごまかしてみる)。
(つづく)
<えーっと次回はですね、“黄昏の岸 暁の天(そら)”という本のお話ですね。次回が一応最終回となります。>
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♪私、片山さ○き。小泉さんに頼まれて、お役所辞めてお国のために、郵政民営化を進めましょう。初めての選挙だから、みなさんよろしくお願いします、って、言うじゃなぁ〜い?
・・・でもあんた、比例名簿の上の方に名前が入ってますからぁ〜っ!!残念っ!!
地元出身でなくても、当選できる保険つきの“刺客”斬りぃ〜っ!!
(波多陽区調で)
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HDDクライシス その2 |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
悲しいとき〜っ(悲しいとき〜っ)、HDDがいきなり壊れてTVが見れなくなったとき〜っ(HDDがいきなり壊れてTVが見れなくなったとき〜っ)
いきなり“いつもここから”調で始まったわけであるが、これには特に意味がない(っていうかまったく意味がない)。
と、いうわけで前回書いたものの後日談を書こう。
TVソフトの不具合というのが、録画したファイルを削除しようとしたが、削除できない(削除コマンドを選択できない)というものであったが、これは結局、Administrator権限で入ったは良いが、コンピュータ名とパスワードが違ったんで、ファイルを操作できる権限がないと判断されたらしい。
正しいコンピュータ名とパスワードで入ったら難なく操作できるようになった。
いや〜、めでたし、めでたし。
って訳で、何とか普段使っているには支障がない環境に戻ったって訳であるが、これまでのことを踏まえてこれからバックアップを取ろうと心に誓う俺なのである。
しかしながら、俺にとって160GByteは太平洋のように広い。
ものぐさな俺は危機に直面しないと行動が起こせないタイプなんで、こまめにバックアップを取ろうなんて気は毛頭ないのである。
そこで考えたのがRAIDである。
個人使用のパソコンでRAIDも何もあったもんじゃ無い、と、お嘆きの貴兄も居られるかと思うのであるが、自分が粉骨砕身するくらいなら金かけてでも機械に粉骨砕身してもらったほうが楽だし確実だし、なんたって機械なんだから、機械的な作業は機械に任したほうが良いに決まっている、ってのが俺の考え方である。
で、RAIDについて調べてみた。
まぁ、もともとRAIDについては仕事で結構痛い目にあっているので、普段から調べる必要があるテーマのひとつでもあるのだが・・・。
まぁ、せっかくなんだから現在調べた範囲で一番良いやり方っぽいRAID5でシステムを構築しようかと思っていた。
RAID5とは複数のHDDを用い、たとえばその内のひとつが壊れたとしても残ったHDDで壊れたファイルを復元して継続して運転できるという、とってもスグレものな方法である(らしい)。
で、まずRAID5を構築するにはどーすれば良いかをNetで調べてみると・・・。
あれぇ、結構無いなぁRAID5って、結局Adaptecのカードになっちゃうんだなぁ。
じゃあ、これってどんな構成したら良いの?
あぁ?、シリアルのHDDが4つ要るぅ〜?
がっくし・・・。
こんなことしたら、パソコン本体よりもRAID構築したほうが高くなっちゃうじゃん。
うーん、仕方が無い、これはRAID1にしたほうが良いのかも、すでにHDDは1個持ってるし(ただしどっかクラッシュしてるかも知んないけど・・・)。
ちなみにRAID1ってのは、多分だがHDDへ書き込みを行うとき2個のHDDへ同時にデータを書き込むという、一般的に“ミラーリング”と呼ばれるものである(らしい)。
こいつの場合、主に使っているHDDがぶっ壊れても、もう一個のHDDに何らかの手法を用いると一応、元の環境に戻るというものである(らしい)。
まぁ、多少メンドそうであるが元の環境に(一応でも)戻る(らしい)ので、これにしよっかなぁ。
で、何が欲しいのかな?(と、WebでRAIDの商品を探してみる)。
(商品が見つかって)おぉ、まずRAID用のカードが欲しいんだぁ、でもこれって高速でHDDに書き込むカードでは・・・、なぁんだ、RAIDの機能もついているんだ・・・、ってことはRAIDはおまけ?
まぁ、いいや、これならとってもリーズナブルなお値段だし。
で、万が一にはどーやって戻すのかな?(と、Webで公開されている取扱説明書を読む)。
えっ?、あれっ?これはちょっと・・・、いや結構メンドい。
うーん、どうしよっかなぁ、これだとちょっとなぁ。
あ、そーいや、前回、HDDクラッシュの時に手に入れた復旧ソフトがあったなぁ。
あれって、ちゃんと見てなかったけどもうちょっと内容確認した方が良いかなぁ。
明日見てみよっと!(ぉぃぉぃ、RAIDはどーすんだよ)。
と、さらに戦いは続く・・・。
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HDDクライシス |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
いやいや、まいったまいった。
自分持ちのパソコンが突然立ち上がらなくなったんですわ。
俺はパソコンでテレビを観ているのだが、そのソフトのタブとか何の気なしにいじくっていたら、ある場所が変な表示をしていた。
「あれ?なんか変だなぁ。」と、思い取り合えずパソコンを再起動させてみることに・・・。
しかし、これがまずかったらしい。
パソコンが再起動の手順を踏み、メモリチェック、ハードウェア認識、そしてBOOT・・・。
あれっ?なんとか”Missing“って表示がでる?これはおかしい?
と、何回か再起動してみるも、そのメッセージで止まってしまう・・・。
こりゃマズい。HDD逝っちゃったかなぁ・・・、と思い立ち、とりあえず修復を試みるもOSのディスクは無いは修復ソフトなんざまったく用意してないし・・・。
取り合えず、2日後にはOSと修復ソフトを手に入れて、再インストールは嫌なんでOSから修復することにしたんだが・・・。
全くダメじゃんっ!!いくらやっても修復ディスクを入れろの一点張り・・・。
くっそー、ビル(ゲイツ氏)め!!つまんねぇソフト造りやがってっ!!、と、アメリカでも有数の資産家を恨んでも仕方がない、とりあえず修復用に新しいHDDを購入することにした。
しかしこの時、無休で、しかも毎日30kmを往復していた俺にとって地元のパソコンショップに行く暇がないではないかっ!!
これも仕方なく出先の近くにあるパソコンショップを探して、やっとのことでHDDを購入。
新しいHDDにOSと修復ソフトをインストールして、なんとか環境を整えた。
そしてマスター、スレーブの切り替えに四苦八苦しながら、やっとのことで壊れたHDDを認識できるところまでこぎつけた。
いよいよ再起動、順調にOSが起動し、さぁ、認識するぞと思ったら、なんだかOSが立ち上がる前に訳の分からないメッセージが出ている。
まぁ、なんかをやっているのだろう、と思ってOSが立ち上がるまで放置し、長い時間を掛けてその処理が終わってOSが完全に立ち上がった。
さぁ、修復するぞぉーっ!!と思い、壊れたドライブを覗いてみると・・・。
あれぇ、おっかしいなぁ、フォルダの構成がほとんど違うんですけど・・・。
とりあえずその旨の相談をするために、修復ソフトを紹介してくれた人にTEL。
で、こんなやりとり・・・。
紹介してくれた人(以下“A”):「おっかしいなぁ、大体修復できるんだけどなぁ」。
俺(以下“B”):「ファイルの内容が違っているんだもん、マジで修復できんの?」。
A:「ソフトでさぁ、あーやって、こーやって(ソフト操作の説明)するとさぁ、前のフォルダ構成が出ない?」
B:「出ないよぉ、今見えてるのとおんなじフォルダの構成だよぉ。」
A:「おっかしいなぁ、いけるはずなんだけどなぁ。」
B:「(ふと、思い出して)、あのさぁSCAN DISKやるとダメ?」
A:「・・・、SCAN DISKはダメなんだよねぇ・・・、多分。」
がっくし。
OSが起動したとき、長いこと処理してたのってSCAN DISKだったんだなぁ、って思い出して言ってみたのが、ある意味幸いした(無意味な操作で無駄な時間を浪費しなかった)だけ救い。
もうこうなったら仕方がない、新しいHDDに再インストールすることを決意。
幸いだったのが、ほとんどのデータは別ドライブに保存していたのと、会社で使っているパソコンに入れておいたり、CDやDVDに落としておいたんでデータ関係はOK。
でも、ソフトの全てが消えてなくなったのは痛い・・・。
ヒーヒー言いながら再インストールをして、やっとのことで元の環境に戻してみたところ・・・。
あれぇ、なんかソフトの立ち上がりが遅いぞぉ・・・、変だなぁ。CPUの使用率を見てみよう。
と、なにぃっ!!何にもソフト開いてないのにCPU使用率100%!!
なんか常駐してんのかなぁ、って、常駐ソフトの状況を見てみると、あぁ?なんだこれ?
7時間近く、ずーっと動いているexeファイルが居る。
なんだろ、こいつ、って思ってインターネットで調べると・・・、どうもウィルスっぽい。
とりあえず、ウィルス駆除ソフトを入手してスキャンをかけると・・・。
キターッ!!なんと“トロイの木馬”にバッチリ感染しているではないかっ!!
おかしいなぁ、無くなったフリーのソフトダウンロードするために一瞬くらいしかアクセスしていないんだけど・・・、あ、ちょろっとエロサイトにアクセスしたかなぁ、アレかなぁ、もしかして感染したの。
まぁ、Troiぐらいなら簡単に駆除できるだろう、と、たかをくくっていたのだが・・・。
確かにTroiは駆除できた、しかし、う、動かない、一番必要なパソコンTVのソフトが動かない、これでは“義経”が見れないではないかっ!!
だぁーーーーっ!!もぉ、こーなったら徹底的にやったれいっ!!
と、ばかりにOSからの再インストールを決行っ!!
・・・
と、やっとのことで再度、元の環境近くに戻したのであるが、またもやパソコンTVのソフトでおかしなところを発見。
あぁーーーっ!!どーすりゃいいんだよぉーーーっ!!!!
と、戦いはまだまだ続く・・・。
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Intermission |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
えーっ、ここ最近、十二国記のお話を書いているわけであるが、とりあえず中休みとしてなんか他のことを書こうかと思う。
このごろ何かと物騒なことがある。
近頃はイギリスのロンドンで爆弾テロなんかあったりしているらしい。
あの悪名高いタブロイド紙なんかも一面トップで取り上げたりしているからかなり大変なことになっているのは間違いない(当たり前か・・・)。
イラクでも相変わらず自爆テロなんか起こったりしている。
自国内でいがみ合ってもしょうがないような気がするが、これも国民性というか民族性というかが成すことであろうとも思われるのでいた仕方無いことかも知れない。
日本では郵政事業の民営化なんかの話で国会がすったもんだしているようだが、民営化して何のメリットがあるのか未だに理解できていない俺がここに居る。
相撲取り(“元”と言ったほうが良いのか)“元”若乃花こと花田勝氏と貴乃花親方のゴタゴタしている、いわゆる“若貴騒動”も、人ン家のことなんだから放っておけば良いような気もするが・・・。
まぁでも貴乃花親方が実の兄に向かって「花田勝氏」って言うのもヘンな話だよなぁ、だなんては思う。
しかしたまに出てくる花田家の元家政婦はなんなんだろうか。
なんか余計に話がややこしくなっているような気がするが?
昨今では九州で豪雨、アメリカでハリケーンが上陸したようだ。
ニュースなんかでは口々に異常気象だ、だなんて言っているが毎年言ってないか?
毎年異常気象ってことは、そのうち異常じゃなくなるような気がする・・・。
最後に本日、プロレスラーの橋本真也氏が40歳の若さで亡くなったそうだ。
謹んでご冥福をお祈り申し上げる次第である。
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
最初から読む場合は、こちらをクリックしてください。
えーっと、アニメ版の方の紹介が終わりまして、これからは小説の方を紹介して行く訳ですが、ここでちょっとした情報を書きたいと思います。
6月の4週目から(日にちは忘れました・・・、すいません)アニメ版十二国記が地上デジタルTVのNHK教育3で放映されるようです。
私は未だデジタル放送が観れないようなAV環境なので残念なのですが、興味を持たれた方、デジタル放送がご覧になられる方はこの機会に視聴されてはいかがでしょうか。
詳細につきましては、NHKのホームページをご覧下さい。
それでは本題に参りましょう。
小説の方で「図南の翼」(「となんのつばさ」と読む)というお話があります。今回はこれのお話をしましょう。
あらすじとしては下記の通りです。
恭(「きょう」と読む)の国、豪商の娘として生まれた珠晶(「しゅしょう」と読む)。
王の没後、荒廃が進む恭国に王をもたらそうと、珠晶自ら昇山しようと決意し旅に出ます。
道中、騎獣を騙し取られたりなど苦難を乗り越えながら蓬山を目指したその果てに訪れる彼女の旅の終わりとは、そして麒麟は今回の昇山者の中から王を選ぶのか・・・?!
と、まぁこんな感じです。
今までの小説やアニメの方で、恭王が誰か分かっている話なんでここで恭王が誰かを書いても良かったかも知れないのですが、この小説単独で読むと麒麟が恭王を選ぶのかも分からないのでここでは伏せておきます。
ここでは主人公でもある珠晶について書きたいと思います。
あらすじでも紹介しましたように珠晶は豪商の娘(確か12,3歳ぐらいの設定だったような・・・)で何不自由なく暮らしている訳です。
しかしながらその裕福な暮らしが珠晶に疑問を投げかけるわけですな。
同じ年頃の家生(「かせい」と読む)と何故同じ献立ではないのか、何故同じ食卓で食事を摂らないのか。
自分の家には対妖魔用に頑丈な造りの構造をし、杖身(「じょうしん」と読む)も雇っているのに、他の家では窓に格子が入っていないような家があるのか。
庠学(「しょうがく」と読む)の老師は人の道を説くのに、何故大人は人の道を歩もうとしないのか。
などなど・・・。
大人は、荒廃や諸々の災い事の理由が王の不在であることを口にしているのを聞いて、それなら王が居ればいいんだわ、と、ばかりに珠晶は昇山するわけですな。
珠晶は周囲の大人を巻き込みながら昇山の旅をするわけですが、そこで出くわす世の中の仕組みや様々な人の、その人達の置かれた立場を知りながらも自らの意思を貫き通すことにより、現状を打破して行くわけです。
ちなみにこの珠晶って娘のキャラクタは、なんというか、“生意気な小娘”的な感じです。
ちょうどこの年頃の娘というのは、怖いもの知らずというか、妙に背伸びをしようとしているというか、一種独特の感じがあるのですが、その感じが物凄く台詞に出ています。
さすが作者が女性なだけに、こういうキャラは書きやすいんでしょうかね。
では、今回も用語解説に参りましょう。
家生とは、まぁ、使用人のことです。
しかし立場的にはどっちかって言うと“奴隷”ですね。
っていうのも他国から流れてきた難民が、その国では戸籍がもらえないので豪商なんかの所へ身柄を寄せると最低限生きるだけの保障をしてもらえる代わりに旌券(「りょけん」と読む)を破棄させられたりしてその家から逃げられないようにさせられ死ぬまで働かされるとか、少なくともアメリカの人種差別が廃止されるまでの黒人の立場みたいな感じですよね。
ちなみに旌券というのは身分証明書みたいなもんで、パスポートなんかも兼ねているようなものですかね。
次に杖身とは、ボディガードみたいなもんです。
あと、庠学とは学校なんですね。
十二国記の世界では、官吏になるには大学を出る必要があるんですね。たしか。
大学に進学するには庠学の老師の推挙がないとダメだと何かで観たか読んだかのような・・・、たしか楽俊がそんな説明をしていたような気がしますが・・・。
まぁ、そんな感じです。
(つづく)
<えーっと次回はですね、“華胥の幽夢”(かしょのゆめ)という本のお話をしようかと思います。>
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
最初から読む場合は、こちらをクリックしてください。
前回は“風の万里 黎明の空”ってお話の説明が終わったので、今回は“東の海神 西の滄海”っていうお話のことを書きます。
あらすじとしてはこんな感じです。
慶国景王、中嶋陽子と半獣の楽俊(“らくしゅん”と読む人名)が延王への挨拶に雁国の王宮へ訪ねると王は不在でした。
代わりに延麒、六太が二人の来客に対応すると、延王は霄山(“しょうざん”と読む)へ行ったであろうから行ってみてくれ、と言います。
霄山へ訪れた二人は雁国の王、尚隆に逢います。
そこで尚隆は小さな墓の前に座っていました。
尚隆は墓を見ながら二人に言います。
「そこにもう一人の俺が眠っている」と・・・。
うぉーっ、なかなか思わせぶりなあらすじ紹ぢゃないですかっ!!
実際これくらいしか書けないよなぁ。これ以上書いたら話全部書かなくてはならないし・・・。
この話って尚隆の昔話なんですけど、それを蓬莱での自分の生い立ち、墓の主の生い立ちと重ね合わせて陽子に語りかけるのです。王とはどのようなものなのかを。
また、六太には六太で印象深いめぐり合わせがあり、これもサイドストーリー的な展開で話の中で進行して行きます。
互いに蓬莱に居た、戦国の世で生きていた尚隆と六太。
六太がめぐり合った者の境遇と、尚隆と六太が蓬莱に残してきた想いが重なりあうとき、また一つのことが変わってゆくような予感を感じさせるような話です。
では、今回も用語解説に参りましょう。
まず、半獣から。
基本的には人扱いなのですが獣の姿になれる人が半獣と呼ばれています。
獣の時の姿は様々で、鼠、熊などなど。
ちなみに楽俊は大きな鼠の姿となります。
獣の姿であっても会話は可能です。
次に霄山。
これは王様の私有地である山ことです。
(つづく)
<えーっと、アニメでのお話は今回これでおしまいです。実際、アニメの方ではこの4つお話と “華胥の幽夢”(かしょのゆめ)という本から、“書簡”と”乗月“(じょうげつ)というお話が追加されたような感じになってます。次回からは小説の方で”図南の翼“(となんのつばさ)のことを書こうかと思っております。>
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
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前回は“風の海 迷宮の岸”ってお話の説明が終わって一段落ってことで、今回は“風の万里 黎明の空”っていうお話のことを書きます。
あらすじとしては、三人の少女の話で進行して行きます。
まず、海客である“大木鈴”(「おおきすず」と読む人名)、彼女は明治生まれで奉公先に行く途中に十二国の世界へ流されてしまいます。
右も左も分からず、言葉も通じない世界へ突如放り出された格好となった彼女は紆余曲折の中、ひょんなことから仙籍に入ることができたのですが、それから九十年間を辛い思いをして生活していたのでした。
次に、北西の島の国、芳の国の公主、祥瓊(「しょうけい」と読む人名)は“王宮の至宝”と呼ばれ、王宮の中で大事にされ暮らしていました。
祥瓊の父、芳国の王、峯王仲韃(「ちゅうたつ」と読む人名)、は清廉潔白を望む人物で民の堕落を許さず、罪人が増えると法を厳しくし、子供が病気で看病のために畑仕事を休んでも死罪、街に髪飾りをつけて外出しただけで死罪、そんな些細なことでも死罪とするような法を乱発しました。
民の怒りと不安は日々増大し、ついには諸侯の反乱を蜂起させることとなりました。
その反乱の首謀者は恵州州公の月渓(「げっけい」と読む)、月渓は遂に王宮へ踏み入り、峯王を祥瓊の目の前で斃してしまうのでした。
最後に慶国、景王となった中嶋陽子。
慶は空位の時代が長く、その間に官吏達が国政を司ってきた結果、官吏の間に派閥が生じていました。
陽子が即位してからもその派閥争いは止む様子も無く、ましてや蓬莱から来たばかりの陽子には国政どころかこの世界の様子も分かっておらず陽子は悩みます。
自分は王に向いているのだろうかと。
そして陽子はある決心をするのです。
と、まぁこんな感じです。
このお話の良いところは、登場する三人の少女がいずれも悩みや恨みを抱え、これから逃げ出そうとしていること。
鈴は海客として虐げられた長い時間を恨み、王宮の中で民のことなど知らなかった祥瓊は突然の父の死に、父を斃した大罪人、月渓を恨み、陽子は十二国の世界の不可解さと王としての仕事が上手く行かないことに悩んでいる訳です。
そして鈴は海客として虐げられないよう行動し、祥瓊は華やかな王宮の生活を取り戻そうとして行動し、陽子は王たるを知るために行動する訳ですな。
三人とも最初は、上手く事が運ばず、その場から逃れたりしていたのですが時が過ぎ、色んな事が身の回りに起きることにより段々とその方向性を見出して行きます。
そして、・・・。
あぁー、残念っ!!これ以上は書けないっ!!
ここからは本を読まれるかDVDをご覧になるなりしてその様子をご堪能下さい。
残念ではありますが、今回も用語解説をしましょう。
まず、公主から。
これは王様の子供で女の子供はこのように呼ばれるってことです。
簡単に言うと“お姫様”ですな。
次に恵州と州公。
一国の中の地方行政単位が“州”ってことになっている話は前にもしました。
“恵”というのは地名であろうと思われるので“恵”という自治体って感じですかね。
また州公はその州を束ねる長のことなんで、まぁ“知事”ってことでしょう、多分。
最後に月渓がなぜ大罪人なのか。
普通、って言うかこの世での歴史なんかでは圧政をしく王は悪の象徴みたいに言われ、それを打倒したものは英雄のような扱いとなるのが常だったりします。
しかし、十二国の世界ではそうは行かないのですな。
まがりなりにも王は神様から指名されて即位している訳です。
この世界では神は絶対のものらしいので、その神に指名された、神の次ぐらいに地位のある王を殺害するのは天意に反する、神に逆らう大罪ってことになるようなんです。
これには例外は無いようです。
(つづく)
<今回は上手く書けたかなぁって思います。次回はまた他のお話のことを書きたいと思います。>
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
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えーっ、前回の続きです。
ちょっと前回の捕捉を書かしてもらいます。
前回、十二国から見てこの世を“蓬莱”と呼ぶと書きましたが、正確に言うと“日本”限定です。
また、“崑崙”という所もあるという話も書きましたが、これも多分地域限定なんでしょうなぁ。
と、言うわけで本題に移ります。
“月の影 影の海”の話の中で他国の王様が出てきます。
“雁”(「えん」と読む)の国の王、尚隆(「しょうりゅう」と読む)がそうで、この人も蓬莱から来た海客です。
しかし、ただの海客とは違うところは“胎果”(「たいか」と読む)であるということ。
“胎果”とは十二国の世界に生まれる前に“蝕”(「しょく」と読む)によって蓬莱に流され、蓬莱の女の子宮に宿り、そして蓬莱、つまり日本で生まれたりするということがあるようで、その人達のことをそう呼ぶという設定です。
ちなみに先に紹介した中嶋陽子さんも“胎果”です。
ついでに、雁国の麒麟、延麒も胎果で、“六太”(「ろくた」と読む)という名前がついています。
元々、麒麟には名前が無く、王様がその麒麟に名前を付けたりすることもあるのですが、六太君の場合は蓬莱の生まれなんでそのまま蓬莱の名前、“六太”と呼ばれているんだそうです。
またまたちなみに、尚隆さんと六太君が王朝を築いて五百年経つってことだそうです。
先に紹介したように時間軸はこの世と同じなようなので、この人達は室町か戦国時代の生まれってことになります。
そうすると、現代から来た中嶋陽子さんとこの二人って同じ日本の生まれなんですが、話していると物凄いギャップがあったんじゃないかと思います。
まぁ、中嶋さんの場合は真面目な女子高生なんで、それなりに何とかなったかも知れないんですが、これがガンクロヤマンバギャル(これも言い方古いなぁ、でも作品が2000年前後に発表されているんでそういう設定も無理じゃないかと思うけど・・・)だったりしたら、さぞや尚隆さんはビックリしたでしょうなぁ、あまりの日本の変わりように・・・。っていうかホントに日本から来たのか?なんて疑問に思ったりして。
あ、でも胎果は十二国に来ると十二国での(本来の)姿に戻るんだっけ。だったら心配ないか。
ちなみに(“ちなみに”が多いなぁ)胎果は蓬莱では胎殻(「たいかく」と読む)という蓬莱での姿をするための肉を被っているんだそうです。なんかご都合的な設定ですが・・・。
次に、“風の海 迷宮の岸”ってお話の話をします。
あらすじとしてはこんな感じです。
高校生の高里要(たかさとかなめ)君には良くない噂がたっていました。
それは、彼に拘わるもの、特に彼に危害を与えるものは怪我をしたり死亡してしまったり。
そんなことから彼に拘わると“祟る”という噂がたっていました。
彼が祟ると言われ始めたのは、幼い頃、“神隠し”にあってからだということでした。
彼は神隠しされてようとして行方が知れず、行方不明となってから一年後に突然、現れたのだそうです。
しかし、彼その一年間の記憶が全く無かったのだそうです。
ただ、彼が何か大事な約束を忘れたような気がしていることを除けば・・・。
と、まぁ、こんな感じでお話が始まるわけです。
前に紹介した“月の影 影の海”は結構ストレートな展開なんで本の裏に書いてある紹介文みたく書けたような気がしますが、これは、話が前後しているので書きにくいったらありゃしない。
この高里君が主人公なのは大体分かっていただけたかと思います。
実際のお話は“祟る”理由とか一年間行方不明になっていた理由とかが書かれているわけですが仔細に書くと話を全部書かなくてはならなくなってしまうので興味を持たれた方は本を買って読まれるかかアニメの方でDVDが出ているかも知れないので、そちらでご覧下さい。
実際私もこのお話はアニメの方しか観ていないのでアニメが本と同じ内容かどうかはわかりませんが。
でもねぇ、私このお話は結構好きなんですよねぇ、書かずにはいられない部分が結構あるのでそれだけ書いておこうかなぁ(ちなみにこれ以下の文はアニメの方で観た話を元に書いています)。
まず、泰麒ってすごい健気なんですよね。
いつも気を使って周囲の人達を困らせないようにしている、それが十二国に連れてこられてからも蓬莱で気を使っていたように同じように周りに気を使って・・・。
蓬莱から十二国に来てから蓬莱と十二国とでは全く様子が違っていることを幼いなりに受け入れて、頑張っている姿は彼が平面の世界の住人であっても心動かさずにはいられないって感じです。
あと泰麒が黒麒麟であるといこと。
また、黒麒麟の発生する確立は極稀で、黒麒麟が生まれたときは女仙の言葉を借りると“世界に大変な吉事あり”と伝わるとのことで、その希少性がまず、何かが起こりそうな感じがして良いんですよね。
また、麒麟は妖魔を下し、使令(“しれい”と読む)とし、それを武器として使うのですが、泰麒は蓬莱に永くいたせいもあってか、なかなか使令を持てなかったんです。
しかし、昇山してきた戴国の禁軍(「きんぐん」と読む)左将軍(「さしょうぐん」と読む)、驍宗(「ぎょうそう」と読む人名)と州師(「しゅうし」と読む)将軍、李斎(「りさい」と読む人名)との騎獣(「きじゅう」と読む)狩りに同行したとき、饕餮(「とうてつ」と読む妖魔)という未だ使令に下ったことがないという強大な妖魔に出くわし、驍宗と李斎を守るため饕餮を使令に下してしまうという、尋常ならざる神通力を発揮したりするんですね。
この使令を下すシーンが結構好きなんです。
あと、黄海(「こうかい」と読む)の守護者、犬狼真君(「けんろうしんくん」と読む)という仙が出てきます。
この話ではチョイ役でしか出てこないんで何だろう?って思いますが、他の話を観たり読んだりしていると、スゴ〜く興味が湧く仙です。
さて上記の文でわかんないことがいっぱいあるかと思いますので気合入れて説明しますね。
まず蝕の話。
この蝕ってのは、漫画“ベルセルク”に出てくるあの“蝕”のことではありません(マニアックな話ですいません)。
大まかに言いますと、例えば、蓬莱と十二国の世界を結ぶ空間のねじれのような、ワームホール的なものでしょう。
物語の中では(本の方に書いてあったと思いましたが)蝕というのは自然現象で十二国の世界における摂理、理の外のもののようです。
で、黒麒麟の話。
麒麟というのは獣の姿をしているときは、馬に角が生えた、いわゆる“一角獣”みたいな格好なんですね。
で、鬣が金色とか、銀色とか色素の薄い色なんですが、泰麒の鬣は鋼のような黒なんです。
つまり、鬣が黒いのが黒麒麟ってことです(でも体の色も黒かったよな・・・)。
次に使令の話。
麒麟は清浄であることを好む獣で、特に血の穢れ嫌うと言う設定です。
血の臭いを嗅いだり、血を浴びると痺れて動けなくなり、時には病に倒れたりするんです。それが自らの血であってもです。
そんな訳で麒麟は肉弾戦が出来ない訳なんですが、そこで妖魔を使って代理で戦わせたり、麒麟自身の身を護らせたり、間者に使ったり、つまり小間使いをやらせる訳です。
しかし、使令は麒麟に無償で奉仕している訳では無く、ある契約の上で使われているってことでなんだそうです。
その契約内容というのが、麒麟が死亡した際にその肉体を喰うことができるって権利。
妖魔は麒麟を喰う事によってその能力を増大させることができるということなんで、そのために麒麟に仕えている訳ですな。
で、女仙の話。
十二国にはその名の通り、十二国がある訳ですが、その地勢がどうなっているかと言うと、内海を中心に取り巻くように八国があり、その北東、南東、北西、西南の四方に、海(虚海と言う)を隔てて四つの島があり、これが四国となってます。
内海(東西南北の順で青海、白海、赤海、黒海という名前がついている)の中心に黄海があります。
しかし、黄海という名はついていますが実際に海ではなく陸地で、そこは妖魔、妖獣が跋扈する人外魔境なんですな。ある場所を除いては。
ある場所、それはこの黄海には蓬山という山があって、そこにある蓬廬宮(「ほうろぐう」と読む)と呼ばれる場所です。
この蓬廬宮とは、廟堂であり、そこには捨身木(「しゃしんぼく」と読む)という木があります。
どこかの国で麒麟が亡くなると、捨身木に次の麒麟の卵果(「らんか」と読む)という木の実が実り、そこから新たに麒麟が生まれます。
ちなみにこの世界では人間は木から生まれることになっています。
この木を里木(「りぼく」と読む)というんですが、その木の枝に夫婦が願をかけると実がなって子供を授かるんだそうです。
つまり、SEXしなくても良いってことですよね。
この世界の性生活はどうなっているんでしょうか?
・・・話題を戻しましょう。
捨身木の卵果から孵った麒麟は、次の王を指名できるような成長を遂げるまで蓬廬宮で生活します。
このとき、麒麟の身の回りの世話をするのが“女仙”なんですな(前置き長っ!!)。
女仙は飛仙(「ひせん」と読む)で、飛仙とは天仙(「てんせん」と読む)から指名を受けた仙です。
この場合の天仙は蓬廬宮、女仙の長、碧霞玄君(「へきかげんくん」と読む)という仙です。
ちなみに天仙とは、より天帝寄りの立場にある仙です。
まぁ、王よりも地位は上のようですね。
飛仙は天仙から指名されているので王が指名する仙よりも地位が高そうなのですが、麒麟の世話をする立場の女仙はその主である王よりも地位が低いということになります。
なお、王と麒麟は神仙(「しんせん」と読む)と言う地位です。
(うーん、なんか自信無いなぁこの説明・・・)。
と、話が少しそれました、女仙の話はこのぐらいにしときます。
昇山の話をしましょう。
麒麟が王を選ぶ話はしましたよね。
で、麒麟は基本的には蓬山、蓬廬宮で王が選べるくらいに成長するまで生活をしている訳です。
では麒麟が王が選べるようになったら、どうやって王を選ぶのでしょうか。
麒麟が王を探し回ったりする場合もあるのですが、基本的には王に選ばれたい人が黄海を渡って蓬山へ登り、蓬廬宮へやってきて麒麟と面会します。
この麒麟に会い来て、王の選定を受けることを昇山と言います。
次に禁軍の説明をしましょう。
これは王直属の軍隊だと思ってください。近衛軍とでも言いましょうか・・・。禁軍は王以外は動かすことができないという話になってます。
で、左将軍の話。
これは正確に言うと左軍将軍ってことになります。
この世界の軍隊は右軍、中軍、左軍の三つの部隊に分かれているって話です。
それぞれの役割はわかりませんが第一師団、第二師団って感じでしょうかね。
将軍はこの場合、司令官ってことになります。
当然、禁軍の司令長官は王ということになります。
あー、疲れてきた。次に州師の話をします。
この世界では一国の中の行政単位として州というものがあります。
基本的に州は小さな国のような行政権限を持っています。
でもまぁ、王という絶対権力がある訳ですから、中央集権国家でもあるんですけどね。
で、州師というのは、その州の軍隊のことを言います。
李斎さんは将軍なんで、その軍隊の司令官ということになります(ちなみに李斎さんは女です)。
次に騎獣の話。
騎獣とは妖獣のことなんですが、妖獣の話をまずしましょう。
妖獣は妖魔ではないのですが、黄海に棲む動物です。その性は様々、能力も様々で中には飛行できるものもいます。
妖獣は人に慣れるものもあるので、飼いならして乗り物にする訳です。
で、乗り物になった、またはなれる妖獣を騎獣という訳です。
えーっと、あと犬狼真君の話かな。
犬狼真君は天仙で、基本的には、黄海を往くものの安全を護る守護者というのがその役割らしいです。
(つづく)
<ちょっと内容を書きすぎた感もありますが、まぁ、なんとか大丈夫でしょ。なんだか今回は十二国記ハンドブック的な内容になったような気もしますが・・・。次回はまた他の話を書こうかなぁ、だなんて思ってます。>
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<お断り>
この文章の中には十二国記というお話に出てくる特有の言葉が多々あります。
分からない語があった場合、この「十二国記」の記事の中に何らかの形で解説していますので、根気良く探してみてください。
上記記載事項で“えーっ!!”って思われる方は「十二国記」でググると用語解説をしてくれている他のホームページが多分ありますので、そっちを見たほうが早いし正確かも知れません。
自堕落で申し訳ありませんが、そんな文章でよろしければ閲覧してやってください。
このお話はジャンルで言うとファンタジーで、大体こんな世界観です。
場所は我々が住んでいる世界とは違う空間に存在する世界(時間軸は同じらしい・・・)。
この世界には十二の国と十二の王、そして十二の麒麟が存在します。
麒麟とはこの場合、アフリカにいるアレでもなく、また中国に伝わる伝説の獣のことでもありませんで、獣と人の二つの姿を持つ獣、霊獣という設定です。
麒麟の役目はその国の王が亡くなると、次の王を選出する権利というか能力を持つ唯一のもので、麒麟が王を選ぶと、今度は王に忠誠を尽くし王の片腕となって働くようになります。
また、王は不老で頭を落とされるか胴を断たれないと死なないという設定です。
つまり、その国の王は永遠にその国を治めることとなり、また、麒麟、王の周りで国政を司る官僚なんかも王様に付き合う形で不老となります(物語の中では“仙籍”に入るという表現で言われています)。
ちなみに王が在位している間は天災などが減り“妖魔”が出没しなくなるという設定でして、在位していないと天災なんかが頻発し、“妖魔”の出没する頻度が多くなってが、その国の民は難民として隣国なんかに逃げるってことになります。
ちなみに“妖魔”ってのは怪物みたいな感じで人間なんかを襲って喰ってしまうってものって感じで考えてください。
それならば王は玉座にいるだけで何をしなくても良いかって言うとそうでもないんです。
王が王道、人道に反するようなことをすると麒麟が病気になるって設定なんですな(これを物語の中では“道”を“失う”といういうことで“失道(しつどう)の病”と呼んでいます)。
王が道を誤り過ぎると麒麟がその病で死んでしまい、麒麟が死んでしまうと王もついでに死んでしまうっていう設定で、つまり、ちゃんと働かないと自分が死んじゃうって都合の良い設定となっています(ちなみに王が死んでも麒麟は死なないで、次の王様を探すって設定なんですな)。
とまぁ大体こんな感じ(ってこれじゃなんだか分かんないでしょうけど)の世界で主に王様の話を中心として物語は進行して行きます。
主な登場人物として、十二国の中から“慶”(「けい」と読む国の名前)の国の王として選ばれた“中嶋陽子”という女子高生の話がまず、“月の影 影の海”という本に書かれています。
って言っても私自身、この話はアニメの(NHKで放送していた)方でしか見たことが無いんで実際本の方とは話が違っているかも知れませんが、他の話はほぼ本と同じようであったので、これも多分同じであろうと思います。
この娘は、とある日、彼女の前に突如現れた慶国の麒麟、“景麒”(男の麒麟を“麒”、女の麒麟を“麟”と呼ぶそうで、また国の名前が“慶”なのに“景”という字を使うのは・・・、なんでだっけかな?忘れた・・・)に“あんたが王様だよ”っていって拉致された挙句、“十二国”のある異世界に連れてこられたっていう、ありがちなパターンで物語が進行して行きます。
ちなみに今の世というか、私たちが存在する世界を“十二国”がある世界では“蓬莱”と呼んでいるそうで、また、蓬莱から来た人を“海客”(「かいきゃく」と読む)と呼ぶんだそうです。
ちなみに、“崑崙”と呼ばれる場所から来た人を“山客”(「さんきゃく」と読む)と呼ぶんだそうです。
しかし、私自身はこの“崑崙”と呼ばれる場所が、この世のどこかはわかっていないんですが・・・。
余談はさておき、この中嶋陽子さんが連れてこられた異世界は、普通の女子高生をやってた彼女にとっては非常に耐えがたく、理不尽な世界であったということなんですが、旅をしている間に彼女の気持ちに変化が現れて・・・、ってな話です。
このお話が気になる方は、講談社の文庫で今でも発売されているようなので一度読まれてみてはいかがでしょうか。
ファンタジーにありがちな導入部な割には、話の内容は結構意外かもしれませんよ・・・。
でも私は本の方は読んだ事ないんですけどね、こんなにいい加減で良いのだろうか・・・。
(つづく)
<えーっと、一応ですね、これも連載物として私の気が済むまで書いていこうと思っております。ちなみに次回は、この“月の影 影の海”のお話をもう少し書こうか、それとも他のお話を書こうか、まだ決めていません。だって今、すんげー眠いんで・・・、すいません。>
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運命(その1) |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
― お悔やみとお見舞いの挨拶 −
兵庫県の尼崎市で発生した、福知山線転覆衝突事故における被害者の方々、および関係者の方々、お亡くなりになられた方には謹んでご冥福を、怪我をされた方、事故に遭われた方には謹んでお見舞い申しが上げます。
―――――――――――――――
ご挨拶はこのぐらいにして、今回は運命といものを考えようかと思う。
“運”にはいくつかの種類があることをご存知だろうか?
命運には“宿命”、“運命”、それ以外にまだあったと思うのだが、それ以外は忘れた。
“宿命”とは人間の力では不可避のもので誕生、死去などを指す。
“運命”は人間が生きて行く中で、その人にとって重大な事柄が起きる場合に指すと思った。
例えば、進学や結婚、出産など。
ここで言いたいのは“運命”によって発生する事柄は不可避ではないということである。
今回の列車事故で540人あまりの方々が事故に遭遇し、亡くなられた方、怪我をされた方、無傷の方など色々な方々がおられたのではないかと思う。
また、列車に衝突されてしまったマンションに住む方々もこの事故の被害者である。
いずれもこの方々に適用される言葉は“運が悪い”だろうと思うが、それはどうなのだろうか。
この言い方は非常に問題のある言い方なのかもしれないが、列車に乗らなければ、列車に乗ったとしてもJRでなければ、JRであってもその運転士でない、またはその車両本体でなければ、車両編成でなければ、マンションにしてもそこに住んで居なければ、被害に遭わなかったかもしれない。
なぜ“遭わなかったかも知れない”と書いたのは、被害にあった方々には、これも申し訳ない言い方なのだが、このとき被害に遭わなくても、いつかは違う形で被害にあったかも知れないと言う意味である。
しかしながら“いつか違う形で被害を・・・”と書いたのだが、これも時間が経過すれば被害に遭わなかったかもしれない。
と、言うのも“運命”とはそれほど流動的であると私は思うからだ。
なぜ“運命”が流動的かと思うのは今から書く文章を読んで一考されて欲しい。
まず、転覆した同じ車両に乗り、同じように事故にあった方でも比較的軽症の方もいれば死亡された方もいる。
この差はどこにあるのだろうか。
例えば、この列車は右カーブを曲がりきれずに直進してしまったようなのだが、これが事実と仮定した場合、列車の挙動が一般的にどうなるかを考えてみる。
各報道でも言われている通り、列車は進行方向から見て左に傾いて直進したと考えるのが妥当である。
左に傾いたのは遠心力によるもので、車両がレールに接地しているので車軸が支点となり横方向へ力が加わったと考えれば、支点から遠い箇所、つまり天井部分の方がより小さな力で車体を傾けることが可能であることから必然的に車軸を中心(または左車輪を軸に)左へ傾くわけである。
車両が左に傾く挙動をするほどの遠心力が働いた場合、内部の人間がどのくらいその遠心力に耐えられるかはわからないが、少なくとも、より回転の中心にいたほうが、つまり進行方向左側よりも右側にいたほうがより遠心力の影響を少なく受けると考えられる。
さらに車両が傾くことにより、重力の影響で車両左側へ人々は飛ばされたはずである。
こうなると車両左側へさらに荷重がかかり転覆することとなるだろうが、このとき、右側にいた人は左側へ“落ちる”ということになる。
そうすると右側にいた人はあらかじめ左側に“落ちて”いた人の上に落ちてくることになる。
上記のような推測から考えると右側にいたほうが、遠心力の影響を受けないで比較的長い時間手すりやつり革に捕まって耐えることができ、転覆したあともあらかじめ左側へ“落ちていた”人の上に落ちて、言い方は悪いが、その人達がクッションとなり身体へのショックが和らぐなどして助かる確立が高くなるだろうと予測される。
と、このように発生した後であればこのような検証もできるであろうが、このようなことをこの列車に乗っていた方々で誰が予想したであろうか。
第一、列車は“安全”な乗り物として人々に認知されているものである。
まさかこんな事故が起こるとは・・・、と、思う方もおられるかも知れないが、過去、列車での死亡事故が全く起こっていなかったわけではないので、発生する頻度は低いが起こらないわけではないという認識に改めたほうが良いかもしれない。
このように、今回の事故についてこれだけの思考をめぐらせることができるわけであるが、私だってこの事故が発生してからこのようなことを考えたのであり、これを普段から考えている人は極少数であると思う。
(つづく)
<すいません。なんだか言いたいことが言えないような方向へ文章が行ってしまっているようなので、もう一回練り直します。次回、“運命(その2)”へ続きます。>
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えーっと、このほど長渕さんの桜島コンサートのDVDを買いまして、まだ全部観たわけではないのですが、今観た時点までのお話をします。
私、このコンサートには実際に行っているわけですが、(私が行ったときのお話は、このホームページの「桜島燃ゆ −長渕剛 オールナイトコンサート −」と、いう記事に書いています)今回DVDを観たときと、コンサートに行ったときの記憶の感じとかが少し違っているところがあったりして、後々から改めて観てみると、人間(っていうか、私)の記憶って曖昧なもんなんだなぁ、って感じました。
まぁ、あとコンサートのときに私の居た席(っていうか場所)ってのが、長渕さんが豆粒以下にしか見えないところだったんで、ほぼステージ両脇にあるオーロラビジョンでステージの様子なんかを見ていたということもあり結局DVD観てもそれと同じような感じだってところから大まかな感じは大体記憶と一致しているのでやっぱりその場所に居たんだなぁ、って感覚はありますけどね。
そんな訳で、DVD全編(このDVDって4枚組なんで、全部観ると8時間ぐらいかかるんじゃないかって予想はされる)を観るのは暇なときにしようと思って、とりあえずDVDの中に入っているドキュメント(リハーサルの様子やステージ裏の話)を収録した部分、“静かなるアフガン”という曲でつけていた映像、Zepp Tokyoで演った前夜祭の様子を一番先に観たんですね。今回はこれのお話を書こうかと思います。
なお、今回はタイトルに“その1”と題しているのは、今後、このことに関して書きたいなぁ、と思ったときに書けるようにと敢えてそのタイトルとしました。でも今後、このことに触れるような記事を書くかどうかは分かりませんが・・・。
ドキュメントの部分で真っ先観たのが、長渕さんがスタッフに蹴りを加えているシーンです。
これは、あるホームページの掲示板で物議をかもし出していたシーンで、要約すると“暴力的で良くない”、“それだけこのコンサートに真剣に取り組んでいるのだから悪くない”といったことでしょうか。
で、私もそのシーンを観てみたのですが、私的には別にどっちでも良いような印象を受けました。
“暴力”というのは、された相手がどのように受け止めるかという問題であり他人がとやかく言うことでは無いというのが私の基本的な考えかたです。
ただ、一般に晒される映像としてそのようなシーンを入れることがふさわしいか否かは別問題です。
と、いうのも一般社会における会社組織なんかでは、肉体的暴力を受けることは稀なんではないかと思います。
こんなことを書くと視野が狭いだの世間知らずだといわれそうですが、職業上(業種は似通っていますが)それなりに多くの企業へ1週間、長い場合は半年ぐらい滞在することが多い私にとって、そのようなシーンは見たことが無いし、そういう噂も聞いたことはありません(まぁ一週間ぐらいでその組織の何がわかるか、ってのもありますが)。
場合によっては、悪ふざけで殴る蹴るのしぐさをすることはあるかと思います。特に若い人が複数人数いる場合は。
これをされた相手が暴力だと思えば暴力だし、スキンシップなのだと思えば暴力ではないと思います。
ただ、これはその人にしか分からないことだし、意思はどうであれ行動は暴力行為なんで、これを暴力だといわれても仕方が無いとは思いますけどね。
結論として相手の意思などを無視して、それが暴力だと決め付けるのも問題だし、誤解されそうな映像を一般に晒されるものに入れるのも問題だってことですかね。
私が見た感じでは、あの映像を暴力というのならば巷に蔓延るパワー・ハラスメントは人殺しに近いような気がしますが・・・。
ちょっと話がそれますが、パワー・ハラスメントだって立派な暴力なんですよね。
ただ、この場合はそのダメージが目に見えないので、どこまでが暴力でどこまでが指示なのかが判定しにくい部分なんだとは思います。
私が幼い頃、口汚く罵られるのが悔しくて泣いていると“体のどこかが痛いわけなじゃない”といってたしなめられた記憶がありますが、当時、心は尿管結石ぐらいに痛かったかもしれないじゃないかなぁ、って今はそう思いますけどね。
次に、物議をかもし出していたのが“静かなるアフガン”で流れる戦争のシーンの話。
この歌は反戦歌なんでこういうシーンをつけたんでしょうが、実際、これが良い悪いの話をすること自身が意味が無いかなぁ、って思います。
そんなこと言ったら広島の原爆資料館での展示、韓国の戦勝記念館の展示なんか悪趣味なんじゃないかと思いますよ。
原爆資料館も戦勝記念館も、それが現実だということで展示しているわけですよね。
日々ニュースなんかで流れる戦場となった場所なんかも現実として配信されているわけですよね。
私個人の意見としてはこのシーンだけで、戦争の是非を論ずるのは逆に軽軽しいような気がします。
と、まぁ、重い話はこれまでにして少し話題を変えましょう。
このDVDには東京のZapp Tokyoでやった桜島前夜祭っていうコンサートの様子もダイジェストで入っていたんですが、この話を書きたいと思います。
実はこのコンサート、私も行くチャンスがあったのですが、敢えて止めたんですよねぇ。
まぁ、仕事も忙しかったってのもあるんですが、桜島に行く予定があった私があえてこの前夜祭へ行く必要も無い、そしてもう一つが桜島に行けない人もいるんだろうから、その人達に譲ろうではないかと考えたわけです。
でも、このDVDを観たとき“行けば良かったなぁ”って思いました。
なんといっても昔の歌を結構やっていたってのが一番大きいですね。
“愛しているのに”を生で聴くことのできるチャンスだったのにぃ〜、残念っ!!
と、内容を見てそう思ったんですがもうひとつ理由があります。
Zepp Tokyoってライヴハウスなんですよね。
っていっても収容人数がそんじょそこらのライヴハウスとは違ってかなりの収容人数なんでしょうが、比較的ステージと客席が近いように感じました。
と、いうことは、長渕さんを間近でみることができるチャンスでもあったわけです。
映像で観てみると、一番遠そうなところでもかなり大きく見えそうだったんで、これも残念だったかなぁ。
と、まぁ、これまで観てきた中で思ったことを書いてみたのですが、また思ったことがあったら書いて見たいと思います。
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えーっと、前々から修正しようと思っていたんですが、今日、それを思い立ったんで一応インフォメーション的に書いておきたいと思います。
平成16年8月23日から9月12日にかけて記載しました「桜島燃ゆ −長渕剛 オールナイトコンサート−」の文中で、後から話を聞いたり、後から知ったりした内容があるんです。
なので、ここで修正しておきたいと思います。
なお、下記からの記述中、一応ハイパーリンクで原文に戻れるようになっております。
「と、まぁ、このように故郷が嫌いだった長渕さんなんで、私は「何で(嫌いな鹿児島でやるわけ)?」とか思ったわけです。」について。
これは後から知ったんですが、今の長渕さんは別に鹿児島が嫌いなわけではないようです。
と、いうのも、何かで見聞きした(すいません、出元の記憶が無いのですが)話によると、長渕さんが辛いなぁ、と思うと(鹿児島に帰って?)桜島を見るそうなんです。そうしているとやっぱり生きようと思ってくる、そんな話を聞いたことがあります。私の書いた文章だと長渕さんは今でも鹿児島が嫌いなように思われる方もおられるかと思いまして(桜島は好きだけど鹿児島という土地が嫌いなのかも知れない・・・)、この追記を書いてみました。でもまぁ今現在、長渕さんが実際のところどう思われているかなんて、長渕さんの知り合いじゃないんで分かりませんが、そういう想像(妄想?)をかき立ててくれるような所なんかが長渕さんの好きなところなんです。
「これは鹿児島のことを歌った曲です。」について。
すいません、物知らずで。これって替え歌なんですね。
元々、ハワイのことを歌った歌なんですよね。最近知りました。
って言うか、そのぐらい最近の長渕さんの歌聴いてないってことなんですが、ここで言い訳させてもらいます。
私が長渕さんの歌を聴くときって、基本的に気がめいっていたり、鬱っぽくなっているときに聴くんですよね。
ですから、私自身、調子の良いときは長渕さんの歌はあまり聴きません。
私は長渕さんの歌が全て好きなわけではありません。
コアな長渕ファンの方には申し訳ないのですが、中には嫌いな歌もあります。
それは、私が長渕さんに求めているものがあり、それに呼応できないようなものは、いくら長渕さんといえども賛同できようもないということをご理解いただきたいと思います。
と、まぁ、このように中には誤った情報も書かれているかも知れないので、これからも注意深く書いて行きたいとは思いますが、なにぶん自分の書きたいことを書いていますのでこれからも間違った情報を書いてしまうかもしれません。
そのような文を発見された方は、ぜひご一報ください。内容を検討いたしました上で誤ったものであればどんどん修正して行きます。
以上、インフォメーションでした。
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えーっと、昨日に引き続き“ドラ○もん”のキャラシリーズってことで、 “の○太”です。
昨日からのロボット2体は濃い目のキャラ設定としたので、今回は涼やかにしてみようかと思い挑戦してみましたが・・・、うーん、なんか変っ!!
この顔立ちにメガネと髪型と服装が全くマッチしていないんだもん。
これを変にしないようにするのは非常に難しいッス。
で、このキャラの場合、目元が非常に難しくて、なかなか良い感じが出なかったので「十二国記」って話のキャラで「尚隆(しょうりゅう)」っていう王様がいるんですが、彼の目にしてみました(ちなみに絵はアニメの方の尚隆を参考にしています)。
ゆえに目元だけほかの絵と違っています。
に、しても、こんな“の○太”君ならイジメられることもないような気がする・・・。
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D-CHANG |
えーっと、昨日に引き続き“ドラ○もん”のキャラシリーズってことで、“ドラ○もん”の妹の“ドラ○ちゃん”です。
やはり兄に負けないように美形でナイスバディにしようかと・・・。
で、表題にもありますが“CHANG”って字がついているんでモンゴロイド系の顔にしようかと思って描いてたら、なんだかスラヴ系のエキゾチックな顔になってしまいました。
うーん、しかし体の構図おかしいなぁ・・・。私のデッサン力ではここら辺が限界か?
でも昨日の“ドラ○もん”は3時間ぐらいかかってたけど、これは2時間ぐらいで描いているんでそれなりに操作方法は慣れてきてるよなぁ。
ところで、ドラえもんの声優さんたちのキャストが25年ぶりに替わるってことである意味この絵ってメモリアル的なモンもあるよなぁ。全然意識してなかったけと・・・。
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えーっと・・・(^ ^;)
美形、マッチョの“ドラ○もん”です。
これってMSペイントでなんとなぁ〜く絵を描いていくうちに、気が付いたらこんなんなってました。
ちょっと肩の筋肉が貧弱だし、(っていうか体の構図おかしいよなぁ)変なんですけど自分としてはMSペイントで描いた割には上手く描けたかなぁって思って載せてみました。
今度は“の○太”君でも挑戦してみようかなぁ・・・。
ところで関係無い話なんですが、今日、ビデオで撮っといた「銭形金太郎」観てたら、声優志望のビンボーさん(♂)のお父さんが息子を激励するためにプレゼントした自ら描いた絵が美少女キャラだったんですけど、なんだかメチャメチャ上手かったなぁ。
そのお父さん、漆塗り職人なんだそうです。
恐るべし職人技・・・(^ ^;)
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徒然tic その2 |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
えーっ、表題には意味が無い。
なんか久しぶりなんじゃないかと思う、これ書くの。
多分、1月始めぐらいで更新がとまってんじゃなかと思うのだが定かではない。
なんか書く気がしねぇ、って感じでしょうがないのだがこれもまた定めか。
ところで、最近、長渕さんの桜島のCDずぅ〜っと聴いていた。
なんだか、気がめいってくる。
やっぱ長渕さんはヤな気分の時に聴くべきだな。
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徒然tic |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
えーっ、表題には意味が無い。
その1:つい買ってしまった。
ずーっと我慢していたのだが、つい、長渕さんの桜島コンサートのCDを買ってしまった。
なぜ我慢していたかというと、桜島のコンサートのDVDをプレゼントしてもらう予定だったんで“CDは買わなくて良いかなぁ〜”とか思っていたんだが、たまたまCD屋の近くに行ったんで、つい“ふらふらぁ〜”っと、ホントに“ふらふらぁ〜”っと買ってしまった。
でも買って良かった。
買った直後にすぐ聴いたのだが、もう半年も経つのにあの時のシーンを思い出す。
あの時、“しあわせになろうよ‘04”ではテンションが下がったが、ヤッパ今聴いてもテンションが下がる。
その2:感動したっ!?
今日、NHKの“プロジェクトX”を観た。
地下鉄サリン事件の発生直後に、被害者の治療にあたった聖路加国際病院の医療スタッフの話だった。
聖路加の院長さんの考え方が非常に良かった。
ヤッパ戦争を越えてきた人は考えが違うなぁ。
でも、それならトップだけ理想を語って下々がついてこないってのが世の中の常ってトコなんじゃないかなぁって思いがちなんだが、スタッフがそれについてくるところが院長さんの思念みたいなものが末端にまで行き渡っている証拠なんではなかろうか。
まぁ、TVだから大げさなトコもあんじゃねーかとは思うけどね。
まぁいいや、その時は感動したから。
実際涙出そうになったよ。
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節分 |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
節分である。
子供の頃、鬼を追い出し福を寄せるという意味で炒った大豆を撒き散らしたものである。
しかしながら、この行事の由縁を聞いたことが無いのは、どういうわけであろうか。
全然関係無い話であるが、源義経をご存知であろうか。
幼少の頃、牛若丸と名乗っていた彼は、京の五条の橋の上で弁慶と合間見える有名な逸話を残している。
で、子供の絵本なんかに書かれていたそのシーンなんかでは牛若丸が薄手の布を頭から被っている絵が描かれている場合が多いと思う。
子供の頃、あの薄衣は単なるオシャレだと思っていた。
ところが大河ドラマの“義経”で、その話を次週放送するのであるが、これ予告編では牛若丸は女に偽装するために女物の着物を頭から被っていたってことを最近知った。
このように一見意味のなさそうな事なのだが、ふとしたことから“これってトリビアになりませんか?”と、いうことを知ったりする。
節分の話に戻ろう。
どういういきさつで鬼に豆をぶつけるのかは俺にとって未だに謎であるが、自ら調べようとは思わないのは歳を食ったせいだろうか。
ところで、昔、“うる星やつら”という漫画があり、主人公の宇宙人“ラム”が鬼であるということからラムの友人(?)“ラン”、“お雪”、“弁天”の3人組が節分をやろうとして、豆を撒くのだが、たしか弁天がマシンガンかなんか乱射しながら(でも弾は豆)でラムを追いかけ回してたようなシーンがあったような気がする。
これが節分の起源じゃないよね?
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やる気がしねぇ〜っ!! |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
タイトル通り、最近“やる気がしねぇ〜っ!!”って忌野清志郎氏の声が頭の中でシャウトする。
これって昔、RCサクセションってバンドの“RAPHSODY”ってコンサートアルバムに入ってた曲があって、曲のタイトルは忘れたけど、
“ボス、ボス、ボス、ボスが”なんたらって歌いだしの曲だ。
これって会社勤めの人が会社に行きたくないってことを歌った曲だったと思った。
けど、今、歌詞で覚えているのがさっきの歌いだしと、
♪(この前の歌詞忘れた)腹が痛いって寝てた(間奏)やる気がしねぇ〜っ“
って清志郎さんが歌っているトコだけだ。
昔、この曲聞いて共感したものだが歳月を重ねて行く間に記憶の彼方へ行ってしまったのか、それともDeleteされてしまったのか・・・大部分を忘れてしまった。
それでも、イマイチ気分が乗らないときがあると、この曲のこの部分だけふと思い出す。
で、なんでやる気がしないのかっていうと、近年稀に見る暇さである。
別にやる仕事が無いって訳じゃないけど、今やっている仕事が金に(正確に言うと直接会社の収入に)ならないと思っているからだろう。
まぁ長い目で見れば金になるんだろうけど、ウチの会社の場合、それが直接結果となって現れないことが分かっているからだろう。
直接会社の収入にならないってことは、間接業務ってことなんだよね。
間接業務って例えば事務職なんかがそうだけど、会社にとって事務職は必要不可欠なモンだしこれはこれでやりがいをもって出来る仕事なんではなかろうか。
しかしながら、俺が今やっている仕事は、そんなんとは関係なく、こんな箸にも棒にもかからないようなことやって、結果が出なかったらどうすんだろうと思う。
それにさっきも書いたが結果が非常に見えにくい。
そんな訳でやる気が出ないわけである。
ところで、RCサクセションのギタリストで仲井戸麗市って人がいたが、愛称がなんで“チャボ”なんだろうか。
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えーっと、このホームページの一番最初ページにアクセスしてもらうと分かるのですが、タイトルの“徒然Media★Mix”ってタイトルロゴのデザインをgifアニメ使ってハデ目に変更しました。
ちなみに一番最初のページはどっかのURLとかからここに飛んでくると見る事ができません。
もし、この文を見ていて「どーしても見たいっ!!」方がいらっしゃいましたら、下記をクリックして見てください。
http://kikatyk.ld.infoseek.co.jp/
そーすると、リニューアルしたロゴを見ることが出来ます(ついでに“お気に入り”にも登録してくださいっ!!)。
ちなみに10秒ぐらい動かない時間がありますが、それ以上経てば動き出すと思います。
これからも告知無しで色々と変えていくかもしれませんので要チェックですっ!!
では、また。
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たまには昔を振り返って・・・ |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
年末にその年を振り返ること以外、10年以上前から過去を振り返らないように努力してきた(つまり1年以上前のことを振り返らないようにしてきた)。
まぁ、昔のことを忘れている場合もあるんだけどね。
ひたすら突っ走ってきたこの歳月を、今、振り返った。
って言うのも、さっきこのホームページ、そしてこれの前進である“Early徒然★Media Mix”を読み返してみたからだ。
思えば2002年の5月から、このホームページを開設した訳だが、その間、世の中色んなことがあったんだなぁ、って思う。
サッカー日韓W杯、イラク戦争、あざらしのタマちゃん、パナウェーブetc、中越地震、スマトラ沖地震・・・。
なんか懐かしいなぁ、って思い、そうだったよな、と、思う。
でも、主に自分のことを書いた月記を読み返してみると、案外考え方って変わってないんだなぁ、と思う。
これだけで自分の足跡が分かって、なんかこれから先の生き方みたいなものを考える指針めいたものを漠然と感じる
今年でこのホームページを開設して通算で3周年。
これからも、色んな出来事を、そして自分の感じたことを書いて見たいと思う。
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悲しいことはいつもある |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
うちの会社は土曜日から今日までの三連休である。で、今日も会社を休んでいる。
年明けしょっぱなから、会社の休日という休日を全て休んでいる状態である。
近年まれに見る状態だ。
例えば三連休があったとして、かならず一日は会社に出ている場合が多かった。
あんまり休んでいると、ふと不安に襲われる。
“こんなに休んで大丈夫なんだろうか”とか“今、何かやっとくべき仕事があるんじゃないか”とか・・・。
こんな仕事体質になってしまった自分が、ときより恨めしく感じてしまう。
結局、そんな不安に襲われることによって、結局休まらないような気がする。
かといって会社に出る気はさらさら無い.
それならば、部屋の掃除とか、片付けとかすればよいのだが、あまりにもやることが多すぎてやる気にならない。
こまったものだ。
自分の中で年始に掲げた目標として、“休日は休む”と“定時には帰る”というのがあった。
今のところ順調な滑り出しであるが、意外と定時に帰ったり、休日を休んだりしていると、なんとなく手持ち無沙汰である。
それならばと、余暇になんかできることを探せば良いのであろうが、なんだかやる気が出ないので結局、だらだらとゴロゴロと過ごしてしまう。
それに余暇になんかやるって言っても、なにかしら金がかかるって言うのもやる気が出ない一つの要因であろう。
昔、中島みゆきさんの曲で“悲しいことはいつもある”というのがあった。それはこんな歌詞である。
♪誰も悪くはないのに
♪悲しいことはいつもある
♪願い事が叶わなかったり
♪願い事が叶いすぎたり
♪誰も悪くはないのに
♪悲しいことはいつもある
と,スローテンポのジャズ調で歌われるこの曲をふと思い出した。
願い事が叶いすぎるのも、その後のことを考えてないと結局困ってしまうものである。
人生計画的に生きて行きたいものだ。
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年始めに、徒然に・・・ |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
まずは新年の挨拶から。
旧年中は当ホームページ“徒然Media★Mix”をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
本年も当ホームページ“徒然Media★Mix”は、ますます自己中心的な観点で物事をにあーたらこーたら物申して参りますので、より一層のご愛顧を賜れます様、よろしくお願い申し上げます。
と、まぁ、新年の挨拶はこのぐらいにして、去年から今年にかけての話を書いておこう。
まず、年末に大きなニュースが流れてきた。
一つは“スマトラ沖地震”である。
文字通りスマトラ沖で発生したこの地震は環インド洋(こんな表現があるのだろうか)の各国に犠牲者15万人という、未曾有の被害をもたらした。
タイ国のプーケットって所は観光地として有名な場所であり、日本からも大勢の観光客が訪れているが、この地震による津波で多くの日本人が犠牲となった。
犠牲となった方々、親族の方々にはお悔やみを申し上げ、被災された方にはお見舞いを申し上げる次第である。
次に奈良女児誘拐事件の容疑者が逮捕された話。
容疑者逮捕の報を受けて、被害者の親族、近隣の住人の方々も少し安心されたと思う。
ニュースなんかでは、この男の生い立ちなんかを連日報道していた。
一応、私がTVなんかで見聞きした話をまとめると、あの埼玉で連続幼女殺害事件を起こした奴に似たような感じである。
身体的コンプレックスがあり、同年代近くの女に相手にされない場合、自分より力の弱い異性に性的興味が向くらしい。
歴史的に幼女性愛とか幼児性愛は別に今始まった話ではないが、今の世の中、これらは倫理的により一層許されないこととなっている。
しかしながら幼児ポルノと呼ばれるそういった性的描写が成された書籍、映像も、巷に氾濫しているのも事実である。
結局、自己顕示したい衝動と幼女性愛の妄想の中で起こってしまった事件ではなかろうか。
こう言った事件はこれからも起こる可能性があるかと思われるので、倫理的規制を法的に強化するばかりでなく、世の中の正しいとされる倫理観をより確立する手段が必要であると思われる。
次にサッカーの話。
まず天皇杯決勝戦、ジュビロvsヴェルディだったのだが、結局ジュビロは負けてしまった。
Jリーグも2ndは13位であったし、この所パッとしない戦績が続いている。
今年は、超強力FW、チェ・ヨンス選手も入団したことだし、それなりの成績がでるかとは思うが、やっぱ中盤の攻防がイマイチなんでFWとかGKとかじゃなくてそこら辺りをもう少し何とかした方が良いような気がするが・・・。
あと、高校サッカーでは藤枝東が国見に負けてしまった。
PKで勝敗がついたんで仕方が無いのだが、やっぱ土壇場となると地力で国見の方が勝っていたんだろうなぁ、って思った。
それにしても藤枝東の赤星選手はフェイエノールトの小野選手を彷彿とさせる、なかなかの逸材である。
Jリーグの浦和レッズに入団が内定しているようだが、ぜひスタメンに出られるような選手になって欲しい。
と、まぁ、世の中的にはこんなところが私の関心を引いたことである。
ところで、年頭に今年の話をするとき、「今年は良い年になりますように。」と、いう表現をする人と、「今年は良い年にしたい。」と、いう表現をする人がいる。
この表現に気が付いたとき、私は“はっ”とした。
私は今まで「今年は良い年になりますように。」と、考えていた。
しかし今年からは「今年は良い年にしたい。」と考えるようにしたい。
これは他力本願ということではなく、自力ですると考えたほうが良い結果が出そうな気がするからだ。