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“黄金の中盤カルテット”だと逆に弱い。
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“ボブ・サップ”の存在は意味が無い。
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“2○ゃんねる”とか、インターネットの掲示板って結構悪名高いけど、それがどうしてそんなこと言われるかなんとなく分かる掲示板を見つけました。
私は誹謗中傷になるといけないんで具体的な名称なんかは伏せて書くようにしてますが、あえて今回は具体的に書きたいと思います。
と、いうのもこれが正しいか否かは私には判断できないんですが、判然としない気持ちになるのは確かで、では、これは一体なんだろうってのと、世の中の人がどう思うのかというのが分かれば、私的にもなんか納得できそうなんです。
Yahooさんの掲示板って結構カテゴリーがたくさんあるんですが、今日、なんとなく“ジュビロ磐田”に関する掲示板が無いかなぁ、って思って見てみたんです。
っていうのも、ジュビロ磐田における最近の成績がJリーグの1stステージ終わって結局2位、アジアチャンピオンズリーグも、ナビスコも準々決勝に行けず敗退、と、言うように昔と比べて明らかに戦力が落ちているわけで、これをどこかで戦力分析して原因を話し合ったりしている掲示板は無いかなぁ、って、思ったからなんです。
これは決して意地悪ではなく、ジュビロの弱点が克服されたところを観戦できる試合で確かめたくて「あぁ、また一層強くなったなぁ」って、ことを実感したいのです。
それには、自分が気が付かなかった弱点を知ることが必要だったんです。
てな訳で、昔からの習慣でIE立ち上げたときに開くよう設定してある「Yahoo Japan」さん掲示板で探していたわけです。
まぁ、(会社で見ていたってのもあるんですが)時間があんまり無くて、あっちこっちのスレッドを見ることができなかったんですが、みなさんやっぱりサポータの人が多くて前向きな発言が多く、あんまりそういった分析をするとかのスレッドが少ないんですよねぇ。
でひとつ気になったスレッドがあったんです。
「ざまぁみろジュビロ」(だったかな?)っていうタイトルで、他のスレッドにもそのスレッドのことが書いてあったんです。
どうもかなりヤバい内容が書いてあるらしく、他のスレッドには“何故、Yahooは「ざまぁみろジュビロ」というスレッドを削除しないのか?”的な発言が多く書いてあったんです。
まぁ、掲示板とかチャットとかに良くある“あらし”っていう奴かなぁ、と、思ってそのスレッドを見てみたわけです。
で、その内容ってのが、“「なるほど、これをサポータが見たら怒っちゃうよなぁ」っていう内容なんですな。
まぁ、パターンが決まっていて試合開始前に書き込みがあってジュビロの対戦相手を応援するような書き込みがあって、試合終了後、ジュビロが負けるとものすごーくコ馬鹿にしたような口調で書き込みがあり(引き分けの場合は少し控えめ)、で勝つと書き込みが無いっていう感じです。
まぁ、ヒドいこと書いてあるわけですが、そこのスレッドには書き込み主に対して“誹謗中傷は止めなさい”みたいな書き込みもあったり、書き込み主に講義や誹謗中傷する書き込みがあったりすると、書き込み主は反撃したりと、まぁ不毛なやりとりがそこには展開されているわけです。
(えー、ちなみに具体的な内容は実際に掲示板を見てみてください)。
と、まぁ、“2○ゃんねる”とかにもよくある特定人物同士の誹謗中傷合戦ではあるんですが、そこはそれジュビロの話、サポータとまでは行きませんが、サッカーファン、ジュビロファンの私としては、何故そのような書かれ方をするのか、非常に知りたくなってきたんです。
しかし、ここで感情に走って、そのスレッドに書き込みをしても意味無いような気がするんで、とりあえず、このスレッドについて分析してみることにしました。
まず、大筋のパターンは前出のようなのですが、もう少し内容を詳細に見てみましょう。
試合前、問題の書き込み主(以下“この人”とします)は、対戦相手にエールを送るような内容を書き込みます。
このとき、印象に残ったのが各チームの応援時の掛け声をそれなりに知っていること。
私もサッカー好きなんで、試合中なんかの応援の掛け声でどことどこの試合をやってるかぐらいは分かる場合もありますが、この人はその掛け声をそれなりに文章で表現しているわけでサッカー好きなのは分かるような気がします。
次に、試合後の書き込みなんですが、いくらジュビロが弱くなっているとはいえ、Jリーグで2位なんですから勝ち試合は3位以下のチームと比べれば多いわけですよ。
現に今期は残り4節ぐらいまでは首位だったんですからねぇ。
この人は、それなりに何らかの方法でジュビロの試合を見ているわけで、そのたびにジュビロが勝っていたんではかなりフラストレーションが溜まるんじゃないかなぁ、って思いました。
ここでこの人がどんな人なのかを推測して見たいと思います。
まずサッカーは好きなのは間違いなさそうです。
次にジュビロが嫌いか否かは現時点では判断できません。なぜなら、この人は書き込みの中で好き嫌いといったことを言及していないからです。
確かに、タイトルや書き込み内容からすればジュビロ嫌いなんじゃないかと思いますが、具体的に“嫌い”とかの文が書いてありません。
いくら誹謗中傷したような文章でも、好き嫌いに言及していない限り、好き嫌いを判定することはできません。
あと、多分応援しているチームは無いでしょう。色々なチームのことを知っているので、どちらかというとサッカー自体が好きってことなんじゃないですかね。
そんな感じで、この人の人となりは下記のような感じではないかと推測しました。
ジュビロは好きだが、最近弱くなってきているので鼓舞するため煽動することによりサポータなど活動を活発化させようとしている人。
ジュビロは好きでも嫌いでもないが“ジュビロ磐田”のカテゴリであれば当然サポータが多く集まるので冷やかしてやろうと書き込みをしているサドタイプの人。
プロ野球でいうと好きなチームはこれと言って無いが、ジャイアンツは嫌いだという“アンチ巨人”的な感覚を持つ人。
昔ジュビロのユースとかサテライトとかにいたが、退団してしまい、それを恨みに思って、または逆恨みして誹謗中傷してやろうという犯罪的な感覚な人。
と、まぁ、色々考えて見ましたが、どれもこれも仕方ないかなぁって思います。
1の場合は愛があるから愛の鞭ってとこですかね。
2の場合は性癖なんでどうにもならないんで。
3の場合は、まぁ、これはエリート集団への僻み的な部分ってあるんで、まぁ、仕方ないかなぁ。
4の場合は、多分、時が解決してくるでしょう。
そんなこんなで素人プロファイリングはここまでにして、このスレッドの功罪を考えてみたいと思います。
別に裁判沙汰になったわけでもなんでもないんで大きなお世話なんですが、私刑(いわゆる“リンチ”という意味ではない)的にはどうなんでしょうか?
まず、検察の立場である“好き”よりの人であればこんな感じですかね。
熱烈なサポータの立場では、到底許せるような内容ではないですな。
まぁ、普通くらいのサポータやファン的には、嫌なこと書くなぁ、って感じですかね。
では弁護側である“嫌い”よりの人であればどうでしょうか。
“アンチ巨人”的な“アンチジュビロ”の人ならば、賛成できるでしょう。“もっとやれ”って感じですかね。
応援してるチームがジュビロだけは勝てないだなんて人は自分の応援しているチームの書き込みには“もっとやれ”って感じでしょうが、他のチームの場合、普通の人なら文章的には誹謗中傷だと思う人もいるでしょう。
で、陪審員的立場のサッカー好きな人の場合、、公正な立場でいられるでしょうからあんまり興味が無いかもしれませんが、普通の人なら文章的には誹謗中傷だと思う人もいるでしょう。
で、裁判的には告訴棄却ですなぁ、これじゃぁ。裁判するにはあまりにも材料となる内容が少なすぎる。
と、まぁ、色々書きましたが、最後に一見関係ないように思われるも知れませんが、数年前、山陽自動車道の高速バスをバスジャックした当時17歳の少年に切りつけられた女性がテレビのインタビューに答えていたこと思い出しましたんで、これを書いておきます。
この女性は、人質として長時間監禁されていたわけなんですが、そのバスジャック犯を説得しようとして顔を包丁で切りつけられたのだそうです。
テレビなんかでは人権の問題とかあるんで、顔とかは隠して放送しますが、そのときその女性の顔を出して放送していました。
女性の顔には左の小鼻のあたりから左耳あたりまで裂傷の跡がくっきりと残っていました。
女性は年配の方でしたが、年配だろうが男だろうが、そんな傷を受けたくは無いと私は思います。
で、(結果的にと言われればそれまでなんですが)そんな傷を受けてまでも犯人を説得しようとした動機を女性はインタビューの中で、こう答えていました。
それは犯人を“哀れ”に思ったんだそうです。
そして“助けてやりたい”と、思ったんだそうです。
これって普通に考えると、正気の沙汰ではないように見えるでしょうが、人間、極限状態を長く強いられとき正常な精神状態でいられる人は、かなり強靭な精神構造をお持ちです。
まぁ、他にも銀行強盗なんか人質なんかとって立てこもった場合なんかで、監禁が長時間となると犯人と人質との間に連帯感が生まれることもあるっていう現象も確認されているわけですから、一概におかしな行動とも言えないんじゃないんでしょうか。
で、なんでこの話を書いたかって言うと、このスレッドの書き込み主に私は“哀れ”を感じたからです。
そのとき思い出したのが、その切り付けられた女性のことだったんです。
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仕事って・・・。 |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
今、出張から帰ってたところだ。
いやいや、また出張だよ。
「ほんっとに出張多いよなぁ。」
などと、昔、友達に言われたことがある。
確かに、その頃、出張がアホみたいに多かった。
とってもイヤだった。
会社は、ほぼカレンダー通りの休日を設定していたが、結局、休みの日は仕事、特に長期休暇のあるようなときは絶対仕事だった。
それに平日だって休日にお客と約束してるから大車輪で働かなきゃならない。
自分の予定なんか立ちゃしねぇ。
“俺の人生はどこから始まり、一体どこへ終わって行くんだろう”って長渕さんの“いつかの少年”のフレーズが頭をよぎってた。
でもさぁ、そりゃそうだよね、あン時はバブルで仕事やればやるだけ金が入ってくるような時代だったもん。
で、今、世の中このザマかよ。
なんて愚痴を言っても始まらない。
「仕事があるだけマシ」だなんて台詞が挨拶がわりになるなんて時代を想像さえできなかったあの頃。
たしかに“仕事”がなけりゃぁ、食っていけないもんね。
なんだか微妙な気分。
でもあン時と今と比べると、今の方が内容は濃いような気がする。
仕事をこなす為に仕事するみたいな仕事の仕方はあんまり好きじゃぁない。
じっくり考えて、すっきり物事考えればそれないりに良いモンが出来てくる。
昔のモノと、今のモノとじゃぁ、出来具合がぜんぜん違うと思う。
良かったなぁ、そう思えるようになって。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
最近、中島みゆきさんの曲を聴く機会が増えた。
っていうのも、アルバム“大吟醸”を手に入れたからだ。
このアルバムって最近(でもないか)みゆきさんが歌っていたテレビ主題歌なんかを主に集めたもので、安達祐美嬢が主演の“家なき子”シリーズで主題歌として起用された“空と君との間に”、“旅人のうた”とか、“筑紫哲也のニュース23”のエンディングだった“最後の女神”、郵政省(現“日本郵政公社”)の年賀はがきのCMで使われたバージョンの“時代”、工藤静香嬢に楽曲を提供した“慟哭”のカバーなんかが入っいる。
あとはみゆきさんファンの中でも人気の高い曲が入っている。
とある理由でみゆきさんの曲を聴こうとも、いや、聞こうともしなかったが(魔が差したのか)たまには聴いてみようと思い立ち、こうやって積極的に聴こうと思って聴いたのは十何年ぶりだった。
収録されている楽曲全14曲中、知らない曲は唯一、一曲のみだった。
その曲は“誕生”という曲である。
私にとってこの曲はみゆきさんの(あの“地上の星”とか“銀の竜の背に乗って”より後から聴いているから)最新曲ということになるがわけだ。
曲調からなんかのアルバムの最後の曲なんだろうと思うが、久々にヤラれてしまった。
このあたりからサビくらいまでを聴いてしまったら鳥肌が立った。
♪巡り行く季節を数えながら、巡り逢う命を数えながら、恐れながら、憎みながら、いつか愛を知ってゆく
♪泣きながら生まれる子供のように、もう一度生きるため泣いて来たのね
♪Remember 生まれたとき、誰でも言われたはず、耳を澄まして思い出して最初に聞いたWelcome
♪Remember 生まれたこと、Remember 出逢った事
♪Remember 一緒に生きてたこと、そして覚えていること
みゆきさんのフレーズで昔聞いた事がなかった言葉“恐れ”。
そして昔からあるフレーズ“憎み”、でもどっちかっていうと“憎む”より“怨む”方がしっくりくるのがこれまた怖いって感じもするが・・・。
で、そのあと続く“いつか愛を知ってゆく”。
昔ならば、憎んだら憎みっぱなし、怨んだら怨みっぱなしだったのがみゆきさんの詩だったが、そのことによって“愛”を“知ってゆく”ってのは昔は無かった言葉の連なりだ。
みゆきさんの“愛”を題材にした歌は“恋愛”に限定される場合が、多分ほとんどだったと思う。
そして、大体、その“愛”は終わったところから歌の歌詞が始まっていたのだ。
しかし、この歌は、そのことによって“愛”を“知ってゆく”という歌詞が続く。
これについては私としては“恋愛”とは違う意味での、また恋愛も含まれた“愛”を歌っているのだと認識した。
これって私が知っているみゆきさんの歌詞のパターンには無いものだ。
そして、そのあとに“泣きながら生まれる子供のように、もう一度生きるため泣いて来たのね”は昔だったら絶対考えられない。
昔だったら、みゆきさんが“泣く”という言葉を使った場合、絶対的な絶望からくる悲しみを意味する。
例えば、恋焦がれているのにフられた相手は絶対自分の所へは帰ってこないけど、帰ってきて欲しいから泣くとか、そういった感じで使われる。
しかし、この歌詞では“生きる”ために“泣いて”いるのだ。
それも“泣きながら生まれる子供のように”とはっ!!
これが一番考えられない。
多分、こういう言葉を使うみゆきさんの歌詞って始めて聞いたと思う。
たしかに子供が生まれたときに産声をあげるということを、その後に泣いてきた理由に使うことは、その様を知っていたり、それが想像できる人には、メッセージとしてものすごく強烈な印象を与えるであろう。
そして続くサビ部分。
“〜生まれたとき、誰でも言われたはず、耳を澄まして思い出して最初に聞いたWelcome”
って、そんなの覚えてるはずねーじゃんっ!って突っ込みを入れてもおかしくないような歌詞であるが、これは多分、分娩する妊婦の配偶者または親族、親類縁者の観点、または、母となった人が、時間がたって我が子について考えたときの観点である。
これを前の“泣きながら生まれる〜”のフレーズとあわせて考えると、出産に立ち会った人が出産前または出産後に色々考えた上で悟ることであるような感じを受ける。
ちなみに私には子はいないが、周りにそういうシチュエーションが増えているので、なんとなく私にも想像がつくのである。
昔のみゆきさんならまずありえない歌詞が名並んでいるのは驚いたが、この歌詞今の私にとって非常に感動的に聞こえるのもあいまって鳥肌が立ったのである。
っていうのも、身近に親となる人が少し多かったのも、その要因だろうと思う。
あと、曲調であるが、これはみゆきさんがアルバムの最後の楽曲でよく持ってくるバラード調の曲の集大成のような曲である。
サビ前の“巡り行く〜数えながら”で“恐れながら〜”と続くわけだが、この間のフレーズを聞くと昔の曲“時は流れて”のサビ前からサビも部分(歌詞を忘れたのでちょっと自信が無いが)“流れの中で今はただ祈るほかは無い、あんたが私を見つけやしないように”のあとに“時は流れて〜”と続くのだが、その間のフレーズを思い出す。
サビの頭のフレーズ、“Remember〜耳を澄まして思い出して最初に聞いたWelcome”で次に“Remember〜”と続くわけであるが、この間の曲調が昔の曲“根雪”の最後の方の “いつか時がたてば忘れられるあんたなんか”というリフレインを思いだす。
そして“Remember 一緒に生きてたこと、そして覚えていること”のあとに間奏が入るのだが、これを聞くとやはり昔の曲“歌姫”の間奏を思い出す。
前記に出てくる“昔の曲”はすべてアルバムの最後の曲(昔はレコードだったからB面の最後の曲)である。
この中に入っている曲で昔は“ファイト!”とか“狼になりたい”とか、結構私の中では若者向きの曲が好きだった。
そして、中島みゆき最強の曲は“歌姫”であると今まで思っていたが、中島みゆき最強の曲は“誕生”となるかも知れない。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
突然だが“人間らしい”とか“人間らしい生活”なんていうけど、具体的にどう言うことだろうか。
“人間らしい”ということは、他の生命体と人間の行動パターンには相違点が存在するはずである。
これを考察してみたい。
人間は理性の動物であると言われている。
と、言うことは完全に理性の管理下で生きてゆけるのが究極の“人間らしい”ということになると思われる。
となれば、まず、 “理性”とは何かをまず考察せなばなるまい。
辞書には「道理に従って行動するさま」と書いてある。
で、“道理”とは「ものごとのすじみち」なのだそうだ。
では、“ものごと”の“すじみち”とは?
非常に漠然としてるこの言葉であるが、“ものごと”の“すじみち”に従って行動すると、どのような結果が得られるか?
私としては、正しい結果は得られることを期待したいものである。
では、正しい結果とは何か?
これもまた漠然としているが、私としては、自分が損しない結果を期待したい。
では、損得とは、どのような判断基準となるのだろうか。
私としては、生命維持ができることが、まず、大前提であると考える。
金銭や信用などの結果は生命維持のための材料にしか過ぎない。
つまり、物事の筋道に従う、つまり理性的に生きることが、生命維持するための本能を満たすということらしい。
では、先ほどから出ている物事の筋道とは何だろう。
正しい結果が得られる物事の筋道とは、発生した事象に対して自分が損しなかったという結果を得るために対応、行動するということである。
では自分が損しないといことは何か。
一番具体的な金銭的な問題で考察してみよう。
たとえば、同じ労働時間で給与に格差が生じた場合、給与の少ない人は損したということになる。
では、人は損した場合、どのように感じるのであろうか。
少なくとも不快だと感じるだろう。
しかしこれは“時間”という事柄のみ適用した場合における結果であって、他の要因―労働内容、集合の中での地位などーは除外されている。
この場合、比較対照となる相手などと、自分とを相対的、客観的、多角的に比較したならば、また、別の結果が得られるであろう。
案外、自分が損していると感じるときは比較対照となっている事象のある一部に注目している場合が多い。
あと例として、経費で落ちそうな領収書の話をすると、請求額を水増し(って言っても100円くらい)してもらうとか、金額に書いてある“3”を“8”に書き換えたりとか、そういう涙ぐましい努力をしてまで会社を欺き、損しないように努力している人もいるが、結局、それがどのくらい自分の得になっているのかを長い目で考えたことがあるのだろうか、などと私は思う。
と、言うのも金が無い人はどこかで無駄遣いをしているものである。
この場合の無駄遣いは何も金銭だけの話ではない。
しいて言えば、具体的な金銭は発生していないが、それらを金銭的な対価に置き換えたらどうなるかということだ。
時間や身体的な新陳代謝なんかも金銭に換算した場合で、それらを含めた場合おける損得勘定を考察してみよう。
ひとつの例として、たとえば近くのスーパーで90円の玉子を売っていたとする。
しかし、遠くのスーパーは特売日で同じぐらいの玉子を80円で売っていたとする。
すると、1円でも安いほうが良いと遠くのスーパーまで車や自転車で出かけて買いに行く人も多かろうと思う。
だが、考えて欲しい。遠くに行くということはそれなりに交通費がかかるということである。
車ならばガソリン代が、自転車ならば体内のエネルギー、いわゆるカロリーが消費されるわけである。
まぁ、厳密に言うと車を運転してもカロリーは消費されるし、自転車も消耗するわけである。
ここで、遠くまで行って10円安いものを買った場合、どのくらい得になるかを考えて欲しい。
前述したカロリー消費量と、車、自転車の減価分を加算した場合、10円なんかあっという間に吹っ飛んでしまうのではなかろうか。
ちなみに“くりーむしちゅー”の上田晋也氏の薀蓄によると、人がしゃがんで立ち上がると3円分のカロリーを消費するそうだ。
車だって10万kmも走れば廃棄せざるを得ないだろう。
単純に、自動車で車両価格60万円の車を走行距離10万kmで価値が無くなるとし、燃費は12km/リットルでガソリン単価が120円/リットルと仮定する。
減価分6円/km、燃費10円/km、となり、これを足して16円/kmいうことになるので車では往復625m、片道312.5m以内の店に行くことになる。
当然、毎年の自動車税もあれば車検もあり、諸々の諸費用だってあるわけだから16円/kmというわけにはとてもいかないことは明白である。
また、徒歩である場合でも、しゃがんで立ち上がるだけで3円分のカロリーを消費するのであるから、1kmも歩けるのだろうか。
ゆえに買い物に出かける場合は注意が必要である。
なるべく近くの店で買い物を済ませ、複数の店舗へ行く場合は最短距離で移動すべきである。
毎日どこかに用がある人(勤めている人)などの場合は、用を足す道すがらで買い物を済ませるべきである。
と、まぁ、金銭的な損得は、このくらい深く考えるべきである。っていうかこれでも足らないくらいである。
まぁ、ただ商品の単価が安いからなどの単純な理由で金銭的な損得勘定をするのは危険である。
でも、例のように、ひとつのことに対して考えうる事象を可能性の低いものまで検討するのは時間もかかるし、際限が無いということで効率が悪い。
また、詳細まで金額に換算するにも等価となる基準が不明または不明確であった場合、証明する確度の誤差が大きくなる可能性がある。
このような理由で、金銭で損得勘定の定義をするのには無理があるようだ。
しかしながら、物事の筋道が正しいことが自分にとって得である必要がある以上、なんとかしてその手段を確立する必要がある。
ここで、本能に登場してもらうこととする。
人間には“喜”,“怒”,“哀”,“楽”の感情がある。
これらを“快”、“不快”に分類すると、“喜” 、“楽” は“快”、は“怒”,“哀” は“不快”に分類することができるだろう。
感覚的に“快”は良い感覚、“不快”は悪い感覚であるとも言える。
人間が“快楽”、すなわち“快”、“楽”を求める動物であることは、安全や便利さを求めてあらゆる技術が発展してゆくことを考えても間違えなさそうである。
また“喜”ばしいことを不快であると感じることは少ないと考えられるので、喜ぶことは “快”いとも言い換えることができるであろう。
それに人間は得した場合に嬉しかったりする。
ゆえに喜んだり、楽しかったりするのは得であるということになる。
これで、自分だけが得をする方法が確立できそうである。
しかし、それが物事の筋道が正しいことになるのだろうか。
ここで、この場合、自分だけは喜んだり、楽しんだりできるが周りの人間が自分と同じように喜んだり、楽しんだりできない場合を考察する。
ごく当たり前の話であるが、十人十色というように人間一人一人には性格の相違があり、価値観もそれぞれ違し必然的に感覚的なものも違うものである。
たとえるならば、新作落語と古典落語の好きな人との差であろう。
新作落語は流行などの風刺が噺に含まれており、共感できるから面白い、だが、古典落語はどれも一度は聞いたことのある噺で初めのうちは面白いが次第に飽きてきて、それが面白くないという人もいるし、新作落語は風刺だなんて下世話な噺で面白くも無い、しかし古典落語は技能で笑わすものであり同じ噺をいかに面白く話せるかが面白い、という人もいる。
しかしながら新作であろうと古典であろうと結局“落語”は“落語”である。
人を笑わすのが目的なのだから、どちらであっても私はかまわないと思うし、新作落語はその噺家の“感覚”で笑う、古典落語は“技能”で笑うものだと私は思っている。
と、いうように感覚的な部分を共有できない場合、つまり、独り善がりに楽しかったり、嬉しかったりすると他の人間はそれに対して不平不満を言うようになる。
“不”という字が付くぐらいだから、このときの感覚は“不快”であることは間違いないだろう。
“快”が得だというのであれば、その反対の感覚である“不快”は損であるということになる。
もうひとつ、“不平”というのは“不平等”つまり平等でない、“不満”つまり満たされないのである。
ここで、他の人間と比べて同じにしたい習性を持つ人間というのは平等でなければ平等に、満たされなければ満たすようにしたくなるものだ。
そこでそれらを是正することにより、まずは、対等の、平等の立場となろうとする。
そしてそれらが満たされても、それを得であるとは思わないだろう。
なぜならば、それは不平等や不満をもたされたことによる“貸し”であり、それを返して貰ったに過ぎないからだ。
しかし、それをやられた人間が自分が得していたと考えてなければ、それは損させられたと思うだろう。
こうして自分が快楽を求めるための報復合戦が延々と続くのである。
上記の事柄から推測すると、自分が得しようと思った場合、同時に他の人間も得させるほうが、あとになって自分が得した分を奪われずに済むということになると思われる。
では、“人間らしい”ということの結論を書こう。
いままで述べてきた分の中で、これが“人間らしい”ということのポイントとなる点は下記である。
物事の筋道に従う、つまり理性的に生きることが、生命維持するための本能を満たすということらしい。
金銭で損得勘定の定義をするのには無理があるようだ。
喜んだり、楽しかったりするのは得であるということになる。
自分が得しようと思った場合、同時に他の人間も得させるほうが、あとになって自分が得した分を奪われずに済むということになると思われる。
総括すると、「みんなで喜び、楽しみを分かち合い感じあう」というのが一番得である、ということになろうか。
最後に、“笑う”という感情表現は人間のみが持ちえるものだという。
もし、喜楽が得であるというのならば、“笑う”ということが人間が唯一他の動物より得し得るものだと言えるだろう。
そうすると、“笑う”っていうのが“人間らしい”ってことになり、前記から“得”ってことになる。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
上海から無事生還(大げさか?)することができた。
6月19日に帰ってきた訳だが、そのダイジェストを書こう。
まず、現地時間5時30分に起床。
前日、かなり身支度をしてあったんで、ほぼ5時50分頃には部屋をでる。
まず、第一の難関であるチェックアウトへと向かう。
ホテルの受け付けに行くと、あれっ?だぁれも居ない。
ふと見渡すと、ベルボーイがいて、私を気が付いてくれた。
“チェックアウト”、“タクシー”、“プートン(上海の国際空港のこと、”浦東“と書く)”、と、ベルボーイは言うので、すべてうなずくとどうやら理解してくれたみたいで(それか、よっぽど私が困っているように見えたのか?)、フロントの人を呼んでくれた。
なんとかチェックアウトを済ませてタクシーへ乗ると、運転手が、これがまた人の良さそうな人でニコニコしながら私の相手をしてくれる。
とまぁ、そんな訳で空港に向かうこととなった。
ところで、この日は結構雨が降っていた。
しかし、そんなことはお構いなしに晴れた日と同じくらいの速度で高速道路をカッ飛んでゆく。
中国じゃハイドロプレーニング現象とか発生しないのだろうか?
などど思っていたところ、渋滞が起こっていた。
“やっぱ渋滞してんのかぁ”などと思っていると、運転手が前方を指してなんか言っている。
なんだろうなぁ、と、思って見ると中央分離帯の上にトラックが止まっているのが見えた。
事故かなぁ、と、思ってるうちに渋滞の中に入り、速度が落ちた。
渋滞の車の間から見え隠れするトラックを見ると、ひっくり返っている。
そうだよなぁ、こんなに運転荒いんじゃぁ事故もよく起こるだろうなぁ、と、思った。
意外とあっさり渋滞を抜け、しばらく走っていると空港に着いた。
ホテルまで所要時間40分位、来た時は空港からホテルまで1時間位かかったが、そのときはかなり渋滞してたからなぁ。
と、タクシーの清算を済まそうと金を運転手に金を渡し、おつりをもらうと、んっ?5元足らない・・・。
運転手を見ると、なんかニコニコしている。
こいつ、ちょろまかそうってんじゃねーだろーなぁ。
運転手にもらった領収書の金額を見せると、ニコニコしながら、残りの5元を出した。
まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
と、まぁ、そんなこんなで空港に着いた訳だ。
空港の中に入って出発便の表示を探す。
えーっと、・・・あれ?無い?
何故だか知らないが、私の乗る飛行機の番号が見当たらない。
へっ?欠航?と、一瞬あせったが、まず、状況を把握しなければならないので、航空会社のチェックインカウンター(予約券を切符に換えるところ)を探す。
これもあっさり見つかった。
では、と、思い、カウンターに向かおうとすると、カウンターの上になんか表示されていることに気が付いた。
あっ、私の乗る飛行機の表示がある。
なぁんだ、良かったなぁ、と、思い、今度は“黄色い紙”を探す。
これは何かというと、昔流行った“SARS”の為の“質問票”と呼ばれるもので、これに必要な事項を記入して検査口でハンコを貰い、カウンターに出さないと切符をくれないとのことだった。
しかし、この“質問票”も中国語と英語の併記で、よく分からなかったが、とりあえず書かないとヤバそうなところを記入して検査口へ提出した。
すると、係の人がなんか言っている。
なんのことかわからないが、どうも空欄にしておいた2箇所を指差して“サイン”といっているようだ。
あぁ、ここに今日の日付と署名(サイン)を書けってことね、と、納得し、そこの欄を埋めて提出すると、今度はハンコを押してくれた。
で、これでやっとチェックインとなったわけだが、ここではすんなり手続きが終わった。
次に出国ゲートへ向かうこととなるが、途中少し迷いながらもなんとか“空港利用税”の支払い口へ辿り着くことができた。
備え付けの自販機(発券機)に90元を入れるとプリペイドカードみたいなカードが出てくる。
これを、自動改札みたいな機械に差し込むと、出口の方で領収書が出てくる仕組みである。
その、改札口みたいなところに2人ネーちゃんが立っていて、ここに券を入れろ、と指示をくれるのだが、それじゃぁ自動改札の意味ねぇーじゃんっ、と、思っているのは私だけでは無い筈だ、間違いないっ。
で、いよいよ出国審査となるわけだが、ここでまず、手荷物をX線検査機へかける。
ううっ、日本じゃ中身だせって言われたからなぁ、ヤだなぁ、と、思っていたら、なんかあっさりと通ってしまった。
そしていよいよ出国口である。
うーっ、緊張するなぁ、何にも悪いことしていないが、なんか言われたらヤだなぁ、と思って出国票とパスポートを渡す。
こちらをジロっと見るのは、やっぱ日本も中国も変わらないなぁ、などと思って検査官の制服を見ると、徽章に“警察”って書いてある。
げっ、中国じゃぁ警察がこーゆーことやんのかよ、と、思っていると検査官が何かを言った。
なんだろう、と、思っていると、どうも“航空券”と、言っているらしい。
そっかぁ、航空券もいっしょにださなきゃぁいけないのね。と、思って提出すると、、そいつにハンコを打ってこちらにくれた。
やったぁ、これで晴れて出国だぁ、と、思ってロビーの方へ歩き出すと、なにぃっ!?金属探知機のゲートがある。
まだ検査すんのかよ、と、思ったが、別にヤバいものが入っているわけではないので、手荷物をX線検査機に置いた。
すると、そこにいた係りの奴が放り投げるようにカバンを扱うもんだから、少しムカッとした。
パソコン入ってんだぞっ!!壊れたらどーしてくれんだ、コラァ!!とか、思ったが、私は何も言わなかった。
それが功をそうしたかどうかは分からないが、そこも何事も無く通過することが出来た。
もう、無いだろうな、検査とか、って思い、あちこちを見回す。
まったく“宮沢賢治”の“注文の多い料理店”じゃねーんだからよぉ、しまにゃぁ、素っ裸になって鍋に入れとか言うんじゃねーだろーなぁ、と、思ったがどうやらこれで終わりらしい。
ロビーにて、今度は換金のため銀行を探す。
まぁ、日本でも換金できるんだろうとは思ったが、とりあえず、その国で換金したほうが日本に帰ってから何かと行動しやすいんで私はいつもそうしている。
と、銀行は出国口のすぐそばにあった。しかし、・・・。
開いてねーじゃんっ。何やってんだ?これより前に出発する便にのる人は、どーすんだ?とか、思ったが、私の場合、その時点で出発まで2時間あったんで、“まぁいいや、そのうち開くだろう”と、思って搭乗口で待つことにした。
出発一時間前、さすがに銀行も開いてんだろう、と、思って行ってみると、銀行は開いていた。
しかし、結構人が並んでいる。
と、ここでさっき閉まっていた土産物屋が開いていることに気が付いた。
とりあえず、換金する前に土産物を買っておこうと思い、土産物を買う。
そして、換金へ。
換金するときいつも思うのだが、小銭とかどうしようと思う。
何でかというと、昔、台湾で小銭まで換金しようと思って全部出してやったら、換金できない分は現地の金で返された経緯があった。
っていうか、現地の金返されても困るんだよねぇ、と、思うのだが、中国の場合はどうだか分からないんで、とりあえず、札だけ出してやった。
すると、計算した際に100円端が出たらしく、100円玉をくれた。
んじゃぁ、私も小銭を出してやったら良かったわいっ!!と、思ったが、まぁ、また来たときにでもと、思い直した。
と、これでやっとのことで飛行機に乗る手はずがついた。
搭乗口の椅子に座って待っていると、子連れの女の人がやってきて私の近くに座った。
しばらくすると、その子(2歳くらい)がグズりだした。
床の上でのたうち回って泣いている。
ふと、その子を見ると、何が悲しいのか私の方を見て何かをアピールしている。
母親はしばらく中国語で何か言っていたが、そのうち、その子を抱き上げて連れて行ってしまった。
洋の東西を問わず、子供ってどこでも同じなんだなぁ、と、思った。
そして、いよいよ搭乗時間を迎えることとなった。
飛行機は定刻より少し遅れて離陸した。
っていうのも、満席近いらしく連絡バスが2便となったようだ。
ちなみに浦東空港は搭乗口から連絡バスに乗って駐機場まで行くのだが、これが結構遠いところにある。
しかも誘導路を横切るらしく、バスの前を飛行機が横切っていくのを始めて見た。
と、まぁ、2便目の客がやってきた訳だが、じいさん、ばあさんばっかりだった。
最後のほうで若い男がやってきたのだが、私の座っている横あたりでじいさんになにか言っている。
胸に名札らしいものをつけていたんで、ふと見るとJAなんたらって書いてあった。
あぁ、農協のツアーね。とか、思い、上海とかもくるんだなぁ、と、思った。
そして飛行機は日本に着いた。
道中結構天候が悪く、結構揺れたが、落ちる訳じゃないし、無事生還できたわけだ。
飛行機を降りて入国口へ行ったのだが、ここの入国管理官が髭を生やし、色眼鏡(サングラスというには色が薄かった)をかけた兄ちゃんだった。
まぁ、日本の入国管理官ってば自由だねぇ、と思った。
とまぁ、そんなこんなで地元に到着し、夜、行きつけの飲み屋へ。
瓶ビールを注文し、一口飲んだ。
あぁ、やっぱり日本のビールはうまい、やっぱ日本が良いよなぁ、と、思った。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
上海出張5日目
実際に滞在する日は、いよいよ今日1日となった。
明日は飛行機の時間が早く、早起きしなければならないので今回は文章を短めにしておこう。
しかし、腹が下る。
かなりヤバい状況だ。
どうも、油っこいのがヤバいらしい。
でもまぁ、飯を喰った後に腹が痛くなるところを見ると、喰いすぎも原因らしい。
外食すると、なんにしろ喰う量が多くなってしまうからだろう。
メニューに写真が載っていてくれれば・・・、と、言った人もいた。
たしかに、写真が載っていればだいたいどの位の量なのかを判断できるだろう(タバコの箱でも一緒に写してくれればだが・・・)。
でもまぁ、なんにしろ、これで日本へ帰れるわけだ。
ここで上海での出来事とかを回想してみよう。
不順な天候(今、上海は梅雨なんだとか)。
・寒暖が結構大きい(でも山育ちなんで、あんまり堪えない)。
山並みが全く見えない(広大な土地なんだなぁ)。
ビルから突出た中国式の物干し台(これ見ると中国へ来たなぁ、と、思う)。
やっぱり、街中は”こ”汚い(結構ごみが落ちている)。
社会主義国家とは思えないような街並み(TVとかで見た、20年前の中国の映像を考えると)。
すさまじい交通事情(今年は上海でF1があるんだとか)。
通じない日本語(もっと勉強しろよっ!!って、私か?)。
腹が下る(やっぱりね)。
そして、意外と中国人って陽気なんだなぁ、と、感じたこと(もっと日本人的かと思ってた)。
ここで余談ではあるが、現場で一緒に仕事している人は、どうやら異文化”性”交流をしてきたらしい。
もし本当であれば、帰国してから各種検査を受けることをお勧めしたい。
と、いう訳で、明日いよいよ帰国する。
”さよなら上海”、と、いいたいところであるが、また来る予定(具体的な日程は不明)があるので”また逢おう上海”としておこう。
そうだなぁ、最後くらい中国語で言ってやろう”再見、上海”。
と、支那の夜は更けて行くのであった。
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上海出張4日目
またまたっ、書くことがないぞぉっ!!
と、いう訳で本日は昨日と変わらず仕事である。
送迎バスも定時間で運行し、特になんてことが無い一日だった。
しかし、懸念していた事柄が起こりつつある。
腹が下り始めた。
結局、こうなるんだよねぇ。
だから海外は嫌なんだよ。
しかし、愚痴を言っても私の腹が治るわけでもなし・・・。
と、まぁ、結局食い物の話くらいしかなくなってしまうんで、今日一日での喰ったものの話でも書こう。
あ、そーいや、今日の昼飯、弁当頼んだのになんだか弁当屋の手違いみたいで来なかったなぁ。
代わりに後輩の弁当を譲って貰ってしまったが(金は払うよっ!!)、まぁ、仕方ないよね。後輩に感謝ってことで。
と、まぁ、そんなこんなで夕食となったわけだが、中華料理屋に行った。
またまた、7〜8品+ビール3本(7人)で一人頭50元(日本円で約700円)である。日本ならば同じぐらいのものを頼めば一人頭2,000円は行くだろう。
すごいなぁ、こういうとこだけは。
昨日書いたとおり、実際はレート換算した値からさらに25倍した価値があるんで、多分一人頭17,500円ぐらいの食事なんだろうなぁ、中国人から見たら・・・。
これなら、中国人が高い金出して日本に来て、金盗んで帰りたくなる気持ちも分からんでもないよなぁ。
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上海出張3日目
さぁ、いよいよ書くことが無くなってきだぞぉっ!!
本日は、朝から夕方までは仕事なんで前日と同じような生活のリズムで一日を過ごした。
仕事の帰り、送迎用のシャトルバスでホテルへ帰るのだが、私はいつもバスの中では寝ている。
今日も寝ていたのだが、ふと、目を覚ますと、バスはまだ走っている。
時間を見ると、乗ってから1時間は経過している。
普段、長くても40分くらいなんで、どうしたのかと思ったら、どうもバスの運転手が携帯電話での話に夢中で、高速道路の降り口を間違えたらしい。
日本だったら、運転中に携帯で話していること自体が犯罪だが、中国ではそうではないらしい。
まぁ、10億人もいる国で、そんなの取り締まれる訳も無かろうとは思うが・・・。
と、人数的な話は置いといて、ここ何日間で中国人の生態が少し分かってきたような気がするので少し書こう。
まず、基本的に身勝手である。と、言いたいところだが、これは自己責任を持って行動していると言った方が良いかも知れない。
中国の交通事情を知っている人はご存知かもしれないが、日本人が中国(この場合は上海で)車を運転しようとしたら、あっと言う間に事故るか、怖くてとても運転できないだろう。
基本的に早いもの勝ちみたいな運転で、高速道路でタクシーは前の車をどんどん抜いていく。ちょっとしたジェットコースターだ。
渋滞ともなれば、先を競って前へ出るし、ひたすら割り込みとかする。
結果的に多数の割り込みに、さらに割り込めるスペースができて・・・を、繰り返していると収拾が付なくなって、大渋滞を引き起こす。
今これを書いている間にも外ではクラクションはパァーパァー鳴らすし、ホンッとに落ち着きが無い。
と、日本人ならばこう思うとは思う。しかしそれは私が日本人であるからに過ぎない。
推測するに多分、例として中国人は車対車の事故を起こしても”ぶつかった奴が悪い”と”ぶつけた奴が悪い”って感じなんだろうと思う。
で、みんなハイテンションだから、ひとしきり熱い激論を交わした後、”気をつけろっ!!”とか、お互いに言って、その場で別れて問題は解決、っていうような気がする。
だから、自己責任において行動し、行動の結果が善しにつけ悪しきにつけ、自分で解決できればそれでOKなんだろうと思う。
日本人の場合は、暗黙の了解で前記の両者は”ぶつけた奴が悪い”ってのが定説なんで、そういうところで日本との違いを感じるのかなぁ。
とまぁ、ホテルに帰ってきてテレビをつけると日本のBS1(上海ぐらいなら一応ダイレクトに受信できるみたい)でサッカーJ1の”ジュビロ磐田”vs”ヴィッセル神戸”の試合をやっていたんで、おぉっ!!これは観なければ、と、思い今日の夕食はコンビニで済ませることにした。
コンビニへ言って、以下のものを購入。
”Nestle”の”Pure Life”っていうミネラルウォータ,500ml
”Evian”(ミネラルウォータ)330ml
”サントリー”の”烏龍茶”(無糖)(上海では砂糖入りを売っているので注意が必要),500ml
”キリン”のビール”一番搾り,350ml
”アサビ”のビール”Super Dry,350ml
”日清”の現地にしか売ってないカップラーメン(普通サイズ)
”Pringles”(ポテチ)50g
以上で31元(日本円で約440円)。
同じ物を日本で買えば1,200円くらいはする。これはかなりお買い得である。
すると、昨日、日本語の通じるスナックで払った300元(日本円で約4,400円)って、実は上海ではものすごく高い金額なんでは?と、思い始めた。
日本の物価は中国の物価と比較すると、少なく見積もって約2.5倍くらいだと、前述の金額から検討することができる。
つまり、300元はレート換算では4,400円だが、日本人の感覚に換算すると実際はその2.5倍、つまり11,000円の価値があるということだ。
これは日本人的な感覚から言うと、同条件で日本のスナックに居れば、このくらいは払うんで、まぁ、そうかなぁ、と、思う。
しかし、ここにもう一つカラクリがある。
中国では中国人と外国人とでは為替レートが違うのである。
どの位違うかと言うと、外国人に対して中国人のレートは1/10だと聞いている。
つまり、日本人の感覚で換算した場合、さらに10倍、つまり25倍の価値があるということになる。
前述の11,000円は110,000円ということになる!
すげぇっ!!、日本で110,000円払わされる飲み屋は東京の銀座のクラブとか、ボッタくりバー(聞いた話では)でしかない。
惜しげも無く110,000円を、しかも安いとか言って払って行く日本人、そりゃ金持ちだと思うわなぁ。
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上海出張2日目
朝、起きると寒かった。
上海は寒暖の差が激しいらしく、昼は半袖で良いくらいなのだが、夜は長袖じゃないと寒いくらいだ。
どうも、これで皆、体調を崩しているらしい。
まぁ、私は長袖から半袖から色々持ってきたんで、なんとか体調を崩さずに済みそうである。
と、いう訳で仕事の現場へ向かう。
移動手段としては、旅行会社で用意してある、現場行き専用のシャトルバスで向かう。
まぁ、ほとんど日本人が乗る。
そんなこんなで、現場に到着。
建物は出来ているが、周りはまだ工事中で非常に汚い。
門を入ると、少し遠くにレンガ造りの小屋が見える。なんか中国的だ。
昼食時、あらかじめ、朝、頼んでおいた”日本食弁当”なるものを食べる。
と、いうのも現地の人が普通に喰っているという弁当もあるのだが、これが喰えたモンじゃないと皆、口々に言うからだ。
台湾出張時にも、”日本風”を意味する”日式”と書かれてる食堂やカップラーメンを喰ったことがあるが、中国風にアレンジされてるので非常に台湾の味がした(つまりあまりウマくない、っていうかマズい)。
そんな経緯があって、あまり期待はしていなかったのだが、喰ってみると、たまに中華(この場合は中華料理の意味ではない)の匂いがするが全くの日本食である。
少し拍子抜けしたが、結構飯の量が多く、食べ終わると、非常に腹いっぱいになる。
仕事も終わり、ホテルへ戻ることに。
今日の晩飯は、私と同じ部署の人々と中華料理を食べることになった。
昨日の居酒屋の2階にその店はあるのだが、日本語が通じないとのことなので、同じビルの1階にある日本語が通じるスナックのホステスに注文だけ頼むことにした(こうすると、後で、そのスナックへ行かなければならないが・・・)。
さすがに日本語が通じるスナックの店員、日本人の好みを良くご存知で、あんまりマズいと思う料理はなかった。
しかし、やっぱ量が多い。結構頼んだなぁと思って会計してみると、一人50元(700円位)になった。
日本だったら一人2,000円にはなる。
晩飯も終わり、前述のスナックへ行くことに。
まぁまぁ、日本語の通じるホステスが何人かやってきて、酒を飲み始める。
洋の東西を問わず(って言っても日本と中国だが)飲み屋のネーちゃんってのはあまり変わらないなぁ、と、思う。
しかし、中国人の方が積極的だなぁ、と、思った。
っていうか、中国人って以外とラテン的というか、普段も中国人同士ならテンションが高い。
余談であるが、上海ってトコは全く社会主義的な感じが無い。
車はもの凄く走っているし、あと、指導者の肖像画とかの代わりに宣伝の看板はバシバシ建っているし、商店だって個人商店はあるわコンビニはあるわで、しかもどれも国営ではないことは確かだ。
台北をさらに都会にした感じである(東京とは比較できないのは何故だろう)。
唯一、社会主義かなぁ、と、思うのは宗教施設が見当たらないことぐらい。
また、中国かなぁ、って思うのは、やっぱし自転車が多い。
そーいや、”華僑”ってのもあるし、中国人ってば商売人だからなぁ。
資本主義の方が、中国の国民性として向いているのかも知れない。
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中華人民共和国(中国)は上海へ出張することになった。
今日はその一日目である。
あんまり行きたくなかった、上海って。
私は海外に滞在するのが嫌いである。
何年か前、台湾(台北付近)に計2ヶ月滞在したことがあるが、そのときもいい加減最後の方はイヤになっていた。
と、そんな嫌悪感のある海外の滞在であるが、なぜイヤなのか、自分自身で分析してみると、次が挙げられる。
飛行機に乗ると耳が痛くなるときがある。
言葉が通じない。
水が合わないと腹が下る。
さらに何かが合わないと、肌に変なものができる。
とまぁ、こんなところだが、なんといっても”言葉が通じない”のは最たるものであろう。
と、いう訳で、来たくもない上海に本日、出発したわけであるが、いきなり出発時にアクシデントを向かえた。
スーツケースのカギを忘れたまま、出かけてしまったのである。
しかも路線バスなんで、一旦どっかのバス停で降りた後、さらにバスを待ってから自宅へ戻り、さらにまたバスに乗って駅まで行かなくてはならない。
ここで、いきなりめげてしまった。
なんなんだ一体。
まぁ、こんなところで行きたくないという気持ちが具現化した訳だ。
しかし、持ち前の危険予知が働いて、なにかあってはイカンと、実際に乗る電車の一本前の電車に乗れるように家をでていた。
おかげで、無事、定刻より1時間も早く空港に着くことができた。
次に、空港での出国検査である。
基本的には出国する場合、すべて貨物に載せてしまうのが一番楽なんで、いつもそうしているのだが、仕事上パソコンを持っていかなければならず、さすがにパソコンなどの精密機器は貨物に載せるとブッ壊されるので、これは機内持込の手荷物としなければならない。
そこで、例の出国検査の時にやられるX線検査で、いきなり引っかかってしまった。
別に麻薬を入れているのでもなく、刃渡り30cmの刃物を入れている訳でもなく、なんで引っかかるのか分からないが、とにかく係官にカバンの中身を出すように求められた。
まぁ、中身を出したってたいしたもんは入っていないんで、中身を全部出してやると係官はもう一回X線検査機にパソコンなんかを通していた。
すると係官は、カバンの中にライターが2個入っているのでカバンから出せという。
なんのことやら分かんなかったが、2個(1個は100円ライター、もう1個は飲み屋のライターを)出してやると、ライターの機内持込は一人当たり一個なんだとか。
どういう理由でそのような規則なんだか分からないが、とにかく1個だってんで100円ライターの方を持ち込まないと言ったらば、「では、これは破棄ということで」とか勝手に決められて、備え付けの透明の箱の中に入れられてしまった。
ここで、「破棄しませんっ!!」とか言ったら、どうなるんだろうか。
とまぁ、そんなでなんとか持ち物検査(なんか学生みたいだなぁ)を終え、出国手続きもすんなり終え、待合室で待つこととなった。
出国手続きに少し手間取ったが、なんと結局搭乗時間まで2時間くらい間があるではないか。
どういうこっちゃ?と、考えてもしかたがない。
なぜならば、この便は旅行代理店にチケットを頼んでおり、その注意書きに搭乗時間2時間前までにチケットを空港のカウンターに取りに来い、と、書いてあったからだ。
空港ってば、なんか混雑している状態が極端みたいで、今日は(時間帯もあるかもしれないが)なんだか暇そうだった。
大概の場合、出国手続きって長蛇の列になるのだが、今日はだぁれもってくらい居なかったからなぁ。
つまり、旅行代理店は混雑のことなんかを見越して、2時間前に来いとか言うわけだが、今日はあまりにもすんなり行ったので非常に待つ羽目になったわけだ。
また、私の乗る便が”機材到着遅れ”で、15分ほど搭乗時間が遅れた。
でもさぁ、思うんだけど、”機材”って何?って思う人多いと思うよ。
たしか”機材”って、飛行機の部品とかの意味じゃなくて、飛行機そのものを”機材”って呼んでるんだと思った。
とまぁ、そうしている間に搭乗時間となった。
私の乗る飛行機の航空会社は中国の航空会社”中国東方航空”・・・って、なんか落ちそう。
機内にて、諸所のアナウンスがあるわけだが、まず最初に中国語で放送される。まぁ、これは当たり前の話だが、次にアナウンスが日本語で放送される。で、終わり・・・って、オイッ!!いいのか!?英語でアナウンスしなくても?
でもまぁ、英語圏の人を無視しようが私にはあまり関係ないが・・・。
で、ここで不可解な話がまた一つ。
機内アナウンスで事あるごとに”日本航空共同運行”とかって言ってるんだけど、これって日本航空と中国東方航空が一緒にこの飛行機を飛ばしているって意味なんだろうか。
まぁ、それは追々調べるとして、いよいよ離陸となった。
離陸後、シートベルトのサインが消えて客室乗務員がサービスを開始する。
やっぱ中国人が回ってくんのかなぁ、とか、思っていたところ客室乗務員がやってきた。
「ノミモノナニニナサイマスカ?」
アジア人独特のアクセントで聞かれて、”やっぱし”とか、思いながら顔をみてびっくしっ!!
あ、あんた、フィリピン人じゃねーのっ!?
中国人を予想していただけに、フィリピン人らしき人を見てびっくりしたが、考えてみれば、もし彼女がフィリピン人ならば航空会社も人件費削減がんばってんだなぁ、とか思ったらなんか妙に納得できた。
とまぁ、そんなこんなで上海の空港に到着した。
ここから目的地であるホテルまで行くのだが、ここでタクシーを使うことになる。
しかし、日本を出発する前に上海のタクシーはボッタくるって言われていて戦々恐々としていた。
あれやこれやと策を練っていたんだけど、結局、空港前で日本語で言い寄ってくる奴は無視して、タクシー案内所の近くの乗り場から乗ったタクシーは普通にメータも回していたので(中国のタクシーにもメーターが付いている)、多分ボッタくらないだろうと思い安心していた。
実際、事前に言われていた金額より安いくらいで”よかったなぁ。”と、安心感があったのか、お釣りをあまり見ないでタクシーを降りた。
と、あとで気が付いたのだが、小銭の分が見当たらない?
つまりボッタくられた訳だ(っていっても日本円で100円くらいだからチップだと思おう、うん)。
とまぁ、それなりにホテルに着けてよかったなぁ、と、思いホテルへチェックインとなった。
で、ホテルのフロントに行ったところ何人か日本人の客がいた。
しかし、フロントのクルーは何か無口だ。
で、たまに英語でしゃべっている。
やはり・・・、日本語通じねーじゃんっ!!多分。
でもまぁ、ホテルのクーポン券を出せば、なんとかするだろう、って思い、無言のままクーポン券を出した。
案の定、ほぼ無言で(たまにしゃべっても英語で)チェックインは滞りなく済んだ。
しかし、非常に重要なことを思い出した。
しまったぁ、ベルボーイに荷物を預けてしまったぁ!!
ベルボーイは、ニコニコしながら私の荷物を持ってくれてる。
やっぱ、アレが欲しいんだよねぇ。
部屋へ到着すると、電気をつけて荷物を置いてくれる。
で、部屋を出て行く様子はない。
やっぱねぇ、と、思いチップを渡す(っていっても日本円で300円くらいだけど)。
多分、ベルボーイってあんまり使われていないんだろうなぁ、って思う。
なんか、泊まってるのって日本人か中国人だけみたいだからなぁ。
とまぁ、これでホテルまでは辿り着けた訳だ。
で、部屋の中を見て回る。
部屋はまぁまぁだなぁ(日本なら一泊2万円はする)。
細かいところが汚いのは台湾も中国も同じだなぁ。
で、タバコに火を付けたところ、あれっ?灰皿がない・・・。
もしかして禁煙部屋?
慌てて火を消し、ホテルの案内を探す。
何処にあるんだよぉ、案内はぁっ!!
しばらくして案内を見つける。がっくし。
中国語と英語でしか書いてない。
しかし、ここは禁煙なのかどうなのかを確認すべく”smorking”の文字を探す、が、何処にも書いていない。
多分、灰皿がないってことは禁煙なのだろう、と、思い、しばらく我慢していると内線電話が鳴った。
先行で来ていた会社の人が帰って来んだろうと思い、電話に出ると、まさしくその通りだった。
と、ここで皆と合流することができたのであった。
外食で外へ出てみると、さすがに皆、2週間くらい滞在しているので街の中をよく知っている。
この日は、少し歩いたところにある日本村なる場所へ行くことに。
日本村とは、日本食を喰える店や飲み屋、日本語が通じるスナックなんかが集まっている場所である。
その中でも彼らが良く行っている店へ到着、店へ入ると、そこはもう日本の居酒屋だった。
一応メニューも日本語だし、店員もカタコトながら日本語が通じる。
なんか、”ほっ”とした。
とまぁ、そのようにして1日目は過ぎ行った。
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色々な今 |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
今、その1。
テレビで「アクシデンタル・スパイ」っていう映画を見た。
なんでか知らないが、ビビアン・スーが出ていた。
なぁんだ、最近TVで見なくなったなぁ、と、思ったら香港映画に出てたのかぁ、と、番組表を見たら2001年の作品だった。
今、彼女は何処・・・。
今、その2。
今、中国の上海に出張している人から電話があった。
なんだか知らないが、妙に電波が悪い。
私の携帯かと思って見てみると、バリ3だった。
しかも、時差がある。TVの衛星中継のようだ。
1000km以上距離があると、時差がでるのかなぁ、と、つまらないことを思った。
で、TVの衛星中継のように、うまく会話がかみ合わない。
って、言ってる間に電話が切れた。
俺のせいではないよね・・・。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
最近、行きつけの飲み屋のネーちゃんが、店を辞めることになった。
って、いうのも彼女は妊娠しているからだ。
妊娠8ヶ月・・・、そろそろ、夜中働くような体じゃないことは確かだと思う。
それに、大きなお腹で働く姿を、私はあまり見たくなかった。
あんまり言いたくはないが、男として、妊娠している女が夜中に働いている姿は、けなげというより(彼女には申し訳ないが)不快だ。
そんな体で夜中働かせる男もどうかと思うと、今、これを読んでいる方々でもいられるかと思う。
しかし、彼女は、お腹の子の父親、つまり妊娠させた相手とは結婚したくないと言う。
でもSEXはしたと言う。
つまり、子供だけ欲しかったということなのだろうか。
それはそれで彼女の人生、それで良いというのならば、それで良いのだろうが、もし、私がその男の立場であれば、とても耐えられない。
情けなさ過ぎて涙がでてくると思う。
彼女は妊娠がわかったとき、彼女の両親に、人生でこんなに親の前で泣いたことがないくらい、泣きながらそのことを話したという。
そんなに重大な決意なのに、その場でその事柄を共有できないの男ってのはどうだろうか。
私が妊娠させた訳じゃないが、なんとも情けない気分になる。
それと、彼女に対して“がんばれ”としか言えない自分もなんか情けない。
もっと、気の利いた言葉が出てこないもんかと、情けなくなる。
もう自分にできることは、その子が無事に生まれてきて、無事に育つことを祈るだけなんだろうと。
そして彼女の人生が、いつでも晴れているように(でも雨降らないと干上っちゃうだろうけど)祈るだけなんだろうと。
ただ、それだけなんだろうと。
男は無力だ。
飲み屋の話その2。
常連さんのY氏が結婚した。
そーいや、最近店で見ない訳だ。
しかし、彼の結婚式の前日、店でトンでもないことが起こっていようとは、彼も知る由もなかっただろう。
びっくりしただろうなぁ、新聞見て。
飲み屋の話その3。
店員の一人にバツ1で、子供がいるネーちゃんがいる。
その子ってのが現在5歳の女の子、つまり娘って訳なのだが、その子が結構かわいい(っていっても子供って、なんでもかわいいからなぁ)。
毎年、夏に店のイベントでバーベキューをやるのだが、3歳くらいから、彼女は娘を連れてくるようになった。
で、なぜか私がいつもその娘に、食べ物を食べさせることになるのだが、なぜかいつもカニを食べさせる。
しばらくして、ネーちゃんから、彼女の娘が私のことを好きなんだということを聞いた。
いやぁ、カニの力って偉大だ(違うって)。
ちなみに私は高校生くらいからなぜか知らないが、小さい子供にモテる。
そうじゃなくて、大人の女にモテたいんだけどなぁ。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
最近、寝不足である。
って、いうのも我が家にパソコンがやってきて、5日目。
周辺機器の準備やら設定やら、わかんないことの検索やら、パソコンを組んだ人が親切に入れてくれた動画やらを見ていたら睡眠時間がここのところ平均3〜4時間ぐらいになってしまった。
おかげでここの所、会社遅刻してなかったのに、2日連続で遅刻してしまったわい。
なまじ色々な機能があるだけに、いろんなことを試したくなるってのが人情ってもんである。
いやはや、このままではマズいことになりそうだ。
まぁ一応、設定作業なんかは一段落ついたんで、ここいらで一旦パソコンの作業を止めておこう。
しかし、そんなこと出来るんだろうか・・・。
まぁ、いいや、何とかなるだろう。
えっと、平成16年6月8日に「当ホームページが検索エンジンに引っかかっています」ってコーナーでこのホームページが検索エンジンに引っかかっているって話したんですけど、これはその続報です。
まず、MSNで“徒然Media★Mix”を検索してみたところ、一発で検索結果の先頭で表示されました。
そして、Yahooで同じように検索してみたところ・・・なんとっ!!これも一発で検索結果の先頭で表示されました。
この二つの検索エンジンって、同じデータベースを使っているんでしょうか?
次に、Google、Infoseek、Livedoorで検索してみましたが、これらはすべて引っかかりませんでした。
しかし、Infoseekって、このホームページのプロバイダなんだけとなぁ。
まぁ、Livedoorの方は、昔、このホームページのプロバイダだったんだけど、Infoseekに移管してしまったんで、こちらの方は引っかからなくても仕方ないかなぁ・・・。
しかし、Googleで引っかからないとは・・・。
URLとか、AND検索でやってみたんですが、やっぱ引っかからなかったです。
昔、URL検索で検索したときは引っかかったんだけどなぁ。
と、まぁ、この調子で色んな検索エンジンに引っ掛けてもらって、“徒然Media★Mix”がもっとみなさんに閲覧していただけることを、心よりお待ち申しあげております。
今ご覧になられている方もありがたいと思っており、ページ作成のやりがいもあるってもんなんですが、もっと、たくさんの方々がご覧になられるのであれば、更にやりがいが出るってもんです。
と、言う訳で、これからも“徒然Media★Mix”をよろしくお願いいたします。
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
続きまして(パペット・マペット口調)、ってな訳で昨日の続きを。
本日、会社からカッパ・・・いや、拝借してきたのが“ステレオスピーカ”と、“モデム”である。
まず、スピーカであるが、なんでスピーカ付きでパソコン買うかなぁ?仕事じゃどうせ使わないのに・・・。
と、疑問に思ったが、たしかカスタマイズ品よりもセット品のパソコンの方が当時安く、スピーカとか要らなくても付属品で付いてきちゃうんで、仕方なかったんだよなぁ。と、今思い出した。
まぁ、そのおかげでステレオスピーカがGetできたわけなんで、まぁ文句は言うまい。
で、あとモデム。こいつはいまどき通信ポートがRS−232C、がんばっても通信速度が30Kbpsっていうかなりの年代モン。
しかし、最近のパソコンってRS−232Cポートがついていない場合が多いんだけど、私の買ったパソコンには、なぜかそのポートが付いていた。
まぁ、会社の遊休品を使うんだからどっちかっていうと古いタイプの機械に対応してくれていた方が、こっちとしては好都合かな。
で、なんでモデムが必要かっていうとネットでTVチューナの取説を見たかったからなんだなぁ。
ちなみにパソコンをいままで持っていなかったのにインターネットに接続できるわけは、Livedoorさんのおかげなんだなぁ。
ありがとうLivedoorさんっ!!これからも月額制じゃない接続サービスを続けてね。
とまぁ、これでTVチューナで直したいトコを調べる環境ができたわけだ。
まず、TVチューナに付属していたソフト“ADAMSナビ”が起動できないわけをネットで調査。
これが、まったく分からない。っていうのも、このTVチューナのカードってNEC製なんだけどNECのホームページ見てもその理由がまともに載っていない。
ちなみに、問題のソフトを起動すると“AirTVが設定されていません”ってウインドウが表示されるんだけど、その“AirTV”なるものを“設定”するようなソフトらしきもんがインストールしたパソコンのどこにも見当たらない・・・。
そこで、ネットで調べてみると、どうもNECさん、ValueStarにオプションでつけたり、いわゆる“パソコンTV”ってやつに、プリインストールかなんかして、その機能が動作できるようにしてあるらしい。
でもさぁ、その設定する何かもいっしょにインストールできるようようにしといてくれても良いんじゃない?
と、ひたすらネットを漁っていると、なんと、番組表が受信できない理由が分かった。
ただ、設定のやり方が悪かっただけ・・・、なぁんだぁ、“ADANSナビ”って関係ないのぉ?番組表と?
くっそう、一回ソフトをアンインストールしちゃったじゃなっかぁ、まったく不親切だなぁ。
ついでにさぁ、ソフト付属のヘルプに、こうしないと番組表が受信できませんよぉ、ってことぐらい書いといてくれない?
と、まぁ、それでもなんか手がかりとなりそうなことを、またまたネットで漁っていると、今度はTV音声とビデオ音声が同時に出る理由と、その対処法が分かった。
これもサウンドドライバのプロパティを変更すると直るってネット上の取説に書いてあったんで、書いてある内容を参考に設定を変更してみると・・・。
おっ、直った。ちゃんとソフトの方のボリュームも利くし消音もOK,ビデオに切り替えるとTVの音も消える・・・。
あのさぁ、箱に入ってた取説(本)にさぁ、書いとけばいいじゃんっ!それくらいさぁ。ホント不親切だよなぁ。
でも、結局“ADAMSナビ”が起動できない理由は分からずじまい・・・。
次に昨日の“月記“にも書いた、スロットにはまっていた2枚の正体不明なカードは、これは組んだ人に聞いてパソコンのフロントにUSBやマイク、スピーカ端子を出すためのカードと判明。
そう言われてみれば、パソコン前面の下部に“USB”とか書いてあるフタらしきものが・・・。
そこで、フタらしきものの上部を押してみると・・・、おおっ、開いたぞっ。USBとマイク、スピーカ端子が出てきた。
早速、今までつないでいた背面のUSBポートのものやスピーカをつなぎ直してみると・・・、なぁんだぁ、動くじゃんっ。いやいや気が付かなかったなぁ。
そうこうしているうちに“ADAMS”の番組表配信の時間となったらしく“ADAMS”受信2分前のウインドウが表示された。
おっ、ちゃんと動いてるじゃんっ。とか、思いながらしばらくすると“ADAMS”を受信し始めた。
“ADAMS”ってば、20分ぐらいずーっと受信しているんだけど、ふと、番組情報の欄を見ると、どうも今受信している番組の情報が表示されている。
おっ、成功だぁ。と、喜んでいると“ADAMS”の受信が終了したので、番組表を見てみることに。
ややっ、ちゃんと受信できてるじゃんっ。この地方のTV局で番組内容がちゃんと出ている。
やっとこれで携帯のサイトで番組表見なくてもよくなったなぁ、と、少しうれしかった。
ところで、この番組表って、とっても便利。
予約録画って、ビデオだと(今のビデオは知らないけど)いちいち曜日、時間、チャンネルって感じで設定しなきゃいけなかったのが、このソフトだと番組表の設定したいとこをクリックして“予約”ってボタン押すだけで勝手に設定してくれる。
さらにジャンル別でソートし直すことが可能で、気が付かなかった番組とか発見することができる。
いやーっ、便利だわ、こりゃ。
えっと、ここでお知らせです。
最近、アクセスログを見ていたところ、なんとなく怪しげなアクセスがあったのでMSNの検索で本日(平成16年6月8日)、当ページのURL先頭“kikatyk”を検索ワードにして検索してみたところ、なんとっ、いきなり検索結果の先頭に当“徒然Media★Mix”が表示されました。
おヒマなかた、興味ある方がおられましたら一度検索してみては?
なんかうれしくなります(って、そりゃ私が作ったページなんだから私はうれしいわなぁ・・・)。
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この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。と、いつもは書くのですが、今回はとっても楽しいので語り口調で書きます。
とうとうやってしまった・・・。パソコン買っちゃったんあだなぁ、これが。
と、いうのも、ビデオが壊れて久しかったのと、買ってまだ4年のテレビが壊れてしまったのと、両方の理由でパソコンを買うことを決意したのでした。
で、知り合いのつてを利用して組み立て式パソコンを購入することにしたのですが、これがなんと市販品を買うよりもかなりお値打ちなんですね。
ってうのも知り合いのよしみで組み立て賃をタダにしてもらっちゃったりしたんで、普通に組み立てパソコンを誰か組み立てられる人に頼むよりも、より1〜2万円は安くなっているはずです。
でも、この話は本体だけの話。
実際にはディスプレイやキーボード、マウスなんかのマン・マシン・インターフェイス必要になってくる訳ですが、こいつをまともに買うと、この金額から2〜3万円プラスってことになっちゃうんです。
しかぁしっ!!、そこはそれ、これら周辺装置をなるべく安く手に入れるために、兼ねてから目を着けといたのが会社の遊休品だったんですな。
一応、コンピュータの管理者に聞いたら「邪魔だからあげるよ。」との返事をもらい、早速、会社の倉庫からカッパらい・・・いや、回収に走ったわけです。
倉庫に入ると、ディスプレイやらキーボードやらが、無造作に積み上げられていました。
しかもホコリまみれときてやがんの。「こいつらマジ動くかなぁ」って思うほど。
しかも、ウチの会社って設計の会社で、結構昔からCADなんかをパソコンでやってるんですね。で、その当時、DOS機が全盛で(つまりNEC製のパソコンばっかり使ってた)DOS/V用の周辺機器がなかなか無い状態だったんです。
まぁ、懐かしい”PC98”なんたらとか、いっぱいあって、「くっそうっ、役立たずだなぁ。こいつらぁ!!」とか思いながら探すこと小一時間・・・。
あったぁ!!ありましたよぉ。まずVGAの17インチのディスプレイを発見っ!!なんとっ!!LG製だぁっ!!
「なんでLG?」とか思ったんですが、「まぁいいや動けば・・・。」と、気を取り直してお次はキーボードを探していると、109キーボードを発見っ!!
しかも”NEC"って書いてある。「へっ?」とか思ったんですが、昔、会社でValueStarを使っていたことを思い出し、これも「まぁ、いいや」と、思って引っ張り出してみると・・・、「げげっ、USBじゃんかぁ、これぇっ!!」
そう、何故かインターフェイスがUSBだったんですな。何を考えているNEC?。普通にキーボードの端子のにすればいいじゃんっ。とか思ってしまったんですが、これも「USBのポート減るけどまぁ、いっか。」と、気を取り直し、次にマウスを探すことに・・・。無いっい!!さすがにマウスは使い勝手が一番重要視されるインターフェイスなんで、やっぱ手放さないかぁ。と、思ってたのですが、これも、粘って探してみると、出てくる出てくるNECのDOSのマウスが(笑)。「この役立たずがっ!!」と、小公女のミンチン先生の台詞を思い出しながらさらに探していると「へっ?」みたいな機械が出てきたんですな。
それが、私も知らないAppleのLAPTOPパソコンなんですねぇ。
ぜぇったい、Macじゃぁない、その機械は長い年月にホコリまみれとなって5、6台積み上げられたNECのパソコンの下に下敷きになっていたのでした。
そのたたずまいに、なんだか郷愁めいたものを感じてしまったのは私が幾多のパソコンの変遷を垣間見てきたからでしょうか。
と、そんな気分から気を取り直して、マウスを探すこと30分ぐらいでしょうか。
やっぱ、無いよなぁ、と、探すのをあきらめ、通常私が仕事で使っているマウス(自腹で購入)をしばらく使うことにしました。
で、次にこれらの機器の掃除をすることにしました。
ウチの会社では、組み立て作業もあるので工場に空圧設備があるんですが、これに銃のような形をした”エアガン”なるものを接続すると、圧縮空気をエアガンから噴出すことができ、これで機器の中にたまっているホコリをフッ飛ばすわけです。
いやぁ、会社って便利だなぁ。まさに”立っているものは親でも使え”(近親相姦のことではない)てな訳です。
ちなみに何故ホコリを飛ばすかというと、ホコリの中には導電性のものが含まれている場合があり、長い間電気を入れていない機器の場合、そんなホコリが入っていると電気を入れたとき、そいつが回路上でショートして機器を壊しかねない・・・。皆さんも、もし、そのような機会があったときは、まずホコリを取るようにしたほうが賢明です。えっ?空圧の設備が無いって?それはそうでしょうなぁ、そういうときはホコリがかぶらないように保管するようにしましょう(爆)。
と、あらかたホコリを飛ばして、外回りを乾いた布で拭いてきれいにし、いよいよ動作確認なんですが、これらの機器が「もしかしたら壊れているかもしれない・・・」と、思い、普段私が仕事で使っているノートパソコンを使ってやることにしました(オイオイ、仕事で使っているパソコンが壊れたらどうすんだいっ!!って思うでしょ?でもねぇ、今仕事で使っているパソコンも、もうだいぶ古くてそろそろ代え時かなぁ、だあんて思ってたんで・・・)。
まず、キーボードから。こいつはUSBなんで、もしかしたらドライバが必要なんでは?と、思ったんですが。USBポートに接続したならば、すんなり認識してくれました。
ちょっと拍子抜けして、次に怪しいディスプレイを接続。
で、まず電源をON。インジケータがオレンジ色に点灯・・・。
おっ、なんか動いてんじゃん。まず、電源はOKだな、とここでしばらく放置。
なぜなら古い.ディプレイの場合(原因はいろいろあるんでしょうが)しばらく使っていると突然画面が真っ暗になったり、ディスプレイからイヤな音したり、ひどいときには煙を吐いたりしたことが私の経験した中で何度かあったんで、古いものを使う場合はそのようにしてます(ましてやLG製だし・・・)。
と、10分ほど放置したんですが、別に異常は無さそうなんで、いよいよパソコンへディスプレイを接続することに・・・。
これって結構勇気がいります。どーしてかっていうと、このディスプレイってブラウン管使っているんですが、ブラウン管って電子銃ってところから電子を飛ばして表示面に塗ってある蛍光物質を光らしているわけです。この電子を飛ばすときや、”走査”っていって電子を曲げるために電子を飛ばす道中に電磁石があるんですがこいつらが扱っている電圧がものすごく高いんです。
よくテレビの裏側に、”バラさないでくれ”みたいな注意書きがあると思うんですが、これは電気を切ってもブラウン管周辺は、まだ高電圧となってて、それに触ってしまうと感電してしまうからなんです。
じゃぁ、それとこれと何の因果関係があるんだい?と、思われるでしょう。
私も実際のところ”杞憂”だとは思っているんですが、やはり信用できない機械であると、「もしかして・・・」っていう思いがやはりよぎります。
つまり、”ディスプレイのコネクタに高電圧が印加されてたらどうしよう”ってことなんです。
もし高電圧がコネクタに印加されていると、パソコン本体は当然壊れます。
修理可能な壊れ方なら良いのですが、これがそうでなかったら・・・。
本体壊れてもHDDだけでも助かれば、まだ、何とかなるのですがHDDもだめだったならば、私が仕事を再開するのに相当時間がかかるでしょう(その割にはパソコン壊れてもイイや、とか思ってんですけどね)。
とまぁ、いろんな思いの中、いよいよコネクタ接続っ!!
んっ?何も映らない?インジケータもオレンジ色のままだ・・・。
そりゃそうだ。パソコンの方の設定を変えなきゃ映るわけないじゃん。
と、自分につっこみをいれてパソコンの設定を変えることに。
画面のプロパティを変えて、”適用”ボタンをクリックすると、インジケータが緑色に点灯し、おっ、なんか映ったぞ。
あれ?なんで表示されてる画面が全部緑色?わかんねぇーっ!
でもまぁ、なんか意味があるんだろうと思い、何の気なしにマウスを動かしていると・・・。
あれ?いま一瞬マウスのポインタが映ったような・・・!?
そこでマウスのポインタを左へ、左へ・・・動かすと、あれ?マウスのポインタが出てきた。
ふと、ノートパソコンの画面へ目をやると、普通にいつも使っている画面が映ってる?
もしかして、これって、画面が広がっていることを意味するのでは?と、思い、ここで、Excelを開いて、ノートパソコンのディスプレイ上にあるExcelのウインドウを、ドラッグして左へ、左へ、動かしてみると・・・。
おっ!!今接続したディスプレイの方に表示されるじゃありませんかっ!!
ここでウインドウを最大化すると・・・、ややっ!!接続した方のディスプレイで最大化されて、本来のディスプレイは元のままだっ!!
もうお分かりの方もいらっしゃるかと思いますが、ディスプレイを2個接続し、片方をプライマリ、もう片方をセカンダリと設定した場合、このような(つまり画面が広がったかのような)設定が可能なんですね(まぁ、パソコンの機種かディスプレイのドライバによるのでしょうが・・・)。
いやぁ、これは便利っ!!今私の使っているノートパソコンのディスプレイって昔のなんで狭いこと狭いこと。
ところがこの機能さえあれば、ウインドウを2枚開たら片方づつに必要なウインドウを開いとけばいいじゃんっ、片方を作業用に使って、もう片方を資料用に使えば能率が上がること請け合いだっ!!
と、自分の知らなかったことを棚に上げて新たな発見に喜んでいた私でしたが、ふと、「つまり、これって、このディスプレイってちゃんと動いているってことだよね」と我に帰ったのでした。
と、まぁ、これで各機器の動作確認は完了し、いよいよ購入したパソコンに接続という運びになったわけです。
買ったパソコンは幅500mm×高さ500mm×奥行き500mmの箱に入って送付されてきました。
「結構大きいなぁ」と、いうのが印象でしたねぇ。それでもまぁ。緩衝材とか入っているんで大きいんだろうと思って箱を開けてみると・・・。
あれっ?これなんだ?
一番初め目に飛び込んできたのはDVDプレイヤーでした。
なんで?と、思ったんですが、よくよく見るとLAN対応のDVDプレイヤーだったんで「そーいや、テレビに映したいって言ったよなぁ、俺」っていうのを思い出しました。
つまり、LAN対応のDVDプレイヤーを使うことによりパソコンからDVDプレイヤー経由でテレビに映すってことを組み立てた人が言ってました。
これの方がパソコンにビデオ出力カードとサウンドカードをPCスロットへ挿すよりも安いんだそうです。
そーだよなぁ、結局、パソコンからライン出力で信号出したって一回アンプ通さないとダメだし、ビデオ出力カードもD端子対応のなんかあるんだろうか?
ちなみに今私の持っているテレビはD4端子まである代物でデジタル衛星放送が始まったら、チューナ買って付けようかなぁ、と、思っていたんです。
それにしても、今DVDプレイヤーって安いんですねぇ。入っていたものは約一万八千円となっていました。昔十万円ぐらいしたのになぁ。
しかし、今の所、テレビは壊れているので、しばらくの間、DVDプレイヤーは箱の中に入れたままとなりそうです。
と、気を取り直して、パソコンが入っていそうな一番大きな箱を開けてみることに・・・。
ややっ、でかいっ!!これは想像以上にでかいぞっ!!
たしかに、縦300mm×幅200mm位なんで、これはまぁ普通かなぁ、とは思いますよ。
しかし、奥行きが・・・。500mmはあろうかという、なんつー奥行きじゃ。
まぁ、これも購買&組み立てた人に、筐体の大きさを聞かれたとき「何でもいいよ」って、答えてしまった以上文句を言っちゃぁイカンよなぁ、と、思い、セッティングにかかりました。
動作確認済みのディスプレイと、キーボード、そしてマウスを接続し、外してあったケーブルをすべてつないで本体のスイッチをON!!すると、おおっ、立ち上がったぞっ!!
なんやかんやで設定が必要かと思っていたんですが、結局全部OS(Windows2000)がやってくれて、まるで今までつながっていたかのように立ち上がりました。近頃のパソコン(正確にはOSか?)ってば、アタマいいんだなぁ。とぉーっても便利っ!!
で、あらかじめ設定してもらっていたTVのソフトを立ち上げることに。
実は、TVチューナ&キャプチャボードをあらかじめ組み込みと設定してもらうように組み立てた人にお願いしてあったんで、必要なものは、すべてインストール済だったんです。
アンテナ線を接続して、アイコンをクリックっ!!おおっ、いきなり映ったぜい。
て、言うのもこのパソコン、組み立てた場所が関東でチャンネルが関東になってたんですが、私が居るところは関東じゃないんで普通チャンネルをあわせないと映らないと思っていたんです。
が、しかしなぜかNHK総合が映っている、何故だ??
まぁ、そこら辺はたまたまチャンネルが合っていたんだろうと思って、ソフトの機能を確認することに。
まず、目に止まったのが”番組表”っていうアイコン。
クリックしてみると、あれっ?これって今日の番組表だ?なんで?あれれっ?明日の分もある?
これって、あとで分かったんですがテレビ朝日系列が放送しているデータ放送”ADAMS"で番組表を配信しているとのこと。
スゲェッ!!なんて便利なんだぁっ!!パソコンってばホントに便利っ!!しかぁしっ、番組表をよく見てみると・・・、日本テレビにTBS、テレビ朝日にテレビ東京・・・。
これって関東圏の番組表じゃんっ!!これは東海圏の番組表に変えなければ・・・。
こっからが結構メンドくさかった。まず、チャンネルの設定方法がわからない・・・。
ヘルプとか探し回ってやっとチューニング設定を見つけて、設定をし、私の居る地域のチャンネルに変更ができました。
そこで、番組表を見てみると・・・、なにぃっ!!変わってないじゃん。番組表?
ううっ、分からん。どーすればいいんだ?
でもまぁ、時間で設定すれば録画とできない訳じゃないし、テレビ見るだけだったら支障ないし、まぁ、いっかぁ。追々設定してけば・・・。
と、次に、そういえばこれって音が出ないなぁ。、ってことに気が付いて・・・、あぁっ!!そーじゃんっ!!これってスピーカー付いてないんだっけ。
でもまぁ、そこはそれ、私の持っている電子部品のジャンク品からおもむろに8Ωのスピーカ(中国製FM/AMラジオを解体したときの残骸)とイヤホンジャック(なぜか昔から部屋の中に転がっている)で即席スピーカボックスをつくり、ライン端子と思しきところへ接続するも・・・。
あれぇ、音出ねぇじゃん。どーなってんだ、これ?
あれっ?こっち(今接続した方)じゃなくてこっちの方がなんかライン入力みたい・・・。こっちかなぁ。でもなぁ、すでになんかつながってるし・・・。
そーいや、PCスロットに入ってる2枚のこのカード、一体なんなんだ?
何の気なしに接続したけど、USBを2ポート使ってるし、ラインとマイク端子につながってるし・・・。
まぁ、わかんないけど今つながっているライン端子(らしい)ジャック外してスピーカつなげれば良いんじゃないかなぁ・・・、と、おっ、音出た。でも、この怪しいカード、一体なんなんだろう?あとで組み立てた人に聞かなければ・・・。
で、音量を確認と、あれれ、ソフトのボリューム変えてんのに音量変わんないじゃんっ。げっ、消音もきかないっ?はてさて、じゃぁ、OSの音量調整は利くんだろうか?
おっ、こっちは利くなぁ。なんなんだこれ?
まぁ、いいや。今度は録画してみよう。
おっ、何か録画できたみたいだ。では再生を・・・。あれれっ?今再生している音とテレビの音がいっしょに出るじゃん。なんでだ?よぉしっ、いろいろいじってみよう。
結局、このソフト、”テレビ”、”ビデオ”、”外部入力”と切り替えることができるのですが、”外部入力”へ切り替えるとテレビの音声が消えて、そこから”ビデオ”に切り替えてビデオを再生するとビデオの音声のみが出るという、なんだか訳のわからないことになっているようです。
まぁ、でも、実際まだ分からないところもあるので追々解明していこうと思います。
また、入れたいアプリケーション(Officeとかね)もあるんで、当分飽きそうもありません。
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この本は1970年代に書かれたSFです。
大体のあらすじなんですが、アトランティス大陸の伝説、いくつかの宗教の起源などを下敷きに、その中に登場する各キャラクタを作者の都合で自由に動かして世界の創世から破滅までを描いたものです。
っていっても、よく理解できないかと思いますが、あんまりあらすじを書くとなんかヤバそうなんで止めときます。
で、なんでこの本の話を書くかというと、最近、何の気なしに私の貧弱な蔵書から引っ張り出してきて読んだからです。
別に今更・・・、って方もいらっしゃるかと思います。事実、私もそう思いますが、他に書きたいことがあったもんですから・・・。
と、いうのもSFって世相、流行が時代で変わってもその内容に古臭さを感じないんだなぁ、ってことを書きたかったんです。
つまり、この本を最近読んだわけですが、実際、この本を買ったのが10年以上前だったんです。
まぁ、10年前にもこの本を読んでいるわけでそのときも多分、古臭さを感じなかったんだと思います。
で、今読んでも古臭さを感じない。
これってスゴいことだと思いません?
でもまぁ、SFって時代を感じさせない要因が沢山あるからなぁ。
事実、この本に書かれてる時間の幅(?)っていうのが古代ギリシャ(プラトンが出てくる)、キリスト、仏教の創世時代から未来は西暦(文中では“太陽暦”と書かれていた)3000年っていう、これだけ壮大なスケールだと現在の話なんて差し込む余地が無いかもしれない・・・。
じゃぁ、古臭さを感じるSFがあるのかと言うと・・・、これがあるんですねぇ。
いわゆる“近未来”物のSFですな。
SFの大家、ロバート・A・ハインライン氏には誠に申し訳ないのですが、最近、同氏著作の「夏への扉」を呼んだんです。
これって、やっぱり1970年代から2000年代ぐらいまでの時間の中での話なんですが、2000年代の話が古臭いように感じるのです。
なぜなら2000年代は、ほぼ現在であり、現在の現実と物語中の世界観にギャップが当然のことながらギャップがあるわけですよね。
物語中に登場する世界観は現在のものより数段進歩している状態なんです。
なんか手塚治虫氏のSF漫画みたいな感じ。
で、手塚氏の漫画は私の子供の頃の近未来の世界観なんですよね。
つまり、その手塚氏的世界観が今では懐かしい思い出の中の世界観な訳で、ゆえにそれが古臭さを感じさせる要因なのかもしれません。
“百億の昼と・・・”の話に戻しましょう。
古臭さを感じないこのお話なんですが、どうして古臭さを感じないのかということを考察した場合、次のようなことなんでしょうか。
・話の内容が余りにも過去すぎ、あまりにも未来すぎる。
・あと、科学技術って基礎的なことはあんまり変わっていない。
これについて、このお話はSFなんで、それなりの用語がでてきます。
本当の破滅は宇宙全体のエネルギーが平衡した状態だとか、亜空間を使って通信するだとかいう良く聞くSF的話から“ディラックの海”や虚数空間(“反物質または鏡像物質で構成されているような空間かな?)だとかいう、なかなか耳にしない話まで出てきます。
でもこれらって20〜30年前にも可能性や論理的には存在するのではないかと言われていたものなんですよねぇ。
で、現在に至っても実験的に証明されているものなんて鏡像物質ぐらいなもんですからねぇ。
と、そう考えると、この話って、過去の話は史実にある程度即しているし、未来の話は1000年も後の話で、他空間の話に至っては現実と比較することによってその信憑性を比較することすら、不可能ですからね。
と、そんな理由で今も色あせない「百億の昼と千億の夜」なんですが、これって漫画もあるんです。
1977年に秋田書店の「少年チャンピオン」で(当然漫画で)連載されていたんですが、作画がなんと、あの“萩尾望都”先生なんですねぇ。
っていうか私が萩尾望都”なる漫画家を知ったのは、この「百億の昼と千億の夜」だったんです。
当時、少女漫画家が少年漫画に連載するのって異例なことで、私にとってかなりセンセーショナルなことでした。
それまでの少女漫画といえば“いがらしゆみこ”先生の“キャンディ・キャンディ”なんかで、あのフリフリの服で金持ちの御曹司をたぶらかす(今となっては、そう思える)物語構成がロボット漫画なんか見ていた私には、非常につまらないものに見えたものでした。
ところが、この「百億の・・・」は、明らかに少年漫画とは違い、しかし少女漫画とも違う、一種独特の世界がそこには展開されてるわけでしたが、当時子供だった私にとって、その内容は難解すぎて、どっちかっていうと同じ時期に連載されていた「がきデカ」とか「マカロニほうれん荘」なんかを、よく読んでいました。
しかし、その独特の世界を理解したくて、この漫画が文庫版の一巻本が出版されたときに買って読んでみました。
さすがに大人となってからは、内容が理解できるような状態だったんですが、このお話って、色んな知識が無いと読めないんですよ。
かなりコアなSF読者でしようねぇ。この世界観がすんなり読めるのは・・・。
最後に、このお話の中核でもある、世界的な宗教の破滅思想について、神は救うものであり裁くものではない、という考え方の持ち主と、その反対の持ち主と、一体どっちが正しいのか、だなんて考えようによっては、決まりきったこと、またはどうでも良いことを探求する(しなければならなかった)ことによって、その核心へ結果的に迫っていくという、宗教論的な、または哲学的な展開であるにもかかわらず、それでも、お話の全般にSF的エッセンスがちりばめられていることが、このお話を面白くしているような気がします
あ、これでホントに最後に、私は萩尾望都先生の画風が好きなんでかもしれませんが、先生の絵って、今見ても古臭さを感じないのは私だけでしょうか?
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えー、突然ですが、この娘は“○ィアッセ・ク○ステラ”という名前です。
これは “と○いあんぐるハート”っていうエロゲーに出てくるキャラクターです。
ちなみに、私はこのエロゲーをヤったことはありません。ビデオとかも見たことがありません。
ところで、この絵は鉛筆画をスキャナでパソコンへ取り込んで、MSペイントで色を塗ったんですが、この色塗りの時間がかかることかかること。
多分、色塗るだけで3時間はかかっていると思われます。
うーん、レイヤで分けられる描画ソフト買った方が良いかなぁ、とか思ったんですが、結局使わないと思うんで・・・。悩むところです。
やっぱ私には紙に色を塗るほうが性にあっているような気がする・・・。
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笑わせるじゃないか、私ときたら、あの人がそれとなく五月蝿がっているのに。
笑わせるじゃないか、私ときたら、泣きついてじゃれついてママごと気分。
誰か教えてやれよと声がする。
気が付いているわ。
暗闇ガラスに映っているもの。
みんな。分かっているわ。
あの人が、好きな人も。
(By 中島みゆき なんかシングルEPのB面(古っ!!))
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April Fool |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
久々に昔、好きだった女(ひと)に逢った。
相も変わらす、優柔不断だった。
男は優柔不断な女が好きなのだろうか?
優柔不断なところが、女の弱さなのだろうか?
未だに好きな女なのであると認識したところで何の進展があるのだろうか。
人間は所詮男と女しか居ないということは周知の事実である。
だからといって特別な人間がこの世に存在するのであろうか。
愛とは一体何なのか。
子供を愛でる感情とは一線を画したものなのだろうか。
今、私は酔っている。
酒を飲んで酔っている。
感情はいつも抑制されている。
理性や世間体によって抑制されている。
だが、酒を飲むと開放される部分がある。
確実に開放される部分がある。
感情的だ。
今は、とても感情的だ。
後から見たら、この文章は恥ずかしいだろう。
多分とっても恥ずかしいだろう。
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月に代わってお仕置きよっ!! |
この文は一応、“日記”的なことを書く“月記”というコーナなんで「です、ます」調では記述されていません。
久々に書くなぁ。最近、忙殺されてたせいもあってホームページを1ヶ月更新してないことに気づき、「これはヤバいっ!!」という訳で今この文を書いているわけだ。
やっぱ更新するの山谷があるよなぁ。世の中色んなこと起こってるし、なんか見聞きすれば、そのとき感じたことをそのまま書けるコーナも設置したというのに、思いついたそばから忘れてんだもん。
なかなか更新できねーよなぁ。
記憶力が鈍ってきたのかなぁ。そんなんじゃぁヤバいよなぁ。
ところで、この「月に代わってお仕置きよっ!!」ってタイトルは特に意味が無い。って、いうか今日土曜日だし、セーラームーンの実写版をTVで放送するんで、ふと書いてみた。
考えてみれば、「セーラームーン」って、自分を紹介するのに自ら「美少女戦士」って言っちゃうところがなんとも言えない。
アニメの時は別になんとも思っていなかっのだが、実写版となるとなんだか変に思える。
そこで、自分なりになぜそう思えるのか考察して見た。
結論から言うと、生身の人間の映像と、絵との違いではなかろうか?
まず、架空の世界を現実の世界の人間が観察した場合の思考パターンを考察する。
架空の世界は現実には無い世界、これを別世界と呼ぶことにする。
まず、別世界で発生した事象において、現実世界の人間が否定する事象であっても、別世界の人間は肯定していたとする。
この場合、現実でない世界において発生している事柄であるということ、別世界の人間はそれに対して肯定しているということから、観念や科学的な事象、発生した事柄における原因などは現実世界と別世界とでは差異がある可能性があると思われる。
このとき、現実世界では起こり得ない事柄が別世界で発生していることについて現実世界の人間が否定する場合、現実世界の世界観を引用するのは間違っている。
なぜならば、世界観が違うからである。この場合は該当する世界で発生している事柄なので、それに該当する世界観を基にして考察すべきである。
このとき、現実世界の人間が別世界の世界観で別世界の事象を完全に否定できない場合、その事象について肯定せざるを得ない。
そうなると、その世界観で肯定されている別世界の人間の人格も肯定せざるを得ないことが推測される。
次に実写版劇と動画や漫画との違いを考察する。
まず、実写版であるが現実世界の人間が演じる別世界の人格は演じる役者の人格とは無関係な劇という架空の世界の中にある役という別人格である。
しかし、役者は劇という別世界に生きている本人ではなく、現実世界の人間であるので、その実在する人間が世間一般的な常識から逸脱したような行為を行うと、それに対して違和感があるのではないだろうか。
次に動画や漫画の場合であるが、劇中に登場する絵は現実世界には存在しない人間である。
と、なると、実写版劇のようにその人間は現実世界に存在しているわけではないので、劇中に登場する人物が現実世界の世界観から逸脱した行為などをしても別世界の観念から、現実世界の人間もそれを肯定することが可能だと推測できる。
ゆえに、生身の人間が演じる実写版劇は映像的、現実世界的に実在する人物だということ動画、漫画と比較して、常識的な行為から逸脱した行為をしたとき、変に感じる要因であると推測される。
と、まぁ、くだらないといえばくだらないことなのだが、夢と現実の狭間で生きている人も存在するので、あながちくだらないとは言えないかもしれない。
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縁ある人、万里の時を越えて引き合うもの、縁無き人、顔を合わせ術も無くすれ違う(By 中島みゆき「縁」 アルバム「予感」より)。
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UFOが造れるほど文明というか科学というか技術というか、が、発達しているようなレベルの生命体って、やっぱ食料危機を経験して遺伝子操作で自らの体を小さくしたんだろうか。 しかし脳容積まで小さくするとヤバそうなんで頭でっかちなのかなぁ。
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初めて聞くと、誰の声なのか判んない。って、言うか何言ってるのか、判んない。
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なんか好き。
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サッカー日本代表 その1 |
トルシエ元監督が中村俊輔選手を起用しなかった理由が判ったような気がする・・・。
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樹まり子嬢・・・(久々にビデオを観たんで・・・(^^;))。
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ロシアのウラジオストックにある、ウラジオストック中学校の体育館の裏へ、裏番長のウラジミール君に呼び出されたダウンタウンの浜ちゃんが、ウラジミール君の取り巻き(ロシア人)に言われる台詞。
「オイ、ボケ、カスゥッ!!オマエうらじみーる君ニ勝テル言ウテルラシイナアッ!!」(by ダウンタウンのガキの使いやあらへんで)
(なんか頭について離れないんだよなぁ・・・)。
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トリビア評議員として“くりいむしちゅー”の上田晋也氏が出演したら、番組になんねーだろーなぁ。
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昨日、新日本プロレスのテレビ番組を観ていると、ジョシュ・バーネットという外国人レスラーの特集をやってました。
「青い目のケンシロウ」というニックネームで呼ばれていた彼はその名の通り、漫画「北斗の拳」の主人公の“ケンシロウ”の台詞「おまえはもう死んでいる」と、マイクパフォーマンスをするなど、アメリカ人的なエンターテイメント性を持つ一方、実際にプロレスをやってみると、良く魅せてくれるような試合運びをするんで結構人気がありそうでした。
そんな彼ですが、実力はプロレスならずも、異種格闘技戦でも証明されているんです。
“パンクラス”という格闘技があります。これは、プロレスの一種で主に打撃系の技と寝技における関節技を主体とする格闘技です。
プロレスのルールにほぼのっとっているんですが、指の出ているグローブ(“オープン フィンガー グローブ”と言う)ではありますがパンチ(グーで殴る)がOKで顔面への打撃もOK、ロープブレイクが無いなど、よりケンカに近いルールで試合が行われます。
で、ジョシュ・バーネット選手の話に戻ると、昨年、パンクラスのチャンピオンを決める“キング オブ パンクラス”という試合が行われ、彼は見事その試合に勝ち、パンクラス王者となったんです。
まぁ、これは普通なら強い者が勝つという論理上の話です。しかし昔ならあんまり考えられないのが、ジョシュ・バーネット選手の所属が“新日本プロレス”である、ということなんですね。
つまり昔ならプロレス系団体でそれなりの規模であれば、それらの団体間での試合というのは、まず皆無に等しかったんです。
今でこそプロレス団体が沢山あり、そのファイトスタイルで観る試合を選べるようになったんですが、以前はそうでもなかったんです。そこで、私の少ない情報からプロレスの歴史を書いて見ます。
もともと、日本のプロレスは故“力道山”選手から始まるのですが、団体としては “日本プロレス”が始まりだと思います。
昔のTV漫画“タイガーマスク”の中で、“アントニオ猪木”選手と、故”ジャイアント馬場“選手がタイガーマスクのセコンドに一緒についているシーンがあり、この番組が日本プロレスの協賛であったことから彼らが同じ団体に所属していたと思われます。
で、そのアントニオ猪木選手が団体内の確執から日本プロレスを飛び出し、その後“新日本プロレス”(以下、“新日”)を旗揚げしたということだったと思います。
そしたら、ジャイアント馬場選手も日本プロレスから脱退して(ここらへんは定かではないですが)、結局“全日本プロレス”(以下、“全日”)を旗揚げしたんだったと思います。
と、いう訳で、日本のプロレスは興行的にはこの2団体を中心に発展して行くことになる訳です。
“新日”は異種格闘技戦など(対モハメド・アリ戦は今も語り継がれる有名な試合です)アントニオ猪木選手の興行手腕が如何なく発揮され自らをカリスマとして成立させることによりプロレスをより有名なものにすることに成功させた訳です。選手の場合は真剣試合(“セメントマッチ”とも言う)が主体でストロング・スタイルと呼ばれる試合運びが売りでした。
一方“全日”のジャイアント馬場選手は“プロレスはショーである”と自らが提言した通り、大技や空中戦などの、どちらかというとエンターテイメント主体の試合運びが主体だったと思います(すいません、あんまり観てなかったんで・・・)。
しばらくは、この2大団体で興行していたのですが、昔だって小さい団体はいくつかありました。
私の知っている限りでは、国際プロレス(あの“アニマル浜口”選手が所属していた)、UWFなどなど。
これらの団体は興行するには規模が小さかったんで、前出の2大団体の中で試合をすることにより、TVなどのメディアへ露出することが可能だったわけです。
しかしながら、メディアへの露出が多くなってくると、小さな団体の選手でも人気が出てきて、それなりに興行ができるようになってくるわけです。
ここでUWFを例にあげると、当時、“新日”の試合に出ていたこの団体には“前田日明”選手や“高田延彦”選手が所属しており、彼らも人気がありました。
ところが“新日”で試合をやっていると自分たちの試合スタイルが規制されてしまうので、結局“新日”を飛び出し、UWF独自に興行していくことになるんですね。
でも結局、後に“リングス”、“UWFインター”、”藤原組“と分裂してしまうわけですが、この後”藤原組“にさらに分裂して“パンクラス”が出来たわけです。
今でもTVで“PRIDE”って言って格闘技の試合をやりますが、元々の発祥はUWFインター、さらにはUWFって感じですかね。
次に“全日”なんですが、ジャイアント馬場選手の死後、次に三沢光晴選手が社長となったわけですが、この頃から“新日”の選手が試合に出るなど他流試合的なものをやっていったんだと思います。
で、ここでも三沢選手が新たに“NOAH”というプロレス団体を旗揚げするわけです。
このほかにも、天龍源一郎選手の“WAR”、橋本真也選手の“Zero−One”、The グレートサスケ選手の“みちのくプロレス”、“大阪プロレス”など、独自に興行している団体はかなり多くなりました(大仁多厚議員の“FMW”もあったな、そーいや、でも今でもあるのかなぁ)。
と、いう訳で昔は2団体くらいしかなかったプロレスも、今やそのファイトスタイルで観る団体を選ぶことのできる時代となったわけです。
で、ジョシュ・バーネット選手の話に戻りますが、選手はこの“パンクラス”以外にも昨年の大晦日に“K−1 Dinamite!”(“K−1”とは空手道場“正道会館”が主宰する、空手やキックボクシング(ムエタイ)など立ち技系の格闘技の試合形式)とかにも出ています。
昔はあまり他流試合なんかは好まれなかったような気がするんですが、バーネット選手と “パンクラス”の選手と試合を観ると、“新日”のリング上ではあったものの“パンクラス”的な試合で結構、面白かったりするんです。
ちなみに、前記の“パンクラス”の選手ってのは“鈴木みのる”選手で、鈴木選手なんかもバーネット選手が出てくると(このときはタッグマッチだった)、ちょこっとにやけたりして、私は「この人は戦うのが楽しいんだなぁ」と、思わず感心してしまいました。
確かに、ここ数年で特にプロの格闘技の試合形式が変わってきているとは思います。
前述した、正道会館主催の“K−1”なんか、空手、キックボクシング以外にもプロレスラーでも柔道家でも“K−1”ルールにのっとっていれば競技を選ばす出場するチャンスがあります。“PRIDE”なんかもそうです。
昔なら“空手”は“空手”、“柔道”は“柔道”、“プロレス”は“プロレス”と、いったように競技別に分類されており、異種間ではそのルールの違いなんかで敬遠されがちでした。
しかし、昨今では“最強格闘技”とか言うし“立ち技最強格闘技”とか言って、異種間でも強さを競い合うような傾向ではあります。
私自身、この傾向は賛成です。なんせ色んな格闘技を一つのルールで最強を決めるのだから、色んな試合が観れて面白い場合もあるからです。
で、またまた、ジョシュ・バーネット選手の話。
彼は“UWFおたく”であるらしいんですが、確かに鈴木みのる選手と組み合ったとき、マウントとなるとアドバンテージの取り合いになったりして“藤原組”的な試合運びとなったりするんでそれっぽいとは思います。
しかし、プロレス選手との試合となれればプロレスのスタイルで試合をするし、なかなか器用だなぁ、とも思いました。
故“ジャイアント馬場”選手が「プロレスはショーである」と言う観点から、やはり“面白い”ことに越したことはないと私も思います。
でもあんまり“ショー”過ぎると、それはそれで興ざめしてしまうというものです。
で、今の良いところは団体が沢山あり、その試合スタイルで自分の好きなものを選べることだと思います。
最後に“プロレス”は“八百長”だなんて言う人もいます。しかし格闘技にはルールがあり、ルールの範囲内で試合を運ばなければならないわけです。
ルールによって場合によっては“八百長”に見えるかもしれませんが、それはそれで試合のスタイルなんで、そういう観点から“プロレス”を観ることをお勧めします。
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最近、なんか似てるなぁ〜、と、思う。けどやっぱり似てない人々 |
女子バスケット シャンソンVマジックの永田睦子選手と清水ミチコさん(実際見てみるとなんか似てない)。
お笑いタレント、ふかわりょう氏とグラビアアイドル、仲根かずみさん(鼻だけ)。
ジュビロ磐田の前田遼一選手と宜保愛子さん(目の周り)。
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どうも、このページの管理者“きかてぃK”です。
今回はページレイアウト変更後の記念すべき第1回のお知らせということで、レイアウト変更の理由なんぞを書いてみたいと思います。
このページを運営してまいりまして、2年目の年を迎えました。
過去を振り返ってあれやこれやと考えていたならば、旧レイアウトであると不都合が生じる場合があったんで、新しいレイアウトに変更しようと考えました。
で、やってみました。
今回からフレームを採用してみました。これは目次が別に設定できるので非常に編集がやり易い、っていうかテキトーに本文を書いても力技でなんとなくまとまってしまいそうなんで採用してみました。
これは、管理者のものぐさな態度が生んだ結果なんで、このページを閲覧してくださる皆様には関係の無いことなんで恐縮なんですが、これによって自分的には前よりも更新が進むだろうって思っております。
って言うのも、旧ページでは、カテゴリが先に決められており、それに合せてお話を書くような感じに無意識のうちに自分で決めちゃってて、それに、「はっ」と気が付いたんです。
ついでに、旧ページでは日記書いてみようと思ったけど、毎日なんか絶対書かないから月内で一日以上書いたら上等だぁ、と思って“月記”なるコーナーを作ったんですが、これもマジで1ヶ月に一日しか書いてなかったりしてるんです。
で、タイトルに“徒然”という言葉が入っているように、色んなことを書きたいので、色んなことを時系列に書くのも一種の“日記”的なもんじゃぁないかなぁ、と思いまして、今回は書いた時点でその日のことを書いたという認識で、基本的に”月記“はなんでもアリということにしました。
と、まぁ、半ば強引な内容もあり、実験的な要素が強いような気もしますが、これからも自分が気に入らなければ、どんどん変えて行こうかと思っています。
突然レイアウトが変わっているなんてこともあるかもしれませんが、そのあたりはなにとぞご容赦ください(なんせ自己満足でやってるもんですから・・・)。